青年神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 14:51 UTC 版)
ヴァイマル期に広がっていた「新しい人間」や「精神的変革」への待望論は、その裏返しとしての「古い人間」の罪の語りとともに、少子高齢化という人口現象の認識にも深く浸透していた。もちろん、この「新しい人間」という理念自体はもっぱら戦争体験に関するイマージュを根拠にして構築されており、その限りで大戦が青年神話の急進化に大きな影を落としていたことは否めない。 「我が民族の刷新を徹底して信じ抜く」がゆえに「革命的」だと称する彼ら「若者」にとって「年を取っている」とはとりもなおさず、「古い形式が打破されねばならないことを理解しない者」つまり「歴史を諦める」者に他ならない。戦争による「古きもの」の没落と崩壊。ヴァイマル期において「青年」を語る際に繰り返し持ち出されたこのクリシェは、大戦の衝撃とは別個に構成されてきた「死にゆく老人」という形象とおそらく高い親和性を持つものであった。だからこそ戦争体験を自身の「精神的紐帯」と語る前線世代にあっては、抑圧者たる父母や教師に代わって「年老いゆく世代」ないし「没落しつつある世代」なるものが、青年の敵として設定されえたのである。 だがそれに加えてもう一つ、ヴァイマル期における「青年の失業傾向」という要因にも注意しておかねばならない。 たとえば、経済が相対的に安定していた1926年でも14-21才の男性失業者数は 27万人に上っており、全失業者中17%を占めていた。その後の好況でこうした状態はやや改善されたものの(1927年で9.5%)、世界恐慌の到来で再び悪化し、1931年には16.3%にまで上昇している。だがこの恐慌で最も深刻な打撃を受けたのは20-25才の年齢集団であり、1933年でこの年齢の男性人口のうち30.8%が、特に経済危機の影響が大きかったハンブルクでは47.2%が失業の憂き目を見ていた。こうした青年層の失業傾向とは対照的に、60才以上の高齢者就労率は20世紀でも比較的高い水準にあった。 いずれにせよ、こうした青年層の失業傾向と高齢層の就労傾向という背景は、上に述べてきた「青年」の「老人」に対する攻撃の風潮をさらに先鋭化させるものだったと見てよい。 場所を空けろ、場所を空けろ、無能者ども、弱き者よ、盲にして聾唖の者よ、名誉を失くした卑怯者、裏切り者で臆病者よ。場所を空けろ老いぼれども、お前たちの時代は過ぎ去ったのだ。未来が湧き上がってくる。我らの中で己を告げ知らせる未来が!! このように、ヴァイマル期の青年失業問題は「青年」を自称する年齢集団の内部分裂を決定的な形で推し進めるには至らず、寧ろもっぱら「青年」と「老人」の対立・抗争を煽り立てることになった。「場所を空けろ老いぼれども!」というナチスの叫びは、以上に見てきたような錯綜した時代状況の中で発せられたものであり、その限りで当時の社会は既にこのような呪詛に近い老人攻撃にさえ共鳴しうる素地を整えていたのである。 しかし、他方でこの戦時青年世代の成員は、「戦争を生き抜いたこの年齢階級の者たち〔前線世代〕が本来の若き世代と結びつくに至れば」、戦争体験のような「共通の体験」を欠落させた者も「歴史を作り出すよう働きかけうる」と信じており、だからこそ彼らの間では同時に、この両者の対立を「一つの全体性内部での集団ごとの専門化」にすぎないとして、「若き世代」(40 才以下)の結束と「古き世代」(41 才以上)との闘争を呼びかける声も上がっていた。 「戦争文学のマルティン・ルター」としてヨーロッパでその名を馳せたエルンスト・ユンガーなどは、早くも1921年にこう書き記している。 ちょうど原生林がますます力強く高みに聳え立とうとして、その成長の養分をおのれの没落から、つまり泥土の中で朽ち果て腐敗した部分から吸い上げるように、人間の新しい世代はどれもある土壌の上で育まれる。その土壌とは、生命の輪舞から離れてここで静かに眠る、無数の先代の崩壊によって堆積されたものなのだ。
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