鈴木早智子とは? わかりやすく解説

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鈴木早智子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 18:17 UTC 版)

鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日[4] - )は、日本歌手タレント女優1988年から1996年まで活動した、相田翔子とのアイドルデュオWinkのメンバー。本名同じ[5][6][7][注 4]。別名、東 智子[注 5]、Miyoko.A[注 6]。愛称、さっちん[注 7]東京都出身[11][注 8]


注釈

  1. ^ 所属事務所欄に、語尾に「S」無しで「P-ARTIST」、同住所欄に「109港区北青山2-7-28NAビル3F」と記されている。なお同書の前年93年度版(1993年10月20日発行)p. 142の「Wink」の項では、所属事務所欄に「アップライトミュージック」、同住所欄に「106港区六本木6-5-17」と記されている。
  2. ^ 鈴木は、自著の、1996年に所属事務所の社長からWinkの活動停止を宣告された際の記述において、事務所名を明示しないながら、「デビューのときからの社長は代わっており、社名も変更していました。しかし、ここが生まれ育った事務所であることは変わりません。」と記している[2]
  3. ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。
  4. ^ 鈴木は自身の名付けについて、1990年に、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない。」と独白したことがある[8]
  5. ^ 1986年11月2日に開催された「ミスUP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名[9]。『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアに、「友だちに借りた名、東智子。」とある[10]。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号の記事では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている[9]
  6. ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.3のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。
  7. ^ 愛称」の小節参照。
  8. ^ 鈴木自身が何らかのかたちで関与をしているはずの出身記載の中には、「profile」(『鈴木早智子公式HP』)2017年8月30日時点のアーカイブ のように、「埼玉県」となっているものもあるが、彼女の出身地としては、東京都も、埼玉県も、いずれも正しい。本文において出身地を「東京都」としているのは、便宜的なものである。「出身」という語の指し示す範囲は、三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)の「出身」の項に、「その土地で生まれていたり その地域に本籍(実家)があったり 在住していたり あるいはその学校を出たというような経歴があったり すること。」(引用原文中の記号を省略)とある通り、広いものである。鈴木にとって、東京都も、埼玉県も、前記の「出身」の定義に該当する地であることは、「来歴」の節を参照。
  9. ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。
  10. ^ Winkが出演した1989年3月23日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、司会黒柳徹子が「名古屋は鈴木さんのお母様のふるさと」と発言している。ただし、この時、鈴木は風邪という名目で欠場し(実際には失踪していた。「失踪」の小節参照。)、相田翔子のみの出演であったため、同放送ではこの件についての鈴木の発言は無い。鈴木自身やその所属事務所など直接的な関係者・団体を通して、鈴木の母が鈴木を名古屋で里帰り出産したかにつき公表した媒体は未確認。
  11. ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。
  12. ^ 同記事にWinkの仙台での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。
  13. ^ 鈴木が東京に転居した月は3月から4月の間。1989年3月3日におけるWinkの仙台での活動を取材した『明星』1989年5月号の記事に、彼女たち「2人は今度、引っ越しすることが決定。仕事がつまってきたので、東京近郊のサテライト・シティーから都心に越してくるのだ。」と記される[19]。また、『週刊明星』1989年6月29日号の記事に、下記の引用では相田翔子の発言から始まって、以下のようにある。「「早智子はしっかりしてるから。私って、ほらトロいでしょ。それで社長さんに怒られたんです。『同じ日に部屋を用意してあげたのに、どうして翔子はまだ家から通ってるんだ』って。/それで悔しくて、その日、絶対マンション泊ってやろうと思って、何も持ってないのに意地で友達を誘って一晩泊ったんです」/4月の寒い夜だった。家具ひとつない板の間は冷えこんだ。たまらなくなって翔子は早智子の部屋に布団を借りに行った。」(「/」は原文での改行箇所)[20]
  14. ^ 鈴木が東京に初めて単身で居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在[18]。なお、鈴木が公表している限りにおいては、その後、1994年以前に世田谷[21]、1997年に港区芝浦へと[22]、都内で居住マンションを移転している。
  15. ^ 鈴木 2010, p.46には、このオーディションが「中学1年生のとき」と記されているが、吉田豪による2006年のインタビューでは、鈴木は「中学3年生のとき」と発言している[26]
  16. ^ 鈴木 2010, p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べられているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。
  17. ^ 「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述がある。
  18. ^ 『明星』1989年4月号の記事に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている[29]
  19. ^ 2010年の吉田豪のインタビューでは、建設会社のアルバイトの件が、1987年の芸能事務所所属後における下積み時代の話の最中に現れるものの、インタビュー中の鈴木はその時期にこのアルバイトをしていたとは言っておらず、どの時期に行なっていたかも言及が無い[31]
