日本における死刑囚の一覧 (2000年代)とは? わかりやすく解説

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日本における死刑囚の一覧 (2000年代)

(日本における死刑囚の一覧_(2000-2009) から転送)

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日本における死刑囚の一覧 (2000年代) (にほんにおけるしけいしゅうのいちらん)は、2000年平成12年)から2009年(平成21年)の日本で、刑事裁判によって死刑判決を言い渡され、確定した死刑囚の一覧記事である。

2000年 - 2004年

2000年

2000年平成12年)に死刑判決が確定した死刑確定者は6人である[1][2]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
千葉・高知連続強盗殺人事件 (K) 2000年2月15日[3][4] 1983年8月
1989年2月
1947年(昭和22年)5月21日生まれ[5][6]。本籍地は千葉県千葉市高洲四丁目[7]。1968年4月、神奈川県警察に採用されたが、巡査階級のまま同年11月に依願退職した[8]
1983年8月16日夜、千葉県千葉市松波のバス停でスーパー店員の少女(当時18歳)を「自宅へ送る」と車に乗せ、乱暴した上で紐で絞殺、遺体を千葉県四街道市の水田に遺棄し[8]、現金15000円を奪った[7]。また1989年2月6日には高知県高知市旭町三丁目のバス停で、バス待ちをしていた吾川郡伊野町の銀行員女性(当時24歳)に道案内を頼むふりをして車に誘い、高知市宗安寺まで連れて行って「騒ぐと殺すぞ」などと脅し[7]、山中で乱暴した上、組紐で絞殺し、遺体を高知市行川の道路下に捨て[8]、現金2万円を奪った[7]。このほか、1990年9月8日と同月26日には高知市内で帰宅途中の女性を車に乗せて金を奪おうとするなどしたが、いずれも未遂に終わった[7]
千葉事件と高知事件の間に別の婦女暴行事件を起こし、1985年5月に千葉地裁で懲役4年6月の実刑判決を受けたが、この時点では千葉事件は発覚せず[9]、1990年11月に高知事件で高知県警(高知南警察署)に逮捕され、高知地裁に起訴された後、千葉事件も自供し、千葉地裁へ起訴されたが、後に両事件とも高知地裁で併合審理となった[10]。しかし千葉事件と高知事件の間に婦女暴行事件の確定判決を挟んでいたため[9]、両事件は併合罪にならず、別々に量刑が言い渡された[11]
高知地裁(隅田景一裁判長)で開かれた第一審の公判で、検察官は1993年10月13日、千葉事件で無期懲役、高知事件で死刑をそれぞれ求刑した[9]。同地裁は1994年2月23日、千葉事件で無期懲役、高知事件で死刑(いずれも求刑通り)の判決を言い渡した[7]。同地裁は併合罪が適用されない点に関しては、形式的には2つの事件は別個に評価されることになるが、かつて千葉事件で人命を奪ったことはKの人命軽視や人格、資質を推し量り、責任非難を与える要素として十分考慮されるべきだと評した[7]。高知地裁における死刑求刑・判決は、いずれも「偽装トリプル殺人事件」(1987年12月求刑、1988年3月判決)以来で[9][7]、同地裁は判決理由の中に「娘を元の体で返さない限り、絶対許すことはできない」という被害者遺族の言葉を盛り込んでいた[12]。Fは殺害方法の細部や奪った金品の算定学といった細部について原判決の認定を不服として控訴したが[13]高松高裁(米田俊昭裁判長)は1995年3月30日、控訴棄却の判決を言い渡した[14]
2000年2月4日に最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)で上告棄却の判決を言い渡され[15][16]、同月15日付で死刑が確定[3][4]
2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行(58歳没)[17][18]
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) 2000年2月24日[3][19] 1996年4月 - 9月 1962年(昭和37年)4月生まれ、宮崎県宮崎市出身[20]広島県広島市やその周辺で、営業中のタクシーに女性4人を乗せ、いずれも絞殺して現金を奪い、死体を遺棄した[21]
強盗殺人と死体遺棄の罪に問われ、2000年2月9日に広島地裁戸倉三郎裁判長)で死刑判決を受けた[21]。控訴期限の同月24日0時までに控訴手続きをせず、死刑が確定[22]
2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没)[6]
筑豊保険金殺人事件 (O) 2000年3月30日[3] 1990年12月25日 - 26日 交際相手の女と共謀し、女が経営していた宝石店の店員だった女性(当時20歳:福岡県田川郡赤池町〈現:福智町〉赤池在住)にかけていた保険金(災害死亡時1億円)を手に入れようと計画した[23]
1990年12月25日夜から26日未明にかけ、福岡県田川市かその周辺で、女性の頭を丸太様の物で殴打した上、首をナイフで刺して殺害。さらに同郡添田町かその周辺に駐車した乗用車内で、女が直前に知り合った同郡赤村赤在住の無職男性(当時27歳)の首を包丁で刺して殺害した[23]。その後、被害者2人が無理心中したように装うため、2人の遺体を同郡赤池町の総合運動公園に駐車した車に乗せ、ガソリンをかけて焼いたが、保険金は請求しなかった[23]
2000年3月15日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が同月27日付で控訴したが、同年3月30日にO自身が控訴を取り下げたため、死刑が確定[24]
2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[25]
京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M) 2000年4月24日[3][4] 1990年9月
1991年9月
1951年(昭和26年)2月3日生まれ[6]。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中(現在74歳)[27]
1990年9月6日[28]、実兄(自殺)と共謀して京都府城陽市の従兄弟(当時36歳)宅で従兄弟を絞殺し[29]、遺体を福井県敦賀市の海水浴場に埋め、従兄弟の住宅と土地を転売して2700万円を詐取した[28]。また1991年9月27日[28]滋賀県東浅井郡湖北町(現:長浜市)で知人女性(当時66歳)を殺害し[30]、遺体を福井県美浜町の[29]海水浴場に埋め、土地の権利書[28]、約17万5000万円などを奪った[29]。共犯の兄(主犯とされる)は2件目の犯行直後[29]、逮捕前に自殺[6]
強盗殺人、詐欺、死体遺棄などの罪に問われ[31]、1993年9月17日に大津地裁(土井仁臣裁判長)で死刑判決を受けた[28]。1996年2月21日に大阪高裁(朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決[6]
2000年4月4日、最高裁第三小法廷(奥田昌道裁判長)で上告棄却判決を受けた[32]。判決訂正申立も同年4月21日付の決定で棄却され[33]、同月24日付で死刑が確定[3][4]
弁護団は「胎児性水俣病に由来する知的障害で、裁判手続きを理解できない」と主張して再審請求している[34](2020年2月時点で大津地裁に第8次再審請求中)[30]
アムネスティ・インターナショナル日本支部は2013年の報告書で死刑囚Mについて「大阪拘置所内で車いすを使っているようだ。2008年10月に支援者宛の手紙で『レーダーとマイクロ波で調べられている』など支離滅裂な内容を書き記しているほか、他の死刑確定者たちが自身の弁護人に対しNの健康状態を心配する発言をしている」と述べている[34]。また大阪地裁に対し「再審請求中の死刑執行は『裁判を受ける権利』を保障する日本国憲法第32条に違反する」として執行に応じる義務がないことの確認を求める訴訟を起こしていたが、同地裁(松永栄治裁判長)は2020年2月20日に死刑囚Mの請求を棄却する判決を言い渡した[30]
4都県連続4人殺害事件 (T) 2000年9月25日[3] 1984年11月5日[35]
1988年3月[36]
1989年6月9日[37]
1964年(昭和39年)9月12日生まれ[6]。旧姓M[6]。1984年 - 1991年に関東四国の1都3県で以下の事件を起こした[36]
  1. 1984年11月15日夜[35]香川県香川郡香南町(現:高松市)のポルノショップで店員女性(当時64歳)の応対に腹を立て、包丁で刺殺し、売上金5万円を盗んだ[36]
  2. 1988年3月、徳島県徳島市安宅の暴力団事務所で、仲間の男性(当時21歳)を電気コードで絞殺し、遺体を同市郊外の山中に遺棄した[36]
  3. 1989年6月9日、東京都武蔵村山市榎一丁目の当時の勤務先(自動車メーカー)の社員寮自室で[37]、同僚の少年(当時18歳)の首を紐で絞めて殺害し、現金120万円余を強奪した[36]。また、少年の遺体を千葉県市川市の排水溝に遺棄した[38]
  4. 1991年3月8日13時30分ごろ[39]神奈川県藤沢市辻堂太平台二丁目のおじ宅で[40]、伯母(当時63歳)[36]の首をナイロン製の紐で絞めて殺害し、現金約23,000円や郵便貯金証書などを奪い、遺体を家の床下に捨てた[40]。事業資金欲しさの犯行で[41]、犯行後には伯母の貯金約320万円を引き出すなどした[42]

