お蔭参りが与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:40 UTC 版)
お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落から集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事がはばかられた。また、当時、最新情報の発信地であったお伊勢さんで知識や技術、流行などを知り、見聞を広げるための旅でもあった。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新のファッション(例:最新の織物の柄)や農具(例:新しい品種の農作物がもたらされる。箕に代わって、手動式風車でおこした風で籾を選別する唐箕が広まる)、音楽や芸能(伊勢音頭に起源を持つ歌舞が各地に広まる)が、実際の品物や口頭、紙に書いた旅の記録によって各地に伝わった。これが餞別や土産の始まりであるという説もある。 また、お蔭参りによって、地域と階層を超えて人々が集まり、伊勢参りという共通の体験を得たことが、近世幕藩体制を超えて「日本人」や「日本」という民族意識・国家意識を醸成することに繋がったと、複数の研究者により指摘されている。日本宗教史研究者の西垣晴次は、「お蔭参りにおいて、人々が日本全国から地域と階層を超えて集まり、全く知らない土地の人々と出会い、共通の体験を持ち、他国の稲の籾を交換するなどしたことは、「日本人」という共通の意識をいだかせたものである」と評価している。また、日本近世史研究者の鎌田道隆は「幕藩体制の時代に下層庶民までもが日本各地を見聞し、沿道の人々も見知らぬ土地の人と交流し、情報を交換しあった経験は、近代的な民族意識の準備をなしたものと評価する必要がある」と評している。
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