横綱 - 現役引退とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 横綱 - 現役引退の意味・解説 

横綱 - 現役引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:30 UTC 版)

曙太郎」の記事における「横綱 - 現役引退」の解説

横綱土俵入り雲龍型選択東関部屋と同じ高砂一門である九重親方(第58横綱千代の富士)が土俵入り指導行った新横綱1993年3月場所10勝5敗に終わり横綱2場所目の同年5月場所千秋楽結びの一番大関貴ノ花と13勝1敗同士相星決戦惜しくも敗北。それでも横綱3場所目の同年7月場所から11月場所まで、幕内優勝3連覇達成。さらに同1993年は、自身初の年間最多勝獲得その後1994年11月場所に至る迄11場所の間一人横綱維持1994年3月場所では12勝3敗同士新大関貴ノ浪平幕貴闘力との優勝決定戦三つ巴連勝して優勝混戦制した1994年5月場所前、巡業中に武双山との稽古中に左膝を痛めるも、一人横綱責任感から同5月場所強行出場。さらに5月場所9日目の小城錦戦で右膝も故障するが、10日目まで曙ただ一人10連勝していた。しかし11日目当時前頭筆頭貴闘力土俵際引き落とし敗れて金星配給しついに初黒星。翌12日目、前日貴闘力戦で両膝ケガ悪化したため突如途中休場横綱不在となってしまう。場所後両膝手術したがその回復が遅れ、同年7月場所、9月場所は共に全休11月場所で3場所ぶりに復帰し10勝5敗に留まるも、同場所千秋楽結びの一番当時大関貴乃花との取組は、今後大相撲史に語り継がれる歴史的な大熱となった。曙は惜しくも貴乃花土俵際の上投げ敗れたが、福岡国際センター館内は大拍手鳴り止まなかった。また貴乃花はこれで大関で2場所連続全勝30連勝)を達成し場所後横綱昇進決め、翌1995年1月場所からは曙、貴乃花同期生同士二人横綱となった。 なお、曙の横綱土俵入り四股の足がほとんど上がらず、この点では貴乃花比べて見劣りがした(しかし、四股古来足を高く上げるものではなく玉錦以前四股戻ったとも言え本質的な問題ではない。むしろ足を高く上げ土の付いた足の裏を客に見せるのは不浄であるとするのが従来的な概念)。また、土俵中央最後の左の四股前に横に出す手は右手だが、1993年9月場所、横綱4場所目を迎えた曙はなぜか土俵入りの際、左手上げて左の四股踏んだ(これは初日から4日目まで続いた)。しかしたくまし上半身引き立つせり上がりは非常に迫力があり、NHK大相撲中継でも度々アップ映し出された。いかつい顔もせり上がり正面を睨むこの時ばかりは映え総じて魅力ある土俵入り見せたといえる1998年2月行われた長野冬季オリンピックでは、東横綱の貴乃花直前同年1月場所中体調不良途中休場となったため、欠席した貴乃花代役として西横綱の曙が開会式のときに横綱土俵入り演じた1994年5月両膝故障した後は若貴らの活躍や、同じハワイ出身後輩武蔵丸台頭もあって優勝間隔が空くことが多くなり、2001年1月場所の引退までのおよそ6年間で幕内優勝は4回に留まった。特に1997年5月場所の優勝以降3年間は個人後援会結婚反対した末解散し2000年には第2子生まれたが、後援者去って行き私生活でも苦境に立たされていた中での出来事であった後援会解散以降資金難苦しめられ年寄名跡取得できなかった。それでも2000年7月場所初日から13連勝決めて成績13勝2敗)、19場所ぶり10回目幕内優勝達成し復活果たしたが、自身はこれで満足出来たため引退する事を考えたという。しかしその後もう少しだけ頑張ってみよう」と思い直し、翌9月場所終盤まで優勝争い優勝次点に留まったが、千秋楽結びの一番14全勝だった第67横綱武蔵丸唯一の黒星をつけ先輩横綱意地をみせる。次の同年11月場所は、3横綱5大関全員千秋楽まで皆勤し、さらに8力士全て9勝以上の勝ち越しというハイレベルの中、曙は14勝1敗の成績で2場所ぶり合計11回目優勝果たしたが、これが結果的に自身最後幕内優勝となる。