強盗殺人、死体遺棄など8つの罪に問われ[43]、1994年1月27日に横浜地裁第2刑事部(上田誠治裁判長)で香川事件について懲役12年(求刑:懲役15年)、神奈川・東京・徳島の各事件について求刑通り死刑とする判決を受けた[43][44]。香川事件後の1986年、道路交通法違反の罪で執行猶予付きの有罪判決を言い渡されていたため、刑法第45条(併合罪)[注 1]の規定により、その確定判決の前後で2つの量刑が言い渡された[44]。横浜地裁における死刑判決宣告は1988年3月に宣告された藤沢市母娘ら5人殺害事件の第一審判決以来[45]、6年ぶりで[43]
控訴審では香川・徳島の両事件について「身代わり犯人である」などと主張したが、1995年12月20日に東京高裁佐藤文哉裁判長)で「新供述は信用できない」として控訴棄却判決を受けた[46]
2000年9月8日、最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受けた[42][41]。判決訂正申立も、同年9月22日付の決定で棄却され[47]、同月25日付で死刑が確定[3]
2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[25]。再審請求を棄却され[注 2]、恩赦請求を提出する直前だった[6]。上告審判決および、死刑執行時点ではK姓に改姓していた[41][25]

今市連続殺人事件 (T) 2000年12月26日[3] 1990年9月13日[6]
1993年7月28日[6]
1990年9月13日、栃木県今市市(現:日光市)根室の建設業者男性(当時68歳)が自分の妻を匿っていると思い込み、同県塩谷町内の林道で、ロープで首を絞めて殺害した[50]
また今市市板橋の農業男性(当時74歳)が自分の妻と浮気したと思い込み、かつての職場の同僚と共謀した上で、1993年7月28日未明に男性宅に侵入[50]。男性とその妻(当時68歳)の胸や首を刺して失血死させた上、ガソリンを撒いて火を点け、家を全焼させた[50]。同事件の共犯は第一審で実刑判決が確定している[51]
1998年3月24日に宇都宮地裁(山田公一裁判長)で死刑判決を受けた[50]。弁護人は妄想性障害により、犯行時は責任能力が欠如していたことを主張していたが、宇都宮地裁は犯行後に放火するなど証拠隠滅工作を図っていたことなどから完全責任能力の存在を認めた[50]
2000年12月11日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決を受けた[51]。同判決後に上告せず[52]、同年26日付で死刑が確定[3]
2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[53]

2001年

2001年(平成13年)に死刑判決が確定した死刑確定者は5人である[1][3]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
東京連続強盗殺人事件 (I) 2001年2月16日[3] 1996年6月10日
1999年7月8日
1996年6月10日夜、東京都豊島区東池袋のマンションのエレベーター内で住人の女性(当時40歳)から金を奪う目的で、女性の胸や首などをナイフで刺して殺害した[54]。また1999年7月8日には台東区焼きのメッキ会社社長男性(当時92歳)宅に押し入り、ナイフで男性の首や胸を刺して殺害、現金24万円入りの財布を奪った[54]。前者事件の被害者は職場の上司と婚約し、結婚式直前に被害に遭っており、また後者事件の被害者である社長はIの親戚として自分の会社でIを雇うなどしていた[54]
2001年2月1日、東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受けた[54][55]。判決言い渡し後、「控訴しないでこの刑に従います」と意思表示していた[55]
弁護人が控訴したが[54][55]、同年2月6日付でIが自ら控訴を取り下げたため、控訴期限を過ぎた同月16日付で死刑が確定[56]
2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[53]
富山社長夫婦射殺事件 (S) 2001年2月17日[3] 1991年5月7日[57] 1947年(昭和22年)1月18日生まれ[5]。元歯科医院事務長[58]
元暴力団幹部の男と共謀し[58]、多額の借金を返済するため[57]、知人である人材派遣会社社長宅(富山県富山市向新庄)に押し入り[58]、社長の男性(当時54歳)とその妻(37歳)を殺害して金を奪うことを計画[57]。1991年5月7日4時ごろ、元暴力団幹部が先に社長宅に侵入して裏口の鍵を開け、Sを中に入れると、Sは寝ていた夫妻をそれぞれ大型拳銃で射殺し、約1,200万円が入ったバッグを奪った[注 3][57]。犯行直後、富山市の中学校駐車場で奪った現金を分け、Sが元暴力団幹部に約530万円を渡した[57]
富山県警は「県警史上、稀に見る凶悪犯罪」として、最大で290人の捜査員を投入し、7月29日(事件発生から83日後)に、詐欺容疑で逮捕されていたSら2人を強盗殺人容疑で再逮捕した[58]
1993年7月15日に富山地裁下山保男裁判長)で死刑判決を受け[57]、1997年3月11日に名古屋高裁金沢支部(高木實裁判長)で控訴棄却判決を受けた[6]
2001年1月30日、最高裁第三小法廷(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受ける[58][59]。判決訂正申立も同年2月15日付の決定で棄却され[60]、同月17日付で死刑が確定[3]
富山地裁における死刑判決[61]、および富山県における死刑確定事件は、いずれも富山・長野連続女性誘拐殺人事件女性死刑囚M(1988年に富山地裁で死刑判決、1998年に死刑確定)以来だった[58]。元暴力団幹部は無期懲役判決(求刑:同)を言い渡され[57]、確定[59]
2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没)[53]
木曽川連続強盗殺人事件 (U) 2001年10月12日[3] 1993年2月16日[62]
1993年3月3日[62]
1969年(昭和44年)8月29日生まれ[63]
1993年2月16日、交際していたフィリピン人女性に送る金欲しさに、愛知県葉栗郡木曽川町黒田(現:一宮市木曽川町黒田)の資材置き場で、同町の大工男性(当時26歳)の頭部を金属バットで殴って瀕死の重傷を負わせ、当時住んでいた一宮市の自宅に運んで死亡させ、現金4,000円を奪った。同月19日、遺体を中島郡祖父江町(現:稲沢市)の馬飼大橋から木曽川に遺棄した[62]
また3月3日、一宮市大和町でラーメン屋台を開いていた尾西市(現:一宮市)の男性(当時58歳)の頭部をバットで殴り、売上金など13万5,000円を奪った後、馬飼大橋から木曽川に投げ込んで死亡させた[62]。このほか、強盗致傷1件・窃盗5件の余罪がある[63]
第一審では起訴事実を全面的に認めたため、量刑のみが争点となり、1994年5月25日に名古屋地裁一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受けた[62]。名古屋地裁で言い渡された死刑判決は、1989年6月に宣告された名古屋アベック殺人事件の被告人(最終的に無期懲役が確定)に対する第一審判決以来、5年ぶりだった[64][65]
弁護人は控訴審で、事件当時は被告人Uは確定的な殺意を有しておらず、心神耗弱状態だったとする新主張を展開したが[66]、1996年7月2日に名古屋高裁刑事第2部(松本光雄裁判長)で[67]控訴棄却の判決が言い渡された[68]
2001年9月20日に最高裁第一小法廷(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受ける[69]。判決訂正申立も、同年10月10日付の決定で棄却され[70]、同月12日付で死刑が確定[3]。上告中の1997年6月以降、愛知郡長久手町在住の主婦(2001年11月時点で39歳)と週3回程度の面会や文通を続けていたが、死刑確定後の2001年10月23日の面会が最後の面会となり、翌24日付で面会を禁止された[71]
2003年2月27日朝から収監先の名古屋拘置所内でめまいや頭痛などの症状を訴え[72]、翌28日に同所の独居房内で病死(33歳没)[73]
市川一家4人殺害事件 (S) 2001年12月21日[3][74] 1992年3月5日 - 6日[75] 1973年(昭和48年)1月30日生まれ[76]少年死刑囚[77](犯行時19歳1か月)[75]
1994年8月8日に千葉地裁刑事第1部(神作良二裁判長)で死刑判決を受けた[75]
1996年7月2日、東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決を受けた[78]
2001年12月3日、最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告棄却の判決を受けた[79]。判決訂正申立も同月20日付の決定で棄却され[80]、同月21日付で死刑が確定[3]
死刑確定から16年後の[81]2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[82]。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった[83]
犯行時少年の被告人に対する死刑求刑・判決は、ともに名古屋アベック殺人事件の主犯格に対してなされて以来、約5年ぶりで[84][85]、死刑確定・執行はともに連続射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)の永山則夫以来である[82]
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) 2001年12月21日[3][86] 1988年1月15日 1940年(昭和15年)1月24日生まれ[76]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[76]
兵庫県赤穂市の中学校を卒業後、大阪府大阪市や赤穂市内の材木店・プラスチック加工会社・運送会社などを転々としたが、18歳だった1957年(昭和32年)7月に赤穂市内で強盗事件を、翌1958年(昭和33年)には強盗殺人未遂事件を起こして服役[87]。出所後の1968年(昭和43年)9月19日白昼[87]、大阪市天王寺区上本町七丁目[88][89]の高層アパート[87]住都公団「上六ビル」)4階の階段で[88]、女性(当時24歳)を刺殺して100円を奪い、強盗殺人罪で無期懲役の判決を受けた[87]。1970年3月、最高裁で無期懲役判決が確定し、大阪刑務所に服役した[88]
1987年4月30日に仮出所してからは土木作業員として働いていたが、同年暮れに辞め、仮出所時に持っていた80万円や、正月に兄からもらった2万円も遣い果たし、生活費に困った末に犯行におよんだ[87]。1988年1月15日夜、大阪市営地下鉄中央線谷町四丁目駅(大阪市中央区)通路で、帰宅途中の女子短大生(当時19歳:同志社女子短期大学1年生)を強盗目的で刺殺した[87]。また、1987年8月には大阪市天王寺区のマンションで女性を刺して約1か月の重傷を負わせ、同年9月にも同区内の別のマンションでOLを鉄パイプで殴打し、約2週間の怪我を負わせてバッグを奪うなどした[90]
1991年2月7日に大阪地裁第6刑事部(米田俊昭裁判長)で死刑判決を受けた[91]。控訴したが、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[90]
2001年12月6日に最高裁第一小法廷(深澤武久裁判長)で上告棄却判決を受けた[92]。判決訂正申立も同月19日付の決定で棄却され[93]、同月21日付で死刑が確定[3][86]
死刑確定から約6年8か月後の[94]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[95]

