ヴィニ・ポンシアとは? わかりやすく解説

ヴィニ・ポンシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 01:22 UTC 版)

ヴィニ・ポンシア
Vini Poncia
基本情報
出生名 Vincent Poncia Jr.
生誕 (1942-04-29) 1942年4月29日(82歳)
出身地 アメリカ合衆国 ロードアイランド州プロビデンス[1]
職業 ミュージシャン、ソングライター音楽プロデューサー

ヴィニ・ポンシアVini Poncia1942年4月29日 - )は、アメリカ音楽プロデューサーソングライターミュージシャン

略歴

1960年代初頭、幼馴染のピーター・アンダースと共に作詞作曲チーム「アンダース&ポンシア」[2]を結成。彼等はザ・ロネッツ、ボビー・ブルーム、ダーレン・ラヴらに楽曲を提供した。1965年には、トレイドウィンズ(The Trade Winds)のメンバーとしてリリースした「New York Is A Lonely Town」[注釈 1]Billboard Hot 100の32位まで上がるヒットとなった。1969年、彼等のオリジナル曲をまとめた『The Anders & Poncia Album』をリチャード・ペリーのプロデュースにより発表した[3]

プロデューサーとしては、メリサ・マンチェスターの一連の作品のほか、リンゴ・スタースキャンダルピーター・クリス[注釈 2]キッス[注釈 3]リンダ・カーターなどを手がけた。

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • The Anders & Poncia Album (1995年、Warner Bros.) ※with ピーター・アンダース

コンピレーション・アルバム

  • 『ポップ・ワークス』 - Anders 'N' Poncia Pop Works (1994年、Victor) ※with ピーター・アンダース
  • Masterworks 1961-1967 (1995年、Brill Tone) ※with ピーター・アンダース

脚注

注釈

  1. ^ 1991年、山下達郎が「Tokyo's A Lonely Town」としてカヴァー.
  2. ^ キッズ在籍時の1978年に発表した初のソロ・アルバムのプロデューサーにポンシアを起用。脱退後の1982年に発表した3作目のアルバム『レット・ミー・ロック・ユー』で再び起用。
  3. ^ メンバーのピーター・クリスのソロ・アルバムをプロデュースしたことをきっかけに、アルバム『地獄からの脱出』(1979年)と『仮面の正体』(1980年)をプロデュースし、ヒット曲「ラヴィン・ユー・ベイビー」「シャンディ」を含む幾つかの収録曲をメンバーと共作した。

出典

  1. ^ "Biographical Timeline" @peteranders.net Retrieved June 7, 2020.
  2. ^ Discogs”. 2024年12月26日閲覧。
  3. ^ Discogs”. 2024年12月26日閲覧。

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