月面での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 21:05 UTC 版)
船外活動の準備は20日23:43に始まった。準備は2時間で済むはずのところ、3時間半と想定よりも長くかかった。地球上での訓練中には、必要とされるものはすべて前もってきちんと並べられていたが、月では、チェックリスト、食料の入った小包、用具のほかにも多くのものが船室内にあった。アームストロングとオルドリンの外に出る準備が整うと、「イーグル」は減圧された。02:39:33にハッチが開いた。初め、アームストロングは船外活動用の生命維持装置(英語版)(PLSS)を身に着けたままハッチを通り抜けようとする際にいくぶん苦労を要した。アポロ宇宙飛行士たちの心拍数は月着陸船のハッチを出入りするときに最高値を記録することがよくあった。02:51にアームストロングは月面へと降り始めた。胸の位置にある遠隔操作ユニット(RCU)のせいで、アームストロングは自分の足元が見えなかった。9段のはしごを降りながら、アームストロングはDの字型のリングを引いて、「イーグル」の側面に折り畳まれていたモジュール装置格納アセンブリ(Modular Equipment Stowage Assembly、MESA:器具収納部)を展開してテレビカメラを起動した。 アポロ11号では、放送用のテレビジョン規格と互換性のない低速度走査テレビジョンが使用されたため、一度特殊なモニタに映像を表示させておき、そのモニタの映像を従来型のテレビカメラで撮影することで本放送されたが、その画質は著しく低減されることとなった。テレビジョン信号はアメリカのゴールドストーンで受信されていたが、オーストラリアのキャンベラ近郊にあるハニーサックル・クリーク追跡基地(英語版)が受信した信号のほうが忠実度が高くて鮮明だった。数分後、通信の中継基地は、より感度が良好なオーストラリアのパークス電波望遠鏡に切り替えられた。幾多の技術的困難と天候不順があったにもかかわらず、史上初の月面での船外活動をとらえた、ぼんやりとした白黒の映像が地球上で受信され、世界中の少なくとも6億人の人々に向けて放送された。この放送形式のビデオの複製物は保存されており、広く入手することが可能だが、低速度走査テレビカメラで撮影されて月から伝送された元の高画質の録画映像(英語版)は、NASAの日常業務で磁気テープを再利用しているうちに誤って破損されてしまったようである。 これは…小さな一歩だが…That's one small step ... この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 アームストロングは、はしごにかけたまま、月着陸船の下降段につけられていた(西半球と東半球の)2つの地球の図と銘刻、および3名の飛行士とニクソン大統領の署名が描かれた記念銘板(英語版)を除幕した。記念銘板には次の文章が刻印されていた。 Here men from the planet Earth first set foot upon the Moon, July 1969 A.D. We came in peace for all mankind.(西暦一九六九年七月、惑星地球より来たる人類、ここ月面に降り立つ。我ら全人類の平和のために来たれり。) 月の表面の塵について「とてもきめの細かい」「ほとんど粉のよう」と説明したあと、着陸から6時間半が経とうとしていた02:56:15にアームストロングは「イーグル」の脚を支えている皿の上に降り立ち、次のように宣言した。 これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind. 「ニール・アームストロング § 月面への第一歩」も参照 アームストロングは "That's one small step for a man" (「男にとっては小さな一歩」)と言うつもりでいたが、通信音声では "a" という単語は聞き取りにくかったこともあって、当初、単語 "a" は生放送を視聴していた人の大多数には伝わっていなかった。のちにこの名文句について尋ねられたとき、アームストロングは "for a man" と言ったと思っていたと述べており、後年発行されたこの句の活字版には、角括弧付きで "a" が含められていた。ある解釈では、 "a" は欠落していたと主張され、彼は訛りによって "for a" の2単語を連続して不明瞭に発音したのだと説明されている。別の解釈では、パークス天文台付近の嵐をその一因とし、地球につないだ映像と音声の断続的性質で "a" の欠落を説明している。より最近のテープ音声のデジタル解析では、 "a" は発言されたかもしれないが、空電のせいでよく聞き取れなかったことが明らかになったと主張されている。 月面に足を踏み入れてからおよそ7分後、アームストロングは細長い棒で土壌サンプルを採取して試料袋に詰め、袋を畳み、右腿のポケットに押し込んだ。これは、万が一緊急時に飛行士たちが船外活動を断念して着陸船に戻らなければならなくなった場合でも、多少なりとも月の土壌を地球に持ち帰れるよう保証するための作戦行動(緊急採集)だった。土壌サンプルの採取が完了して12分後、アームストロングはMESAからテレビカメラを取り外し、月面のパノラマ映像を撮影してから、三脚の上にカメラを載せた。テレビカメラのケーブルには一部に巻きつけられていたときの癖が残っていたため、船外活動中はずっと、それが螺旋状に曲がりくねったところに足を引っかけてつまづくおそれがあった。さらに、ハッセルブラッド製カメラを手に持ったり、アームストロングの宇宙服(アポロ/スカイラブ A7L(英語版))にかけたりして、月面の写真撮影が遂行された。追ってオルドリンがアームストロングに続いて月面に降り立ち、月面の風景について、簡潔な言い方で "magnificent desolation" (荘厳なる荒涼)と表現した。 