2002年

2002年(平成14年)に死刑判決が確定した死刑確定者は3人である[1][3]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (C) 2002年7月9日[3] 1992年5月30日[76] 1961年(昭和36年)2月13日生まれ[76]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在64歳)[96]
中国国籍で、1992年5月30日に下記のHやもう1人の中国人の男と共謀し、東京都多摩市関戸二丁目のビルのエレベーター内で、1階のパチンコ店の売上金を4階の事務室まで運ぼうとしていた同店従業員の男性2人(当時39歳、および同43歳)をサバイバルナイフなどで刺殺した。また、事務室から駆けつけた同店専務の男性(同36歳)も刺殺し、エレベーター内にあつまた売上金の一部である234万円を奪った[97]。主犯格は国外へ逃亡し[76]、国際指名手配されている[97]
強盗殺人罪に問われ、1995年12月15日に東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)で下記のHとともに死刑判決を受けた[97]。2人とも控訴したが、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[98]
2002年6月11日、最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け[99]、同年7月9日付で死刑が確定[3]。最高裁で外国人の被告人に対する死刑判決が確定した事例は、統計が残る1966年以降では初[99]
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H) 2002年7月9日[3] 1992年5月30日 1964年(昭和39年)10月3日生まれ[76]。上記共犯Cと同じく中国籍で[97]、判決期日はいずれも同上[76]
2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在60歳)[96]
川口バラバラ殺人事件 (Y) 2002年10月24日[3][100] 1999年1月9日 1949年(昭和24年)5月23日生まれ[101][76]秋田県横手市出身[102]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在75歳)[96]
1978年に千葉県松戸市で生活保護を受給していた男性を殺害して現金などを奪った事件を起こし、同年9月に強盗殺人罪で無期懲役判決を受けた[102]。服役先・岐阜刑務所内では模範囚で、母親が身元引受人となったことから1998年1月に仮釈放されたが、出所後は半年ほどで再就職先を退職した一方、被害者女性がアルバイトをしていたスナックなどで飲み歩き、自分が渡した小遣いに被害者から不満を言われたことなどに激昂して被害者を殺害した[102]
2001年6月28日にさいたま地裁で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で一審破棄・死刑判決[76]
弁護人が上告したが、本人が同年10月24日付で自ら上告を取り下げたため確定[100]。その後、死刑囚Yは東京高裁に対し「上告取り下げは無効」と主張して最高裁への事件送付を申し入れる申入書・上告審の弁護人選任届を提出し、東京高裁は事件記録を最高裁に送付したが、最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は2007年12月17日付の決定で「上告取り下げは有効であり、上告は取り下げにより既に終了したものである」として、死刑囚Yの申し立てを棄却した[103]