  20. ^ 鈴木 2010に、高校中退がいつだったかは記されていないが、1987年2月28日収録である「鈴木早智子インタビュー」 1987, pp.30-31では、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っていることを述べつつ、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね。」と、高校在学2年目の1985年後半頃に退学したように語っている。『FLASH』2008年11月4日号のインタビューでは、「高校1年生のとき「歌手になるので」と退学届を出したんです。」と述べているが[30]、高校入学から間もなく休学している鈴木は、在学が2年目になれば留年することになるため、「高校1年生のとき」という発言は、1987年のインタビューの発言と矛盾はしていない。
  21. ^ 『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアでは「5千人」[10]、『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系、1992年2月20日放送)における鈴木の発言では「3,000以上」[34]
  22. ^ a b 「フォーエバー」と「おじちゃんヨイショ」の表記は、「デビュー20周年 Wink 鈴木早智子 史上初のベストアルバム完成!」(『FLASH』2008年11月4日号、袋とじ)p.36による。
  23. ^ 鈴木 2010, p.52に「最終の12人」とあるが、「20人」の誤り。
  24. ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ[41]、後に、鈴木自身が自著で、受賞を「'87年の1月」と[42]、誤記してしまっている。
  25. ^ a b c d e 出演」の節参照。
  26. ^ a b Winkのアルバム内におけるソロ曲」の小節参照。
  27. ^ a b 鈴木と相田翔子。
  28. ^ a b c ディスコグラフィ」の節参照。
  29. ^ Winkの音楽プロデューサー・水橋春夫は、アルバム『Sapphire』作成にあたって、「今回は二人[注 27]にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです。」と述べたが[50]、Wink時代においては、このアルバムにおいても、それ以後も、鈴木が作曲することは無かった[注 28]
  30. ^ a b ソロ・アルバム」の小節参照。
  31. ^ a b 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1993年第41号)p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト。」とある。
  32. ^ テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)」の小節参照。
  33. ^ 鈴木 2010, p.173に、この時のニューヨーク滞在が「’95年」と記されているが、誤り。
  34. ^ a b c d 舞台」の小節参照。
  35. ^ a b CM」の小節参照。
  36. ^ a b ソロ・シングル」の小節参照。
  37. ^ a b テレビドラマ」の小節参照。
  38. ^ この記事がWinkの活動停止発表の場であったことについては、鈴木 2010, p.155。
  39. ^ 鈴木は、Wink活動停止に関する『負けじ魂』の記述と同趣旨のことを2006年には語るようになっているが[57]、その活動停止の直後には以下のように述べていた。「Winkの中でもソロ活動をさせて頂いたんですけれども、ちょうどここ1年ぐらいそれが多くなってきたので、8年間を良い機会に“ケジメ”プラス“新たな出発”という事で思いきったんです。」[58]。なお、「来歴」の節の本文で記している通り、ソロ活動が多くなったのは客観的には1992年以降であり、1995年に特に多くなったわけではない。
  40. ^ 相田翔子は、Winkの活動停止について、2017年のムック本のインタビューにおいて以下のように述べている。「8年間、ずっとベスト10に入っていたんで、花のあるうちに解散しようということになったんです。ただ早智子とは本当に仲が良かったから「解散」という言葉は使いたくないね、と相談して「活動停止」ということにしました。」[59]。テレビ番組でも同様のことを述べているが[60]、活動停止の理由を不明とする鈴木の述懐と齟齬がある。
  41. ^ 2010年における自身の自粛に関する記述中に、「これまでずっと歌手としてやってきた私」とある。
  42. ^ この出典資料で鈴木は、Winkの活動停止直後の動向に関して、事務所名を明示せずに、「私は社名変更したそれまでの事務所。そして翔子は新会社に行くことになりました。」と記している。
  43. ^ ここでの出典資料によれば住所は千代田区三番町7-13(三番町パークマンション)201。
  44. ^ ここでの出典資料によれば電話番号は03-5210-4530。
  45. ^ この一文は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる出典に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として記すものである。
  46. ^ ポリスターとの契約終了は、正確にはいつだったのか判然としない。鈴木 2010, p.158に、Winkの活動停止後、「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ。」(「/」は原文の改行箇所)とあるが、Winkの活動停止後に発行されたWinkファンクラブ会報『Winkers Party』第38号(1996年)p.7におけるインタビューで、鈴木は「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、少なくともWinkの活動停止によってポリスターとの契約が即座には終了していない。
  47. ^ a b c 写真集」の節参照。
  48. ^ a b 読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。
    05/24 「再起の芸能人驚きの名前」
    05/31 「再起の芸能人遂に登場・新人賞アイドル&ラブジェネ女優&紅白・レコ大受賞WのS」
    06/07 「再起へ怒トウの新展開始動・ウィンク鈴木早智子らが挑む恐怖の生き残り試練とは?」
    06/14 「再起NY生活始動‥‥しかしサッチン超問題発言・女4人の共同生活」
    06/22 「サッチンNYで号泣‥‥〝私はもう踊れない〟」
    06/28 「怒りが遂に爆発・波乱のNY先輩芸能人説教サク烈」
    07/05 「入院・NYに衝撃&小室哲哉のさらなる試練」
    07/12 「仰天・小室の衝撃計画にNY大混乱‥‥外国人合流?」
    07/19 「新展開 台湾人合格でNYに何かが起こる」
    07/26 「台湾人にキレる・号泣激怒‥‥NY一触即発」
    08/02 「激震・サッチン超緊急事態&NY路上で口ゲンカ」
    08/09 「大激白サッチン帰国リタイア全真相・マジ衝突‥‥物が飛ぶ」
    08/16 「運命の合格発表・歓びの涙‥‥しかし小室哲哉まさかの衝撃発言」
    08/23 「決着?小室哲哉と最終面談・しかし重大事実発覚&緊急発言‥‥」