アームストロングは、地球の6分の1しかない月の重力の中を移動するのは「ひょっとしたら地上での模擬訓練よりもよほど簡単かもしれない……歩き回るのにまったく何の問題もない」と述べた。そこにオルドリンも加わって、両足で踏み切るカンガルー跳びなど、さまざまな歩き方を試した。すると、背中に生命維持装置を背負っているために上体が後ろに反る傾向はあるものの、バランスを取るには大した問題もなく、慣れてくると、むしろ大股で歩くのがよいことが分かった。ただし、移動する際は常に6、7歩先のことを予想して歩く必要があったり、粒の細かい土の部分はかなり滑りやすかったりしたので、注意を要した。また、太陽の照っているところから「イーグル」の影に入ったときには、宇宙服の中の温度はまったく変化がなかったが、ヘルメットの内部は日光で温められていたため、影に入ると冷たく感じられたとオルドリンは報告した。MESAは安定した作業環境を提供することができず、また「イーグル」の影に隠れていたため、作業はいくぶん遅れることになった。2人が作業しているうちに月面を歩いたことで、灰色の砂埃が巻き上げられ、宇宙服の外皮を汚してしまった。 2人はアメリカ合衆国の国旗を含む一組の旗(英語版)を月面上のテレビカメラにはっきりと写るところに立てた。オルドリンはこのときを思い出して「私が月面でしなければならなかったすべての仕事のうち、もっとも順調に運びたかったことは国旗の掲揚でした」と語った。ところが、繰り出し式の伸縮する棒が月面に刺す際に縮んでしまうことに悪戦苦闘し、旗竿は固い月の表面に2インチ(5センチ)ほどしか押しつけられなかった。オルドリンはテレビの視聴者の目の前で旗が倒れてしまいやしないかと心配しながらも、旗に向かってウエストポイント(陸軍士官学校)式の敬礼を行った。そして、オルドリンが星条旗とアームストロングを被写体にした写真を撮るはずだった次の瞬間に、電話無線伝送を通じてリチャード・ニクソン大統領が飛行士たちに話しかけてきた。のちにニクソンはこの交信を「かつてホワイトハウスからかけられた中でももっとも歴史的な通話」と呼んだ。ニクソンは当初、通話中に読み上げる長い演説文を用意していたが、当時NASAの連絡担当官でホワイトハウスにいたフランク・ボーマンは通話を手短に済ませるよう大統領を説得した。 ニクソン: やあ、ニール、バズ。私はホワイトハウスの執務室から電話で君たちに話しかけています。そして、これはきっとこれまでにかけられた中でもっとも歴史的な通話になることでしょう。君たちの成し遂げたことがどれほど私たち皆の誇りに思うことか、言葉では言い表せないほどです。すべてのアメリカ人にとって、今日は生涯でもっとも誇るべき日となることでしょう。そして、世界中の人々もアメリカ国民とともに、これが何と素晴らしい偉業であることかを認めるだろうと私は確信しています。君たちが成し遂げたことで、天空は人間世界の一部となりました。そして、君たちが静かの海から私たちに呼びかけてくれたことで、私たちは地球に平和と静寂をもたらす努力をさらに強くしなくてはならないと奮い立たされます。全人類史の中でかけがえのないこの一瞬に、この地球上のすべての人々は真に一体となります。ひとつには、君たちが成し遂げたことに対する誇り、そしてひとつには、君たちが無事地球に帰還するようにとの祈りであります。アームストロング: ありがとうございます、大統領閣下。合衆国のみならず、平和を愛するすべての国の人々、そして興味や好奇心、未来への展望を持つ人々を代表して、私たちがここにいることは誠に光栄かつ名誉なことです。今日ここにいられることを光栄に存じます。 二人の飛行士は、月震を観測する受動型地震計実験装置(PSEP)と月レーザー測距実験用の再帰反射器(LRRR)を含む、初期アポロ科学実験パッケージ(EASEP)を展開した。その際、オルドリンが2本のコアサンプル(英語版)を集めている間に、アームストロングは着陸船から196フィート(60メートル)歩いて、リトル・ウェスト・クレーター(英語版)の周縁部でスナップ写真を撮った。アームストロングは岩石ハンマーを使用してコアサンプル採取用のチューブを打った。アポロ11号でハンマーが使われたのはこのときだけだったが、6インチ(15センチ)よりも深く貫通させることはできなかった。2人はスコップや伸張式の鋏を使って岩石試料を採集した。月面での活動の多くは想定よりも長引いたため、2人は割り当てられていた34分間の活動時間の中ごろで、採集した試料について文書に記載する手を止めなくてはならなかった。荷崩れしないように、オルドリンは採集した岩石を入れた箱に6キログラム(13ポンド)の土をシャベルですくって入れた。採集された地質試料には玄武岩と角礫岩の2種類の岩石が含まれていたことがわかった。また、採集した岩石試料からは、新種の鉱物としてアーマルコライト、トランキリティアイト、パイロクスフェロアイト(英語版)の3種が発見された。このうち、アーマルコライト(Armalcolite)はアームストロング(Arm)、オルドリン(al)、コリンズ(col)の3名の宇宙飛行士の名にちなんでいる。これらの鉱物はすべて、のちに地球上でも見つかっている。 ミッション管制センターは暗号的な言葉を使用して、アームストロングに代謝率が高めであることを警告し、作業のペースを落とすように伝えた。彼は時間切れになるまで月面を素早く移動しては次から次へと任務をこなしていた。月面を歩行している間は、2人の飛行士の代謝率はおおむね予想されていた値よりも低かったため、管制センターは両飛行士に15分間の活動延長を許可した。2010年のインタビューで、アームストロングは、当時NASAが最初の月面歩行の時間と距離に制限をかけていたことを明かした。その理由は、月面で作業する間に飛行士たちの発する熱を下げるために、背中に備えられた生命維持装置がどの程度の量の冷却水を消費するかについて、経験に基づく裏付けが取れていなかったことによるものだった。
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