2003年

2003年(平成14年)に死刑判決が確定した死刑確定者は2人である[1][104]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
江戸川の母娘殺害事件 (F)[105][106] 2003年1月29日[107] 1999年4月19日[108] 1965年(昭和40年)6月6日生まれ[109]
1999年4月19日16時30分ごろ[108]東京都江戸川区東小岩の知人女性(当時91歳)宅を訪ね[110]、応対した次女(当時65歳)に借金を申し入れたが断られたため、母娘2人を包丁で刺すなどして殺害し、室内を物色した[106]。この犯行前には交際相手の女性に渡す金を得るため、1999年1月 - 4月にかけて「父親の入院費が必要だ」などと嘘をつき、後述の職場の同僚女性から現金計538万円を詐取した[108]。逃走後、元交際相手の女性から逃走資金などのために419万円を騙し取った[108]
1997年12月から読売新聞販売店で勤務していたが、事件後の5月6日に警視庁小岩警察署の捜査本部から事情聴取を受けた直後から行方不明になり、逮捕前の同月上旬には販売店を解雇されている[111]。被害者の母娘は契約更新などでFと面識があった[111]
強盗殺人と詐欺の罪に問われ、2001年3月21日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受けた[106][108]。弁護人が判決を不服として控訴したが[112]、東京高裁(高橋省吾裁判長)は同年12月19日に控訴棄却の判決を言い渡した[113][114]
上告していたが、2003年1月に上告を取り下げたため死刑が確定[115][116]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[117][76]
附属池田小事件宅間守 2003年9月26日[118] 2001年6月8日[119] 1963年(昭和38年)11月23日生まれ[120][121][122]
2001年6月8日10時過ぎ、大阪府池田市大阪教育大学附属池田小学校に侵入し、校舎1階の4教室で2年生の女子児童7人、1年生の男子児童1人の計8人を出刃包丁で刺殺、児童13人と教諭2人にも重軽傷を負わせた[119]。この事件のほか、2000年10月にホテル従業員に重傷を負わせた傷害事件など3事件でも起訴されている[119]
宅間には統合失調症の診断歴や措置入院歴があったが、本人は事件後「病気を装った」などと供述している[119]。事件をきっかけに「学校の安全」を巡る論議が起き、心神喪失者等医療観察法成立のきっかけにもなった[119]
殺人・殺人未遂などの罪に問われ、2003年8月28日、大阪地裁(川合昌幸裁判長)で死刑判決を受けた[119]。同年9月10日に弁護団が大阪高裁へ控訴したが[123]、本人が同月26日に控訴を取り下げたため、死刑が確定した[118]
死刑確定後の2003年12月中旬、支援者の女性(当時30歳代)と獄中結婚し[124]、「吉岡」に改姓[125]。死刑確定からわずか1年足らずの2004年9月14日、大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[125]

2004年

2004年(平成16年)に死刑判決が確定した死刑確定者は14人である[1][126]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
警察庁広域重要指定121号事件 (W) 2004年5月25日[107] 1993年10月27日 - 12月20日[76] 1968年(昭和43年)12月14日生まれ[76]。中国系のマレーシア国籍で、2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在56歳)[96]
東京都群馬県滋賀県など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた[127]
刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で死刑判決を受ける[76]。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決[76]
2004年4月19日[76]、最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)で[127]上告棄却判決を受け[76]、判決訂正申し立ても棄却されたため[127]、同年5月25日付で死刑が確定[107]
共犯Mは2005年9月に死刑が確定[76]
神奈川2件強盗殺人事件 (I) 2004年5月8日[107] 1988年12月28日[76]
1989年1月1日[76]
1937年(昭和12年)10月25日生まれ[76]岩手県久慈市出身[128]
1988年12月28日、神奈川県平塚市内でタクシーに乗車し、同日夜、小田原市早川の小田原漁港前の路上でタクシーを停車させた上で、運転手の男性(当時44歳)の首などを持っていたペティナイフで刺し、運転手を殺害したが、現金強奪は未遂に終わった[128]。翌1988年1月1日未明、神奈川県大井町上大井の建設従業員宿舎で寝ていた作業員の男性(当時39歳)の顔などをカッターナイフで刺し、現金28000円を奪った上で灯油を撒いて放火し、男性を焼死させた[128]
強盗殺人・現住建造物等放火の罪に問われたが[129]、有力な物的証拠はなく、検察官は捜査段階における自白調書や状況証拠などを根拠に有罪を主張した[128]。一方、1989年4月14日に開かれた第一審の横浜地裁小田原支部における初公判で、Iは小田原事件について「タクシーに乗ったこともなく、殺してもいない」と否認し、大井町の事件に関しても被害者を刃物で刺したことを否認した[128]。その後、1995年6月30日の第57回公判では両事件とも全面的に犯行を否認した[128]。検察官からは死刑を求刑されたが、同地裁支部(萩原孟裁判長、同地裁支部長の畠山芳治裁判長が代読)は1996年3月8日の判決公判で、小田原事件についてはIと犯行を結びつける物的証拠がないとして無罪とした上で、大井町の事件については有罪と認定、Iを無期懲役とする判決を言い渡した[128]
検察官が控訴したところ、東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日、小田原事件については捜査段階での自白内容が好き人できる事実に符合しており、体験者でなければ語れないような作品性が含まれていることから、信用性に疑いはないと指摘し、また大井町の事件における自白にも秘密の暴露が含まれるとして、原判決を破棄して両事件ともIの有罪を認定、Iを死刑とする判決を言い渡した[130]
2004年4月27日、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)が上告棄却の判決を言い渡し[131]、判決訂正を申し立てず、同年5月8日付で死刑が確定[132][107]
再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死(72歳没)[76]。死因は肺炎で、同年9月初旬から発熱などを訴え、容体が悪化していたという[133]
藤沢市母娘ら5人殺害事件 (F) 2004年6月26日[107] 1981年10月6日
1982年5月27日
1982年6月5日
1960年(昭和35年)8月21日生まれ[134]
1981年10月から1982年6月までの10か月間に、神奈川県・兵庫県で以下の殺人事件3件を起こし、計5人を殺害した[135]。また10回(被害総額320万円)の窃盗(ひったくり)事件を起こした[135]。一連の連続殺人事件は警察庁により、112号事件に指定された[136]
  1. 少年院仲間でひったくり共犯の男性(当時20歳)が自分の財布から現金20万円を抜き取ったことから、1981年10月6日5時過ぎ、神奈川県横浜市戸塚区中田町のキャベツ畑で、男性を刺身包丁で刺殺した[135]
  2. 1. 事件後、茅ヶ崎市内で声をかけて知り合った女子高生A(当時16歳、県立茅ヶ崎高校2年生)から交際を断られ、Aの自宅に押しかけたり無言電話をかけたりなど執拗につきまとったところ警察に通報されたことなどを逆恨みし、1982年5月27日20時過ぎ、少年院仲間の少年(当時19歳)とともに藤沢市辻堂神台のA宅に押し入り、包丁2本と繰り小刀でAと母親(当時45歳)、中学2年生の妹(13歳)の母娘3人を刺殺した[135]
  3. 2. 事件を起こして逃走中の1982年6月5日21時30分ごろ、兵庫県尼崎市西大物町のマンションで、2. 事件の共犯である少年を犯行の口封じのため、繰り小刀で刺殺した[135]

殺人などの罪に問われ、1988年3月10日に横浜地裁(和田保裁判長)で死刑判決を言い渡された[135]東京高裁に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた[136]。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した[136]
最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)で2004年6月15日に上告棄却の判決を言い渡され[137]、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず[138]、同年6月26日付で死刑が確定した[107]
2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[117][134]