    08/30 「緊急報告・小室哲哉に何が?衝撃全真相」
    09/06 「苦渋の大結論&小室哲哉緊急会見」
    09/20 「驚ガクの新展開へ・サッチン始動」
    09/27 「大試練サッチンに超難関」
    10/18 「大胆発言‥‥小室哲哉」
    10/25 「復活サッチン大熱唱」
  49. ^ 1998年6月7日放送分。
  50. ^ 1998年6月14日放送分。
  51. ^ 1998年6月21日放送分。
  52. ^ 1998年8月2日・9日放送分。
  53. ^ 1998年8月30日放送分。
  54. ^ 1998年10月25日放送分。
  55. ^ 鈴木 2010, p.175における文言。
  56. ^ 鈴木は、2006年1月18日発売の『サイゾー』同年2月号におけるインタビューでは、『ASAYAN』について尋ねられた際に「あまりしゃべりたくないです。」と述べ、多くを語らなかったが[57]、同じ年の3月に収録された吉田豪によるインタビューでは、「まだ消化しきれてなくて、『ASAYAN』という言葉を言えるようになったのも2年前のことなんです。」として、この件について話している[77]。DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)も参照。
  57. ^ a b ここでの出典資料では、2019年10月31日時点において、「INNOCENT SKY」のタイアップ欄に「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ 他」と記されるが、同日時点における「"鈴木早智子" "INNOCENT SKY" "ワイン娘恋物語"」のGoogle検索結果では、同ページの前記記載部分が、「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ ・TX系「ワイン娘恋物語」エンディング・テーマ」と表示される[79]
  58. ^ a b 『読売新聞』1998年12月29日(火)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年12月号p.1380)に番組放送・出演予定記載あり。
  59. ^ a b 『読売新聞』1999年12月30日(木)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1999年12月号p.1544)に番組放送・出演予定記載あり。
  60. ^ 『orega.net』のアーカイブのうち、鈴木が現れる最初のもの。
  61. ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。
  62. ^ 記事の題名に「オールヌード」とあるが、記事本文に「バストトップや秘部のみを隠した」とある通り、実際にはセミヌード。
  63. ^ a b c d DVD」の節参照。
  64. ^ 映画」の小節参照。
  65. ^ 具体的には、2006年4月17日における三洋物産「CRスーパー海物語」発表会のゲスト[90][91] や、2007年4月28日における香川県高松市のパチンコ・スロット店PACHINKO SLOT nikkoの「芸能人特別店長」[92] など。
  66. ^ 鈴木 2010, pp.187-188に、母の腎臓癌が手術で完治した「’93年」の「6年後」(1999年頃)に癌が再発、甲状腺に移転し、その手術が成功した「3年後」(2002年頃)に癌がまたもや再発、骨に転移して、闘病生活が始まった旨を記しているが、その後、母が本格的に入院したのがいつだったのかは述べられていない。ただし、同書のp.194には、その死去の1年ほど前(2006年頃)には入院している記述がある。
  67. ^ この出典資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。
  68. ^ 例えば2009年3月31日放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。
  69. ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言していない。
  70. ^ MUTEKIは、『September Shock』について、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない。
  71. ^ 『宿命のジオード』。
  72. ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画[注 71]のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです。」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。
  73. ^ DVD『September Shock』と、DVD・写真集『one track memories』の撮影は、2009年4月に、海外において同時に行なわれた[108]
  74. ^ 鈴木が2000年以降に出演した在京キー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演[98][99] 記載がない点から見て、完全なリストではない。
  75. ^ a b c d テレビ番組(ゲスト出演)」の小節参照。
  76. ^ serial TV dramaアルバム『パワースポット』(ソニー・ミュージックエンタテインメント、2011年8月17日)初回生産限定盤に収録。
  77. ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は、当節の本文に記されている通り「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」というもの[115]
  78. ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業[116] や、これを紹介した5月27日放送のラジオミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演[117] のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市道後温泉、12日(月)同県新居浜市[118]、25日(日)中華料理店東天紅上野本店[119]、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト[120] など。
  79. ^ 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブ にある如く、同時点ではエグゼの公式サイトに同社の所属タレントとして掲載されている。
  80. ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り[123][124]
