共通の体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:08 UTC 版)
「ベートーヴェンとモーツァルト」の記事における「共通の体験」の解説
ベートーヴェンはモーツァルトの死から1年後の1792年、ついにウィーンへと戻ってくる。彼がウィーンで過ごした最初の年月にはそれまでの年月でモーツァルトが経験したのに類似した多くの経験があり、モーツァルトの関係者にはベートーヴェンとも親しく付き合うことになった者もいる。とりわけ、まずはモーツァルト同様に鍵盤楽器奏者として高い名声を打ち立てたベートーヴェンはハイドンに師事し、ヴィルヘルミーネ・トゥーン伯爵夫人の庇護を受けた。ゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵もパトロンとなり、ベートーヴェンはモーツァルトが行ったとのとまったく同じように、男爵家でバロックの巨匠らの作品を演奏した。モーツァルトがしたのと同じく、ベートーヴェンは1796年にリヒノフスキー侯爵に伴われてプラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンを巡る演奏旅行に出た。旅の途中のプラハでは著名なソプラノ歌手であったヨーゼファ・ドゥーシェクに大規模な演奏会用アリアを作曲しているが、これには1789年のモーツァルトの先例がある。19世紀はじめまでにベートーヴェンは劇場支配人のエマヌエル・シカネーダーの目に留まってオペラ『ヴェスタの火』の構想段階で援助を受けており、モーツァルトが『魔笛』に弾みをつけたのと同じことが起こっていた。ベートーヴェンは最後は『ヴェスタの火』を放棄して『フィデリオ』を選ぶことになる。
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