月面への第一歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 04:40 UTC 版)
「ニール・アームストロング」の記事における「月面への第一歩」の解説
NASAの飛行手順では、乗組員は船外活動(EVA)をする前に休息を取らなければならないことになっていたが、ニールは休息を取りやめてEVAをヒューストン時間の夜に行うよう要求した。とてもではないが、眠ってなどいられなかった。管制センターは要求を受け容れ、2人はただちに宇宙服を着て船内を減圧した。ハッチを開き、はしごを下り、左足を月面に踏み降ろしながら、1969年7月21日02:56(UTC)、アームストロングは次のように言った。 「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.) 」 "That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind" この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 【右上の動画中のアームストロングの発言内容】 I'm, ah... at the foot of the ladder. The LM footpads are only, ah... ah... depressed in the surface about, ah.... 1 or 2 inches, although the surface appears to be, ah... very, very fine grained, as you get close to it. It's almost like a powder. (The) ground mass, ah... is very fine. いま着陸船の脚の上に立っている。脚は月面に1インチか2インチほど沈んでいるが、月の表面は近づいて見るとかなり…、かなりなめらかだ。ほとんど粉のように見える。月面ははっきりと見えている。 I'm going to step off the LM now. これより着陸船から足を踏み降ろす。 That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind. これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。 ニール自身も認めているが[要出典]、このとき彼は間違えて不定冠詞の "a" を省略してしまった(one small step for man)。確かにこの用法だと、man は「人類」の意味になってしまう(直訳すると、「これは人類にとって小さな一歩だが、人類にとって偉大な飛躍である」になる)。しかし彼は、「もし仮に間違っていたとしても、歴史が私の言い間違いを許す寛容さを持ち、人類が一つになる方向に向かって進むことを希望する」と後日述べている。 一方で音響分析の専門家の中には、失われた「a」の存在を主張する者もいる。オーストラリアのコンピューター・プログラマー、ピーター・シャン・フォードは、「アームストロングは実際には "a man" と言っていたのだが、当時の通信技術には限界があったため "a" は録音されなかったのだ」と分析している。フォードと、ニールの伝記の著者であるR.ハンセンは、この分析結果をニール本人やNASAの代表者たちに提示した。 フォードの論説は自身のウェブサイトでも紹介されているが、言語学者のデビッド・ビーヴァーやマーク・リバーマンはこの意見に懐疑的である 。ニール自身は、文章で引用されるときには冠詞の a の前後に括弧をつけられるのが好みだと表明している。 ニールの声明は「これより着陸船から足を踏み出そうと思う(I'm going to step off the LM now.)」の後に発せられた。それから彼は後ろを振り返り、左足を月面に踏みおろした。彼の言葉はVOA(ボイス・オブ・アメリカ、アメリカ合衆国政府が公式に運営する国営短波ラジオ放送局)から、BBCをはじめ数多くの放送局を通して世界中に発信された。当時の世界の人口36億3,100万人 のうち、およそ4億5,000万人がこの言葉を聞いたとされている 。 「小さな一歩」のくだりについては、ニールは月面に着陸してからの数時間の間に考え、決定していたという。 ニールから遅れること15分、オルドリンも月面に降り立ち、月に立った2番目の男になった。両名は、月の表面では人間はいかに身軽に動けるかということを実感しながら、予定されていた各種の行動を始めた。はじめに彼らの飛行を記念したプレートを月面に置き、次に星条旗を立てた。この旗は宇宙空間でも展開できるように中にワイヤーが織り込まれていたのだが、旗竿を十分に伸ばすことができず、また旗自体もきつく折りたたまれていたため、真空中であるにもかかわらず、たなびいているように見えてしまった。地球では国旗を立てることに関する是非を問う声もあったが、ニールはそんなことは全く気にしていなかった。旗を立てている最中、スレイトンが緊急連絡が入っていることを知らせてきたが、彼はわざとそれがニクソン大統領からのものだということを伏せておいた。 オルドリンは旗を立てるのに手間取り、おまけに大統領から予定外の電話が入ってきたため、写真を撮る暇がなくなってしまった。全計画を通じて撮影された写真のうち、月面で活動するニールをとらえたものは5枚しか残されていない。オルドリンは後に語っているが、この計画の主目的は月面でのニールの写真を撮ることだったのだが、大統領の電話で予定が狂い、むしろ自分が撮影された写真のほうが有名になってしまったという。このハプニングのために予定が5分遅れた。彼らの行動は分刻みでスケジュールされており、ぐずぐずしている暇はなかった。なお11号の月面活動の写真のほとんどは、ニールが持ったハッセルブラッド社製のカメラで撮影された。 科学実験装置を設置した後、ニールは着陸船から60m東にあるイースト・クレーターまで歩いて行った。今回の計画で着陸船から最も遠くに離れる行動だった。彼の月面における最後の任務は、ユーリ・ガガーリン(ソビエト連邦出身の史上初の宇宙飛行士。この前年の1968年3月27日に飛行機事故で死亡)、ウラジーミル・コマロフ(同じくソ連の宇宙飛行士。1967年4月24日、ソユーズ1号の墜落事故で死亡)、そしてアポロ1号の火災事故で亡くなったガス・グリソム、エド・ホワイト、ロジャー・チャフィーらの業績を称えた記念品を収めたパッケージを、オルドリンが月面に置いていくように気を付けることだった。11号の月面での船外活動の時間は2時間半ほどで、全6回のアポロ月面着陸の中で最も短いものだったが、この後の5回のミッションでは徐々に延長され、最後のアポロ17号では合計21時間に達した。
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