警察庁広域重要指定118号事件 (O) 2004年7月15日[107] 1986年7月[134]
1989年7月[134]
1991年5月[134]
1953年(昭和28年)6月30日生まれ[134]
118号事件の主犯格で元岩手県警警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された[134]
下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、福島地裁(井野場明子裁判長)で死刑判決[134]
1998年3月17日に仙台高裁(泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け[134]、同年7月15日付で死刑が確定[107]
死刑確定後に東京拘置所へ移送されたが[注 4]、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死(60歳没)。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった[134]
警察庁広域重要指定118号事件 (S) 2004年7月15日[107] 1986年7月[134]
1989年7月[134]
1991年5月[134]
1940年(昭和15年)7月25日生まれ[134]
上記O・下記K両加害者の共犯者[134]。裁判経緯はO・Kと同一[134]
2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所[注 5]医務棟で急性肺炎により病死(73歳没)。
警察庁広域重要指定118号事件 (K) 2004年7月15日[107] 1986年7月[134]
1989年7月[134]
1991年5月[134]
1943年(昭和18年)2月10日生まれ[134]
上記O・S両加害者の共犯者[134]。裁判経緯はO・Sと同一[134]
死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死(67歳没)[142]
徳之島兄家族殺傷事件 (N) 2004年8月26日[107] 2002年8月16日 1970年(昭和45年)5月7日生まれ[134]。2004年6月18日に鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定[134]。死刑確定から約3年5か月後の[143]2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行(37歳没)[134]
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) 2004年9月22日[107] 1989年10月10日[134]
1991年12月26日[134]
1947年(昭和22年)3月11日生まれ[134]
1995年5月19日に大津地裁(中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴棄却判決[134]
2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け[134]、同月22日付で死刑が確定[107]
死刑確定から約3年6か月後の[144]2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[134]
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三)[145] 2004年10月15日[107] 1988年1月9日 1958年(昭和33年)9月3日・大阪府大阪市西成区生まれ[146](旧姓:河村)[134]。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳)[注 6]を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画[147]。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして京都府南山城村の山林に埋めて遺棄した[147]
刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが[147]、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった[145]大阪地裁(谷村充祐裁判長)は[134]「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定[注 7][145]、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決[134]
2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け[134]、同年10月15日付で死刑が確定[107]
死刑確定後に旧名「河村啓三」名義でインパクト出版会から著書『こんな僕でも生きてていいの』[148]『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』[149]『落伍者』を出版[150]
2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが[151]、請求中の[134]2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[152][153]
コスモ・リサーチ事件 (S)[145] 2004年10月15日[107] 1988年1月9日 1951年(昭和26年)9月16日生まれ[134]。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上[134]
2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(67歳没)[152][153]
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) 2004年11月11日[107][154] 1997年4月18日 1942年(昭和17年)5月15日生まれ[145]。1976年に広島県広島市内で家出中の女子高生を殺害し、懲役10年の刑に処されるなど、複数の前科があった。
第一審・東京地裁山室惠裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが[155]、控訴審・東京高裁仁田陸郎裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた[156]
2004年10月13日、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)で上告棄却判決を受けた[157]。判決訂正申立も同年11月10日付の同小法廷決定で棄却され[158][159]、同月11日付で死刑が確定[107][154]
死刑確定から約3年2か月後の[143]2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行(65歳没)[145]
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) 2004年11月13日[107][154] 2002年7月19日[160] 1966年(昭和41年)5月19日生まれ[160]
別れた前妻らを保護していた群馬県前橋保健福祉事務所に面会を強要するため、通行中の女性を人質にすることを計画し、2002年7月19日、群馬県勢多郡大胡町(現:前橋市大胡町)の女子高生(当時16歳[161]:前橋東商業高校2年生[162])を車に連れ込み、勢多郡宮城村柏倉(現:前橋市柏倉町)の山林で逃げようとした女子高生の首を絞めて殺害した[161]。被害者の遺体を赤城山中に遺棄した上で[162]、同日から20日にかけて被害者から奪った携帯電話を用い、被害者の両親に身代金を要求する電話をかけ、父親から23万円を受け取ったが[161]、直後に恐喝容疑で逮捕され、同月23日に殺害を自供した[162]
殺人、営利目的等略取など9つの罪に問われた[161]。第一審の前橋地裁久我泰博裁判長)は2003年10月9日、犯行に綿密な計画性が認められない(殺害は逃亡を阻止しようとして偶発的に行われたものである)こと、Sに謝罪や反省の気持ちが芽生えていることなどから、死刑求刑に対し無期懲役の判決を言い渡した[161]。判決後、久我は傍聴席にいた被害者の遺族に対し「犯罪者が人を殺すのは簡単なことだが、国家が死刑判決を下すのは大変なこと。納得はいかないと思いますが、そういうことです」と説諭していた[163]
量刑不当を主張した検察官と、自ら死刑を希望したSの双方が控訴したところ[164]、東京高裁(白木勇裁判長)は2004年10月29日の判決公判で、犯行は計画性こそ認められないが成り行きに任せたものであり、偶発的とは言えないと指摘し、また理不尽な犯行動機・残忍な犯行から、反省の気持ちが芽生えていることを考慮しても死刑はやむを得ないとして原判決を破棄自判、死刑の控訴審判決を言い渡した[165]。弁護人は上告の意向を表明していたが[165]、S自身は仮に弁護人が控訴しても取り下げる旨を表明しており[166]、上告期限の11月12日までに上告手続きをせず、死刑が確定した[167]
死刑確定から約3年4か月後の[144]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[164]
室戸市の保険金ダブル殺人事件 (S)[168][169][170] 2004年12月14日[126] 1987年1月17日[169]
1992年8月19日[169]
1927年(昭和2年)6月21日生まれ(死刑確定時77歳)[160]女性死刑囚としては最高齢。
多額の借金返済に行き詰まったことから、1985年ごろから夫を殺害して多額の保険金を得ようと計画、そのために被害者の夫と結婚した[169]。1987年1月17日夜、妹夫婦と共謀し[169]高知県室戸市吉良川町の自宅で[171]、夫(当時54歳)に酒を飲ませて泥酔させた[169]。Sは庭で漬物石を使って夫の頭を殴打し、離れの部屋に運んで妹夫婦と3人がかりで頭を枕に押し付け窒息死させた。翌日、医師に虚偽の届け出をして急性心不全とする診断書を書かせ、計5,000万円余りの保険金を詐取した[169]。また1992年8月19日未明、元保険代理店員の男Xと共謀し、自宅隣のスナック内で寝ていた従業員の女性(当時60歳)の頭を漬物石で複数回殴打し、男が女性の口などをふさいで窒息死させた[169]。更に交通事故を装うため、遺体を自宅前の国道55号に遺棄し、保険金3500万円を詐取しようとしたが未遂に終わった[169]。さらに1989年7月から1993年6月にかけ、妹夫婦やXと共謀し、交通事故や失明を装って計約3758万円の保険金を詐取した[169]。またXは顧客の保険金約57万円を横領した[172]
Sは殺人、死体遺棄、詐欺、詐欺未遂の罪に問われた[173]。Sと妹夫婦はは第一審の途中から夫殺害を否認し、またXもスナック従業員殺害の実行を否認したが、高知地裁(竹田隆裁判長)は1998年7月29日、検察官の起訴状通り犯罪事実をすべて認定し、Sを死刑、妹夫婦を無期懲役(以上いずれも求刑通り)、Xを懲役15年(求刑:懲役20年)とする有罪判決を言い渡した[169]板倉宏は71歳での死刑判決は、女性では明治以降では最高齢であろうと評している[169]。また高知地裁における死刑判決は、1994年2月の女子行員殺害事件第一審判決(2000年に確定)以来で[169]、死刑確定も同事件以来である[174]
4被告人とも控訴したが、高松高裁(島敏男裁判長)は2000年9月28日、控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[170]。戦後、控訴審で70歳超の高齢者に死刑判決が言い渡されたのは極めて異例とされる[170]。4人とも上告したが、妹夫婦は同年10月19日までに上告を取り下げ、無期懲役が確定[175]
Sは2004年11月19日に最高裁第二小法廷(津野修裁判長)で上告棄却の判決を言い渡された[174][173][171]。Sの弁護人は判決を無期懲役に訂正するよう申し立てたが、この判決訂正申立は同年12月13日付で棄却され[176]、翌14日付で死刑が確定[177]。1966年以降、70歳以上の被告人が上告審で死刑判決を言い渡された初の事例である[169][171]。またXも同年11月26日までに同小法廷(津野修裁判長)から上告棄却の決定を受け、懲役15年の判決が確定した[172]
大阪拘置所に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり[178]、同年12月に大阪拘置所から大阪医療刑務所へ移送された[179]。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため大阪医療刑務所で死亡(83歳没)[178]
福岡連続強盗殺人事件 (H) 2004年12月23日[177] 1995年4月18日 1951年(昭和26年)7月2日生まれ[160]。2020年9月27日時点で[26]福岡拘置所に収監中(現在73歳)[180]
1995年4月に福岡県大牟田市で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に福岡高裁小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[160]
2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け[160]、同月23日付で死刑が確定[177]

