言い間違い
★1.あわてたため・馴染みのない言葉のため、などの理由で言い間違いをする。
『松竹梅』(落語) 松五郎・竹造・梅吉が、婚礼の披露宴に招かれる。3人の名前を合わせると「松竹梅」になってめでたいから、彼らは余興で、松五郎「なったなった『じゃ』になった、当家の婿殿『じゃ』になった」、竹造「何の『じゃ』になられた」、梅吉「長者になられた」と唄おうと、練習する。本番では、松五郎・竹造は無事に唄ったが、梅吉は「風邪(ふうじゃ)」「番茶」「大蛇」などと言い間違え、あげくに「亡者になられた」と言ってしまった。
『雪中梅』(末広鉄膓)上編第4回 政治家志望の青年国野基は、友人武田猛に英和辞書『ダイヤモンド』を贈ろうとして、その旨を手紙に記す。ところが、横にいる下宿の主人吝蔵が「ダイヤモンド」を「ダイナマイト」と言い間違えたので、国野基もつられて手紙に「ダイナマイト」と書いてしまう→〔書き間違い〕1b。
『蒙求』71「孫楚漱石」 孫楚は隠遁の志を述べようとして「石に枕し、流れに口すすぐ」と言うべきところを、「石に口すすぎ、流れに枕す」と言い間違えた。友人が誤りを指摘すると、孫楚は「石に口すすいで歯を磨き、流れに枕して俗世に汚れた耳を洗うのだ」と強弁した。
『四つの署名』(ドイル) ワトソンはメアリ・モースタンに心ひかれ、彼女と話す時は、平静な気持ちでいられなかった。彼はアフガン戦争の懐旧談を試みて、「『連発銃』が深夜のテントをのぞきこんだので、それに向けて私は『虎の子供』を発射した」などと、とんちんかんなことを言ってしまった〔*ワトソンは彼女と結婚した後、その時の言い間違いを冷やかされた〕。
『吾輩は猫である』(夏目漱石)9 哲学者八木独仙は10年前の学生時代以来ずっと、無学祖元の偈「電光影裏に春風を斬る」を繰り返している。しかも時々せきこむと「電光影裏」を逆にして、「春風影裏に電光を斬る」と言い間違える。
『宗論』(狂言) 法華宗の僧と浄土宗の僧が、旅の途中で道連れになる。2人は互いに自宗の優れたことを主張して争い、題目と念仏を唱え合う。2人とも夢中になり、気がつくと法華僧が「南無阿弥陀仏」、浄土僧が「南無妙法蓮華経」と唱えていた〔*2人は「法華も弥陀も同じこと。仏の教えに2つなし」と悟って、仲直りする〕。
『精神分析入門』(フロイト)「間違い」第2~3章 衆議院の開院式で、議長が「開会」と言うべきところを、「閉会」と言い間違えた。議長は、「今度の議会は我が党に不利であり、すぐに解散できればよい」と考えていたのだった。また、某夫人は夫の食事について、ある人に「お医者様は、何でも『夫』の好きなものを食べてよい、とおっしゃいましたわ」と言うべきところを、「何でも『私』の好きなものを」、と言い間違えた。この夫人はかかあ天下として有名だった。
★3b.願望ではなく、言葉や概念の近接性によって、言い間違いが起こる。
『虎狩』(中島敦) 友人の趙大煥が「私」に会うとすぐ、「煙草を1本くれ」と言った。ところが彼は煙草を持っており、欲しいのは燐寸(マッチ)なのだった。彼は「誰かに燐寸を借りたい」と思い、それを全身的要求の感覚ではなく、「燐寸」という言葉で記憶していた。そのため「燐寸」という言葉(あるいは文字)が、いつのまにかそれと関係のある「煙草」という言葉(あるいは文字)に置き換わり、言い間違えたのだ。彼は「概念ばかりで考える知識人の通弊だ」と言った。
『禿の女歌手』(イヨネスコ) イヨネスコは処女戯曲に「楽しい英語」「英語の時間」などの題を考えていたが、稽古中に俳優が、「ブロンドの家庭教師( institutrice blonde )」という台詞(第8場)を、「禿の女歌手( cantatrice chauve )」と言い間違えた。その時イヨネスコは「これだ。題は!」と叫び、戯曲の題が決まった。
『十訓抄』第1-39 楊梅大納言顕雅は、よく言い間違いをする人だった。御簾ごしに女房たちと話していた時、時雨が降り出したので、顕雅は「車が降るから時雨をしまえ」と供人に命じた。女房たちは「車軸が降るのかしら。恐ろしい」と言って笑った。
『近目貫』「白雨(ゆふだち)傘」 仕事師の頭(かしら)が雨に降られ、子分に「『傘が降るから雨を寄こせ』と家へ言ってこい」と命じる。それを聞いた殿様が笑い、家老を呼んで、「愚かな下郎が『雨が降るから傘が欲しい』と言った。何とおかしいではないか」と話す。家老は「ヘイ」と答えるだけで笑わない。殿様は「ここで笑うのが遠慮なら、次の間で笑えよ」と言う。
*言い間違いの結果、人間は死んで蘇(よみがえ)ることがなくなった→〔死の起源〕3のレ・エヨの神話(コッテル『世界神話辞典』)。
「言い間違い」の例文・使い方・用例・文例
- すいません。私の言い間違いでした。
- 言い間違いのページへのリンク