  81. ^ 具体的には、2016年5月15日(日)「お掃除ユニットCLEAR’SスペシャルLIVE~全国CLEAR’S集合!みんなで一緒に回れ~」ゲスト[123][124]、6月5日(日)シアタープロレス花鳥風月40回記念東京タワー大会ゲスト[126]、8月28日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第一弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[127]、12月30日(金)「Mix Sense SPECIAL PartyNight ~センスプロ、年に1度の大忘年会スペシャル~」[128]、2017年4月30日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第二弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[129]、5月4日(木)第3回 「Tokyo Candoll」決勝戦審査員[130] など。
  82. ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)2017年7月6日時点のアーカイブ に、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。
  83. ^ 鈴木は、2017年12月30日販売開始のセンス・プロダクションのオリジナルカレンダーに写真が掲載されているが[131]、その時期以降、同事務所のツイートやリツイートに現れなくなる[132]
  84. ^ a b 収録日は2018年8月4日[133][134]
  85. ^ 前文の出典として示したTOffice公式サイトでは鈴木の在籍開始と離籍の日時は公示しておらず、鈴木が同サイトの「タレント」のページに掲載されていた全期間において実際にこの芸能事務所に在籍していたかも不分明である。
  86. ^ 出典資料における表記は、必ずしも平仮名の「さっちゃん」ではない。
  87. ^ 1989年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「STAR SCHEDULE」では、1月31日と2月1日の2日間においてレコーディングが認められる。
  88. ^ 1990年7月14日から9月13日まで開催された「Especially For You II」[171]。ただし鈴木は、急性肝炎により、7月26日の川崎公演から出演している[172]
  89. ^ 転校少女Y』(TBS系、1984年10月9日 - 12月25日放送)[188]
  90. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』。
  91. ^ 「たいへん」と話の口火を切るのは、本来は鈴木の口癖であるが、1989年には相田翔子に伝播している[198]
  92. ^ 鈴木は、1986年、17歳の時の、ミス・アップ・グランプリ受賞時には、自身の「チャームポイント」を「目」としている[40]
  93. ^ 『読売新聞』1989年6月1日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.32)および夕刊第16面(同前p.52)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  94. ^ 1988年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「WEEKLY SCHEDULE」では、「愛が止まらない」のレコーディングが終了した10月3日の翌々日である5日のほか、同月11日と18日の3ヶ日において振付のレッスンが認められる。
  95. ^ 香瑠鼓は、自伝エッセイ『ふぅ~はっ!』(NHK出版、2001年8月25日)p.115でも、同趣旨のことを述べている。
  96. ^ のちに『Twinkle Angels』でも、Winkの振付について、森裕平の発言と同趣旨の記述が以下のようになされた。「サッチンは覚えるのユックリだけど、一度覚えるとゼッタイに忘れないし、練習のときにもまちがえない。/翔子は、すぐ覚えるし返事はいいけど、すぐ忘れてしまう。だけど、振りのポイントはしっかり押さえている。」(「/」は原文の改行箇所)[219]
  97. ^ 『BUBKA』2011年1月号、2010年11月30日発売。
  98. ^ 鈴木は、鈴木 2010, p.33では、8トラックのカラオケセットを「親に買ってもらいました。」とするが、2003年9月26日放送の『celeb-life』(BSフジ)では、「やっとお年玉をかき集めて買っ」たと語る[231]
  99. ^ 鈴木 2010, p.34には、少女時代の鈴木がカラオケで歌っていた曲として、本文に記している、彼女が8トラックのカラオケセットを購入した頃の1980年の楽曲4曲が列挙されているが、これらを歌っていたのが少女時代の特にいつ頃だったかは記述が無い。
  100. ^ 鈴木は、『明星』1989年3月号付録『ヤンソン』では、カラオケ・カセット所有数を、1,500曲分ではなく「1500本」と述べている[166]
  101. ^ 鈴木は、1989年1月12日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)においては、カラオケのレパートリーを「1,300曲ぐらい」と述べている。
  102. ^ 英語に関しては、「自身の発言における鈴木の人物像」の小節内の、「若年時の飽き性とその後」参照。
  103. ^ 番組放送予定と調理方法が『ESSE』1992年9月号p.239に掲載されている。
  104. ^ 『読売新聞』1989年6月5日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.226)および夕刊第20面(同前p.258)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  105. ^ 『読売新聞』1989年11月9日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年11月号p.452)および夕刊第20面(同前p.480)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  106. ^ 鈴木 2010, p.93には、この月に「腹痛で倒れました。」と記される。
  107. ^ 『読売新聞』1990年1月8日(月)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.332)および夕刊第20面(同前p.362)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  108. ^ 『読売新聞』1990年1月22日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.1016)および夕刊第20面(同前p.1048)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  109. ^ 『読売新聞』1990年7月4日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.190)および夕刊第20面(同前p.210)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  110. ^ 『読売新聞』1990年7月15日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.764)に番組放送・出演予定記載あり。