2005年 - 2009年

2005年

2005年(平成17年)に死刑判決が確定した死刑確定者は11人である[1][177]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
フィリピン人2女性殺害事件 (M) 2005年1月21日[181][182] 1998年12月25日 1953年(昭和28年)12月14日生まれ[183]。本籍地は奈良県大和高田市礒野東町[183]
旧姓S[183]。2020年9月27日時点で[26]名古屋拘置所に収監中(現在71歳)[注 8][180]
1998年11月に三重県松阪市でフィリピン人女性2人(いずれもスナック従業員[185]・20歳代[注 9])を絞殺して現金13,000円とネックレス(時価合計約25万円相当)などを奪ったほか[186]、1998年5月には愛知県名古屋市内のパチンコ店[注 10]へ侵入し[185]、従業員1人の頭部を木刀で殴って重傷(全治6か月)を負わせ、売上金1,920万円余りを奪ったとして、強盗殺人罪・建造物侵入罪・強盗致傷罪に問われた[186]
2000年3月1日に共犯者3人とともに津地裁(柴田秀樹裁判長)で共犯者2人とともに死刑判決を受け[185]、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決[160]。2004年12月14日に最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け[186]、同月24日に判決訂正申立書を提出したが、2005年1月21日に申立てが却下され[184]、同日付で死刑判決が確定[181][182](同月14日を死刑確定日とする文献もある[187][188])。
死刑確定後の2015年には親族へ飴・食パンなどに付属している応募券19枚を郵送しようとしたり、知人からネガフィルムの差し入れを受けようとしたが、いずれも拘置所側から不許可にされたことで精神的苦痛を受けたとして国家賠償請求訴訟を起こし、2017年4月13日に名古屋高裁(藤山雅行裁判長)で一部勝訴の判決(賠償金額22,500円)の判決を受けた[189]
ともに第一審で死刑判決を受けた共犯者のうち1人は公判途中(2000年10月)に死亡し[185]、もう1人は控訴審(名古屋高裁・2001年5月14日判決)で「殺害実行犯としての責任は重いが、従属的な面がある」として、死刑判決を破棄され無期懲役判決を受けた[190]
仙台・徳島保険金殺人事件 (Y) 2005年2月5日[177] 1985年11月12日[191]
1990年3月24日[191]
1935年(昭和10年)6月10日生まれ[160]香川県大川郡長尾町の元縫製工[191]
徳島県鳴門市の男と共謀し、宮城県仙台市泉区南中山に在住していた知人の日本画家の妻である女性A(当時49歳)を殺害して保険金を得ることを計画した[191]。1985年11月12日、自身の妻と共謀した上でA宅を訪れ、Aを腰紐で絞殺し[192]、妻に手伝わせて首吊り自殺に偽装[193]、保険金を詐取した[191]。また1990年3月24日には愛媛県松山市の男と共謀し、徳島県板野郡板野町の山林で、自身の知人であり、Aの甥でもある香川県木田郡牟礼町の男性B(当時48歳)を[191]、鉄アレイで殴るなどして殺害し[192]、事故死に偽装した[191]
殺人罪に問われ、第一審の高松地裁では検察官から死刑を求刑されたが、同地裁(重吉孝一郎裁判長)は1997年2月18日、矯正の可能性が皆無であるとは断定できないとして死刑求刑を退け、無期懲役とする判決を言い渡した[191]。検察官が控訴したところ、高松高裁(島敏男裁判長)は2000年10月26日に原判決を破棄し、Yを死刑とする判決を言い渡した[192]
2005年1月25日に最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)で上告棄却の判決を言い渡され『読売新聞』2005年1月25日東京夕刊社会面19頁「保険金狙い2人を殺害 上告棄却、死刑確定へ/最高裁」(読売新聞東京本社)、同年2月5日付で死刑が確定[177]
Yの妻は殺人幇助罪で懲役3年の刑が、松山市の男は殺人罪で懲役11年が確定[192]。鳴門市の男は無期懲役を求刑され、第一審で懲役13年、控訴審で懲役15年の判決を言い渡され、上告棄却により確定[194]
死刑確定から約3年4か月後[195]、2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)[160]
岩井市の同級生2人殺害事件 (M) 2005年2月16日[177] 1989年8月9日[196]
1989年9月13日[196]
1967年(昭和42年)12月6日生まれ[160]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在57歳)[180]
1989年8月9日1時30分ごろ、茨城県岩井市辺田(現:坂東市辺田)の農道上で自分の車にガソリンを撒いて燃やし、それとほぼ同時刻ごろ、市内の残土置き場で中学時代の同級生である男性A(当時21歳)を出刃包丁で刺殺して埋め、Aが車を燃やした犯人であるかのように偽装し、Aの母親を執拗に脅迫したほか、保険会社からも車両保険金490万円を詐取した[196]。また同年9月13日4時過ぎには男Xと共謀し、自身と小中学校で同級生だった男性B(当時21歳)を連れ出してワゴン車に監禁した上、シートに縛り付けた状態で首を絞めて殺害し、一般廃棄物処理場に遺棄した[196]。また、殺害前にBに書かせておいた「Aに指示して放火させた」という誓約書でBの家族を脅迫した[196]
Mは殺人、死体遺棄、恐喝などの罪に、Xも殺人、監禁の罪に問われた[196]。両被告人は捜査段階で犯行を自供したが、初公判では殺人は少年院時代の知人の犯行であり、その仲間が車を燃やしたとして、殺人、死体遺棄、詐欺については無罪を主張した一方、検察官はMに死刑、Xに懲役12年をそれぞれ求刑していた[196]。1994年7月6日、水戸地裁下妻支部(小田部米彦裁判長)は捜査段階の被告人らの自白は信用できると認定し、Mを死刑、Xを懲役12年とする判決を言い渡した[196]。水戸地裁における死刑判決の言い渡しは日立女子中学生誘拐殺人事件の死刑確定者に対する第一審判決(1980年2月8日)以来14年ぶり、17人目である[197]。2人とも控訴したが、1999年5月6日の控訴審第30回公判で、Mはそれまでの公判供述を翻し、殺人2件は自身の犯行であること、XはBの監禁に関与したのみで殺害には関与していないことを供述した[198]。2001年5月1日、東京高裁(河辺義正裁判長)は2被告人の控訴を棄却する判決を言い渡した[199]
Mは上告したが、2005年1月27日に最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を言い渡され[200]、同年2月16日付で死刑が確定[177]
資産家老女ら2人殺害事件 (A) 2005年3月23日[177] 1989年10月1日 - 4日 1946年(昭和21年)12月14日生まれ[160]。旧姓O[160]
第一審・東京地裁(山崎学裁判長)では1999年3月11日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・東京高裁(吉本徹也裁判長)では2001年5月17日に一審破棄・死刑判決を受けた[160]
2005年3月3日に最高裁(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け[160]、同月23日付で死刑が確定[177]
死刑確定から約3年後の[144]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)[160]
オウム真理教事件宮前一明 2005年5月7日[177] 1989年2月 - 11月3日 1960年(昭和35年)10月8日生まれ[160]。旧姓は岡崎および佐伯[160]オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。
刑事裁判では自首の成立は認められたが量刑は減軽されず、1998年10月23日に東京地裁(山室惠裁判長)で死刑判決[160]。2001年12月13日には東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[160]
最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため[201]、同月7日付で死刑が確定した[177]
2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[202]、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)[160]
スナックママ連続殺人事件 (N) 2005年6月29日[177] 1991年(12月13日 - 12月28日) 1956年(昭和31年)1月14日[160]鳥取県鳥取市西品治生まれ[203]。警察庁広域重要指定119号事件[160]
18歳の時(1974年7月6日)に鳥取市永楽温泉町で殺人事件を起こし、1975年2月に鳥取地裁で懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決を受けた前科がある[203]。1984年6月に松江刑務所を仮出所したが、同年9月にも永楽温泉町で強盗致傷事件を起こして1985年1月に懲役7年の判決を受け、1991年10月に鳥取刑務所を出所してから約2か月後の犯行[203]
