青年王エオル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 10:32 UTC 版)
1. 青年王エオル(Eorl the Young) 2485 - 2545年 父レオドの死に伴い16歳でエオセオドの族長の地位を継いだことと、生涯黄色の髪を保っていたところから青年王エオル(若きエオル)と呼ばれた。かれは父の死因となった白馬を探し出すとフェラローフと名づけ、馬具も用いずに乗りこなした。フェラローフは人語を解し、また人間並みに長命だった。 2510年、バルホスの脅威にさらされたゴンドールの執政キリオンからの使者がエオセオドの土地にたどり着き、助けを求めた。エオルはほぼ全軍を挙げて出撃することに決め、アンドゥインに沿って南下した。ゴンドール軍はバルホスとオークの群れによって、銀筋川と白光川の間のケレブラントの野に追い詰められていたが、そこへ駆けつけたエオセオドの騎士たちによって危ういところを救われた。 3か月後、キリオンはエオルを聖地アモン・アンワルに招くと、カレナルゾン地方を領土として割譲する宣言をした。エオルはそれに応えて、ゴンドールの危機には必ず馳せ参じる誓いを立てた。このエオルの誓いは両国ともに決して破らず、子々孫々にいたるまで尊重された。 当時エオセオドの土地は人口増加のため手狭になっていたので、エオルは喜んで北方から残る一族を呼び寄せ、カレナルゾンの地に騎士の国ローハンを築いた。 エオルは高地(ウォルド)の合戦で東夷に討たれ、愛馬フェラローフとともに最初の塚山に葬られた。
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