  111. ^ 『読売新聞』1990年7月25日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.1260)および夕刊第16面(同前p.1276)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。この文献に「ウィンク夢の競演、東京―大阪2元中継」とあるが、コンサート公演中の相田翔子が大阪から中継で出演した。この時の大阪公演は7月17日(火)・18日(水)の2日間[171]
  112. ^ ただし鈴木は、1990年においては、「趣味・愛好 - その他」の小節における「料理」で先述した通り、その前年に胃を悪くしたのは外食が原因だと述べている。
  113. ^ 下記の、1989年3月のWinkのスケジュール一覧表参照。
  114. ^ 同番組は1989年3月25日放送。同日の『中日新聞』朝刊第32面(『中日新聞縮刷版』1989年3月号p.1104)のテレビ番組表に、番組放送予定と「ウィンク」の記載あり。
  115. ^ 鈴木 2010, p.92での文言。
  116. ^ 1989年4月1日におけるWinkの名古屋での活動を取材したこの記事に、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言が記載される。同記事にWinkの名古屋での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年4月3日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。
  117. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが[228]、相田翔子が自室マンションに初めて入ったのが、鈴木の失踪事件後の4月である[269][20] ことと矛盾している。
  118. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。『Smart Flash』のインタビューでは「ゴメンね」[228]
  119. ^ Winkの仙台キャンペーンの動向が、「今日もドタバタ息つぎな~し!」(『明星』1989年5月号pp.58-59)でレポートされている。
  120. ^ Winkのこの日一日の動向が、「WINKの3月で一番ハードだった一日」(『BOMB!』1989年5月号pp.119-121)でレポートされている。
  121. ^ a b Winkの大阪キャンペーンの動向が、「The WINK・TIMES」(『DUNK』1989年5月号)pp.36-37でレポートされている。
  122. ^ 『ザ・ベストテン』の欄に「沖縄&鶴太郎&?熱帯夜生中継」とある。
  123. ^ DVDボックス『Wink Visual Collection~1988-1996 ヴィジュアル全集~』(ポリスター、2008年4月27日)付属のボーナスDVD「WINK MINI CONCERT'89-近鉄百貨店・阿倍野店-」は、このミニ・コンサートを収録したもの。
  124. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.32に、「3月下旬、大阪での仕事を終えてその足でグアムへ直行」とあり、グアムへの実際の移動は26日。
  125. ^ ただし、『負けじ魂』では、公表できる時がくれば相田翔子と二人で公表しようと約束し、この約束を守ることが相田翔子との友情の証であるとして、詳細を公表しなかった。その一方で、相田翔子は『負けじ魂』が発行される以前から、このことを公表していた[285]
  126. ^ 3月23日に鈴木が一人で失踪した直後。
  127. ^ イタリア語で「モナ・リザ」の意味。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第37号(1996年)p.6に「フランス語」とあるが、それは誤りで、同言語では「La Joconde(ラ・ジョコンド)」という。
  128. ^ a b c 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、1994年11月19日に東北地方で放送の『東北スペシャル』(NHK総合)について、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子小椋佳羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)2018年9月13日時点のアーカイブ では「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であり[298]、『ザテレビジョン』の記述が正しい。
  129. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.169に紹介記事あり。
  130. ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号の「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「NEWすたーれぽーと」(いずれも各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏関東版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。
  131. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第42号)p.49(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏関東版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。
  132. ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第10号)p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。
  133. ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1997年第1号の番組表に番組放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。
  134. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第7号)p.44(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。