兵庫県姫路市(12月12日)・島根県松江市(21日)・京都府京都市(26日に2件)で相次いでスナックママ4人を殺害[204]。4件の強盗殺人事件を起こした後、指名手配中の1992年1月5日には大阪府大阪市天王寺区で落語家・3代目桂あやめを襲撃して現金14万円を奪う強盗殺人未遂事件を起こし[205]、同月7日には同区内のマンションに侵入して金を奪おうとするが、住人から自首するよう説得されて逮捕された[204]。大阪地裁刑事第3部にて行われた第一審の公判では強盗殺人4件について全面的に無罪を主張したが[206]、1995年9月11日に大阪地裁(松本芳希裁判長)で死刑判決を受けた[注 11][207]
控訴審では姫路市の殺人事件のみ一転して犯行を認めたが「多量の飲酒で病的に深酔いし責任能力がなかった」として、それ以外の罪状(強盗殺人3件+桂への強盗殺人未遂事件)も含め一審と同様に無罪を主張[208]。しかし2001年6月20日に大阪高裁(河上元康裁判長)は一審判決を支持し、被告人N(当時K姓)の控訴を棄却する判決を言い渡した[209]。2005年6月7日に最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)で上告棄却判決を受け[210]、同月29日付で死刑が確定[177]
第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没)[211]
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) 2005年7月13日[177] 2003年2月23日[212]
2003年4月1日[212]
1967年(昭和42年)1月11日生まれ[212]
男Oと共謀し、約1か月間に群馬県のパチンコ店2店舗(伊勢崎市および太田市)の店員2人を相次いで殺害し、死体をそれぞれ埼玉県行田市の河川に遺棄したほか、第1の犯行後には被害者から奪った鍵を用いて店に侵入し、現金300万円などを奪った[212]
2004年3月26日にさいたま地裁第3刑事部(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け[212]、控訴したが、2005年7月13日に本人が控訴を取り下げ[213]、同日付で死刑が確定[177]。弁護人が異議を申し立てたが、認められなかった[213]。共犯Oは2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[214]
2021年12月21日、共犯Oとともに東京拘置所で死刑執行(54歳没)[215]
大阪連続バラバラ殺人事件 (K) 2005年7月24日[177] 1985年5月 - 1994年3月[216] 1940年(昭和15年)7月10日生まれ[160]
警察庁広域重要指定122号事件[160]。1985年5月下旬 - 1994年3月下旬にかけて大阪市内の自宅で女性5人(46歳主婦・19歳福祉施設寮生・9歳女児45歳・スナック店員・38歳飲食店員)を絞殺し、遺体を山中に遺棄した(うち9歳女児を除く4人の遺体は切断されていた)[216]。また、1985年5月に9歳女児を殺害した際には女児の自宅などに身代金を要求する電話を計5回掛けた[217]
捜査段階では身代金要求を除きすべて犯行を認めたが、公判では「殺害したのは知人で、自分は遺体の遺棄などを手伝っただけだ」と無罪を主張[218]。一連の事件の途中(3件目と4件目の間)に別の窃盗罪で2件の有罪判決が確定していたため、大阪地方検察庁は刑法の規定(併合罪)により確定判決の前後で「殺人3件」と「殺人2件+窃盗」に事件を分離し、前後両事件について死刑を求刑した[注 1][217]
大阪地裁(横田信之裁判長)は1999年3月24日に殺人5件をすべて有罪と認定し、被告人Kに死刑判決を言い渡したが、身代金要求については「第三者による便乗的犯行の疑いがある」として無罪とした[218]。被告人Kだけでなく、大阪地検も身代金要求の事実認定を不服として大阪高裁へ控訴した[219]
2001年3月27日に大阪高裁(福島裕裁判長)は身代金要求に関しても有罪と認定し、同部分を無罪とした一審判決を破棄した上で改めて死刑判決を言い渡した[220]。その後、2005年7月8日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は控訴審判決を支持して被告人Kの上告を棄却する判決を言い渡し[221]、同月24日付で死刑が確定した[177]
2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)[160]
警察庁広域重要指定121号事件 (M) 2005年10月13日[177] 1993年10月27日 - 12月20日[213] 1961年(昭和36年)2月27日生まれ[222]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中[223](現在64歳)。
旧姓S[222][213]。本籍地は東京都足立区扇一丁目[222]
1998年5月26日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で犯行の主導的な役割を認定され、死刑判決を受けた[213]
2001年5月30日に東京高裁(龍岡資晃裁判長)で控訴棄却の判決[213]。2005年9月16日に最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)で上告棄却の判決を受け[224]、同年10月13日付で死刑が確定[177]
共犯Wは2004年4月に上告棄却判決を受け、死刑が確定[76]
仙台老夫婦殺害事件 (H) 2005年10月7日[177] 1986年2月20日 1950年(昭和25年)12月29日生まれ[225][213]。2020年9月27日時点で[26]宮城刑務所仙台拘置支所[注 5]に収監中(現在74歳)[注 12][223]
本籍地は宮城県仙台市若林区荒井、住居は同区沖野六丁目[225]
1981年に入院先(仙台市内の眼科)で知り合った元会社社長の被害者男性(死亡当時82歳)と交際を深めるうちに、被害者が資産家であることを知った一方[226]、被害者が左官の仕事を紹介してくれないことを逆恨みし[227]、金に困っていたことから被害者夫婦を殺害して金を奪うことを計画[226]。1986年2月20日午後に男性宅を訪れ[227]、借金を申し込んだが断られたため[228]、男性の頭部を鉄棒で滅多打ちにして殺害し、約30分後に帰宅した妻(当時75歳)も鉄棒で撲殺した上で、郵便預金証書など(額面約450万円)と現金12,000円を奪った[227]上で同日夜、トラックで2人の遺体を仙台市内の山林に遺棄した[226]
強盗殺人・死体遺棄の罪に問われ、1988年9月12日に仙台地裁刑事第1部(渡辺達夫裁判長)で死刑判決を受け[229]控訴したが[230]、1991年3月29日に仙台高裁(小島建彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[228]
1991年4月に上告したが[231]、上告中の1992年3月27日に自ら上告取下書を提出した[232]。しかし弁護人から「控訴取り下げは訴訟能力を欠いた状態でなされたため無効」とする申し出がなされたことを受け、最高裁が[233]福島章に命じて精神鑑定(1992年6月29日に実施)したところ[232]心神喪失状態であることが判明した[233]。このため最高裁は控訴取り下げ書を無効とし、刑事訴訟法に基づいて被告人Hが回復するまで公判手続きを停止することを決定した[233](1993年5月31日付・最高裁第二小法廷〈大西勝也裁判長〉決定)[234]。死刑事件で公判に付される能力(訴訟能力)に異議を申し立てて認められた初の事例で[注 13]、本件以外に同様の事例は藤沢市母娘ら5人殺害事件のみである[236]。その後、同小法廷は1997年6月12日に再度の精神鑑定を命じ(福島が実施)、「知的障害の境界線上にいるが、統合失調症など重大な精神障害とはいえない」とする同鑑定結果を踏まえ[237]、1998年3月17日付で「被告人が心神喪失の状態でなくなった」として、公判手続停止決定を取り消す決定を出した[238]
2003年には西山詮が3度目の精神鑑定を実施し、「被告人Hは拘禁反応の状態だ。これはほとんどが裁判の状況及び被告人Hと接触する人々の言動に起因するものだ」とする鑑定結果を出した[239]。最高裁第二小法廷は2004年9月に上告審口頭弁論公判期日を指定したが、実質的な弁論が行われなかったため、2005年7月15日に改めて弁論を実施し[240]、上告から14年余りで審理が終結することとなった[241]。2005年9月26日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[231]、同年10月7日付で死刑が確定[177]
アムネスティ・インターナショナル日本支部は2006年の報告書で死刑囚Hについて「精神病の病状が重く、判決の意味が理解できていないそうだ」「公判手続が停止されてからはいったん症状が改善して病院へ送られたが、拘置所に戻ると悪化した」と述べている[242]
東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) 2005年10月28日[177] 1995年12月21日[213] 1970年(昭和45年)9月24日生まれ[243][213]。本籍地は山口県下松市大字西豊井[243]
1998年6月5日に東京地裁(岩瀬徹裁判長)で死刑判決を、2001年9月11日に東京高裁(高木俊夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[213]
2005年10月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け[244]、同月28日付で死刑が確定[177]
2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)[213]。死刑確定 - 執行までの期間は約2年8か月[195]
著書に『死と生きる-獄中哲学対話』(池田晶子との共著)[245]がある[213]

