お蔭参りと本坂通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:55 UTC 版)
享保15年(1730年)にお蔭参りが流行したときには、都田村では、女中たちの抜け参りが多かったため、気賀関所の命令を受けて、見張人を街道に沿う村の山へ毎日出したが、それでも抜け参りは絶えなかったとされる。文政13年(1830年)に浜名湖北岸の気賀・三ケ日方面からお蔭参りが流行し、浜松方面にも波及した際には、多くの人が本坂通を利用した。幕末には将軍・徳川家定の正室となった篤姫が本坂通を通行した。
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