  135. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第32号)p.42(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  136. ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1995年第40号・第41号の番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  137. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第18号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  138. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第23号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  139. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第24号)p.48(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  140. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第25号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  141. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第26号)p.60(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  142. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第27号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  143. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第33号)p.45(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。なお、鈴木の出演内容について、同誌首都圏関東版の番組表には「鈴木早智子のベーコンのサラダ」と記されているが、実際には豆腐の「ボロボロ」が調理されている。「趣味・愛好 - その他」の小節の「料理」参照。
  144. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第47号)p.139(各地方版共通)に放番組送・出演予定記載あり。
  145. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第11号)p.39(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  146. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第26号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  147. ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第32号の番組表p.66に番組放送・出演予定記載あり。
  148. ^ 『読売新聞』1996年8月25日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1996年8月号p.1120)番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  149. ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第51号の深夜番組表p.89に番組放送・出演予定記載あり。
  150. ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第42号)p.75に番組放送・出演予定記載あり。
  151. ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞』1997年2月15日(土)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1997年2月号p.726)に「元ウィンクも感動審査」というかたちで番組放送・出演予定記載あり。
  152. ^ 「歌のスペシャル豊漁セレクション」(『ザテレビジョン』1998年第39号)p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに番組放送・出演予定記載あり。
  153. ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1999年第12号の番組表p.99に番組放送・出演予定記載あり。
  154. ^ 『読売新聞』1998年10月27日(火)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年10月号p.1454)に番組放送・出演予定記載あり。
  155. ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1998年第50号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。
  156. ^ 『読売新聞』1999年8月25日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1999年8月号p.1160)および同日夕刊第20面(同前p.1180)のテレビ番組表に「元ウィンクだって恋がしたい・Eメール恋愛」として番組放送予定記載あり。
  157. ^ a b c d e f g h i j k l 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブ で、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。
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  162. ^ 吉田豪のインタビューを通し、鈴木の肉声によってその半生が語られているため、鈴木自身の発言であることが確実な、その芸能活動の資料となる。なお、本放送の鈴木出演部分は、DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)に収録されている。
  163. ^ Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第34号(1995年)p.9に「北海道より縦断オンエアー」と記される。
  164. ^ 1995年7月4日(火)および1996年8月2日(木)にNHK BS2で放送されている[311]
  165. ^ 2000年8月25日(金)、2001年1月24日(水)および2002年8月13日(火)に、NHK BS2で東京芸術劇場での公演を録画したものが放送されている[315]
  166. ^ 出演予定が 「山上綾加主演「あいたま」が東京凱旋、声の出演に鈴木早智子」(『ステージナタリー』2018年5月31日0:05)2018年6月17日時点のアーカイブ などで報じられた。

出典

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