その2000年1993年以来7年ぶりに6場所無欠皆勤、かつ2度目となる年間最多勝獲得している。 翌2001年1月場所は、持病となった両膝ケガ悪化により全休その1月場所終了直後2001年1月22日両膝回復これ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退表明する引退について1月場所12日目の夜、東関話し合い東関親方は「もう1度頑張ってみろ」と慰留したが、曙から返事はなかったという。「2人きりの部屋で、黙ったまま長い間見詰め合った。ああ終わりだなと思った」と東関引退の際に語った。「2年前の引退ピンチの時も励まして再起させた。今度昨年2度優勝しているし、励ませば大丈夫と思っていた。でも、ひざの状態は限界を超えていた」と東関限界認めるしかなかった。時津風理事長は「言葉生活習慣の違うところに飛び込み精進して横綱上り詰めたのは立派」とねぎらった上でこの世界では、引退はいつも背中合わせ。曙は新し世紀の場所で、貴乃花あのような土俵見届けて心安らかになれたでしょう」と心情思いやった。2横綱時代となるが「武蔵丸はまだ元気。貴乃花復活5大関このままではない。若い力台頭してこれからいい展開になると思う」と安泰ぶりを強調していた。引退会見での曙は「8〜10勝の平凡な勝ち越しなら出来るが、もう優勝争い不可能」「横綱として足を引きずった惨めな姿で土俵上がりたくない」と決意したという。印象残った本場所として初優勝の場所と2000年2度復活優勝の場所を挙げたまた、後年になって両膝怪我原因が腰にあったことを明かしている(曙の背骨は普通の人間より一つ多く、その背骨摩擦が膝まで来ていた)。ロイター通信は「DAWN夜明け)を意味するアケボノは、コニシキ上の品格備えていたため、タブーとされた外国生まれのグランドチャンピオン横綱)になれた。スポーツ秀でるだけでなく、ウルトラ閉鎖的な相撲世界にも適応したキャリア終えた」と報じAP通信は「ハワイ生まれで、相撲最初外国生まれの横綱引退した横綱昇進時には多く日本人から、横綱日本人じゃなきゃ、と反対された。多く逆風無言しのいだが、ついに輝かしキャリアに幕を下ろした」と紹介した。 元横綱曙の引退相撲は、2001年9月場所後に行われた横綱最後土俵入りには、同期ライバルだった横綱貴乃花が右膝の手術後長期療養中により参加せず太刀持ち横綱武蔵丸露払い武蔵丸と同じ武蔵川部屋当時大関武双山それぞれ務めた。なお曙の断髪式には貴乃花出席し、ほか武蔵丸小錦らが鋏を入れていた。引退後若乃花貴乃花とともに相撲人気を高めた貢献者として、日本相撲協会から功労1億円が贈られた。礼儀正しさ謙虚な態度は「日本人以上に日本人らしい」と評され部屋や一門の別な下位若手積極的に稽古をつける第一人者としての責務真面目に果たしたことなど、親方衆力士からの評価はとても高かった当時横綱審議委員であった内館牧子も「礼儀正しさ感激しました帰り際にもドアの前できちんとお辞儀をし、いつも曙の悪口言ってる自身恥ずかしくなる程でした」と賞賛の意を述べている。

※この「横綱 - 現役引退」の解説は、「曙太郎」の解説の一部です。
「横綱 - 現役引退」を含む「曙太郎」の記事については、「曙太郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「横綱 - 現役引退」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横綱 - 現役引退」の関連用語

横綱 - 現役引退のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横綱 - 現役引退のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの曙太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS