槌手王ヘルム
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9. .mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}槌手王(ついしゅおう)ヘルム(Helm Hammerhand) 2691 - 2759年 ヘルム王の時代、アドーン川両岸を支配していたのはフレカという男だった。かれはフレアヴィネ王の末裔を自称していたが、実際には褐色人の血が濃いらしく、髪も黒かった。ヘルムはフレカを信用していなかったが、会議には一応招いていた。 2754年の会議の席上で、フレカは息子ウルフの嫁に王の娘をよこすように求めた。ヘルムがそれを断ると、フレカは王を罵倒した。会議の終了後、ヘルムはフレカを王宮から連れ出して素手で打ち殺し、かれの一族を王の敵と公言して追い払った。 2758年、ゴンドールが3つの大艦隊を相手に防衛戦を繰り広げているころ、同盟者のローハンもまた東方から襲撃を受けた。これを好機と見たウルフが褐色人を率いて西から攻め込み、そこへ敵艦隊がアイゼン川とレフヌイ川の河口から上陸してきて、同盟が分断されたロヒアリムは白の山脈に押し込まれた。ヘルム王の息子ハレスはメドゥセルド王宮を最期まで守ろうとしたがついに討たれ、ウルフは王を自称した。 さらに5か月に及ぶ長い冬がローハンを見舞い、スースブルグと背後の谷(後の角笛城とヘルム峡谷)に避難していたロヒアリムは厳しい寒さと飢えにさいなまれた。自暴自棄になったハレスの弟ハマは無謀な出陣を行って雪中に行方不明となった。 2人の息子を喪ったヘルムは猛々しさを増し、白装束に身を固めると角笛を吹き鳴らして単身で城を出て、素手で多くの敵を仕留めてまわった。「武器を帯びていないヘルムは武器では倒せない」「飢えれば人間でも喰う」などのうわさが流れ、褐色人はかれの角笛の音を聞くだけで恐怖のあまり逃げ出すようになった。ある朝、一人出撃したヘルム王が立ったまま死んでいるのが発見されたが、その後もヘルム峡谷には時おり角笛がこだまし、かれの幽霊がローハンの敵を殺すのだという。 2759年、ようやく冬が終わるとヘルムの甥フレアラフが馬鍬砦より出陣し、少数の手勢による奇襲で僭王ウルフを討ち取った。雪解けの洪水でエント川一帯は沼沢地と化し、東方からの侵略者は撤退した。そしてゴンドールの執政ベレンの息子ベレゴンドの同盟軍が東西両方から駆けつけ、アイゼンガルドも含めたローハン領から褐色人を撃退した。
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