2006年

2006年(平成18年)に死刑判決が確定した死刑確定者は21人である[1][246]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
大阪愛犬家連続殺人事件 (U) 2006年1月15日[247] 1992年6月19日 - 1993年10月29日 1954年(昭和29年)8月14日生まれ[213]。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中(現在70歳)[223]
警察庁広域重要指定120号事件。無実を主張したが、1998年3月20日に大阪地裁(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を受けた。2001年3月15日に大阪高裁(栗原宏武裁判長)で控訴棄却判決を、2005年12月15日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け[213]、翌2006年1月15日付で死刑が確定[177]
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮﨑勤 2006年2月2日[247] 1988年8月 - 1989年6月 1962年(昭和37年)8月21日生まれ[213]。警察庁広域重要指定117号事件。
以下の事件を起こした[248]
  1. 1988年8月、埼玉県入間市で女児(当時4歳)を誘拐し、東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)の山林で首を絞めて殺害した[248]
  2. 同年10月、埼玉県飯能市で女児(当時7歳)を誘拐、五日市町内で絞殺した[248]
  3. 同年12月、埼玉県川越市で女児(当時4歳)を誘拐、同県名栗村内で絞殺した[248]
  4. 1989年6月、東京都江東区で女児(当時5歳)を誘拐、車内で絞殺した[248]
  5. 同年7月、東京都八王子市内で女児(当時6歳)を連れ歩き裸にした[248]

犯行時の責任能力が争点となったが、1997年4月14日、東京地裁田尾健二郎裁判長)は事件当時の宮崎には完全責任能力があったと認定、死刑判決を宣告した[248]。控訴したが、2001年6月28日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を言い渡された[249]
上告したが、2006年1月17日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を言い渡された[250]。判決訂正申立も2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため[251]、同月2日付で死刑が確定した[247]
再審請求準備中の[252]2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)[213]。死刑確定 - 執行までの期間は2年4か月だった[195]

右翼幹部ら2人殺害事件 (T) 2006年3月5日[247] 1992年2月9日
1994年4月28日
1963年(昭和38年)7月13日生まれ(旧姓K)[213]。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中(現在61歳)[223]
1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した[253]
2000年3月16日に大阪地裁(古川博裁判長)で無期懲役判決を受けたが、2001年12月25日に大阪高裁(池田真一裁判長)で一審破棄・死刑判決[213]
2006年2月14日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け[213]、同年3月5日付で死刑が確定[247]
愛知・静岡2女性殺害事件 (M) 2006年3月18日[247] 1996年8月31日
1997年9月4日
1944年(昭和19年)1月31日生まれ[213](旧姓T)。2020年9月27日時点で[26]名古屋拘置所に収監中(現在80歳)[223]
静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し尾張旭市森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した[254]
静岡の事件は否認したが、2000年7月19日に名古屋地裁(山本哲一裁判長)で死刑判決を受け、2002年2月28日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決を受けた[213]
2006年3月2日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け[213]、同月18日付で死刑が確定[247]
古美術商ら2人殺害事件 (Y) 2006年3月27日[255] 1994年4月5日
1995年3月30日
1949年(昭和24年)11月16日生まれ[213]。2020年9月27日時点で[26]名古屋拘置所に収監中(現在75歳)[223]
Yは共犯の男Nと共謀し、以下の犯罪を犯した[256]
  1. 男Xと共謀し、1994年1月27日、愛知県東海市の運送会社事務所に侵入、現金約614万8,567円や金庫1個(時価約3万円相当)などを盗んだ[256](窃盗罪)。
  2. 男Xほか2人と共謀し、1994年3月29日[256]岐阜県加茂郡八百津町の古物商男性(1995年6月時点で80歳)宅に侵入[257]。男性の妻(事件当時73歳)をガムテープで縛り付けるなどして、男性の長男が所有していた現金100万円、印鑑1個、耐火金庫1台(物品時価合計約12万円相当)などを奪った[256](強盗罪)。
  3. 1. 事件および2. 事件の共犯者である男X(43歳没)が、Y・N両名に対し傲慢な態度や強圧的な言動を取り、「自分が捕まったら弁護士や保釈金の世話をしろ。そうしないと、お前たちのことも全部バラすぞ」などと脅すようになったことから、Xの殺害を決意。1994年4月4日、三重県四日市市のY宅(マンションの部屋)で、Xに睡眠導入剤入りの缶コーヒーを飲ませ、翌5日未明、YがアイスピックでAの後頸部を突き刺した。Xはそれに驚いて飛び起きたが、YはNとともにビニール紐でAの首を絞めて殺害(死因は窒息死)。死体を布団袋で包み、ロープで縛るなどした上で、4月6日、死体を丸山ダム(岐阜県加茂郡八百津町)に架かる「旅足橋」から、旅足川に投げ捨てた[256](殺人罪・死体遺棄罪)。
  4. 1995年3月29日夜、Nの知人である古美術商(当時50歳)をY宅に誘い込み、翌日(3月30日)未明、Yが古美術商の後頸部をアイスピックで突き刺したり、Nが古美術商の左側頭部をスパナで殴打したりした。最終的に、2人でビニール紐を用い、古美術商を絞殺して現金約430万円を奪った。そして、古美術商の死体をブリキ製の衣装箱に詰め込み、紐で縛るなどした上で、コンクリートブロックを取り付け、3. 事件と同様に旅足川に投げ捨てた[256](強盗殺人罪・死体遺棄罪)。

1997年3月28日、津地裁四日市支部(柄多貞介裁判長)で共犯の男Nとともに死刑判決を受けたが[258]、1997年9月25日に名古屋高裁刑事第1部(土川孝二裁判長)[259]は「利害の反する2人の被告人に1人の弁護人をつけたことは訴訟手続き上の不備だ」として第一審判決を破棄し、審理を津地裁(本庁)に差し戻す判決を言い渡した[260]
その後の差戻審では、1999年6月23日に津地裁(柴田秀樹裁判長)が「Nが主導的な役割を果たしており、Yは積極的ではなかった」として、被告人Nを死刑、被告人Yを無期懲役とする判決を言い渡したが[261][262]、検察官が量刑不当を理由に控訴。同年8月11日、三重刑務所から名古屋拘置所に移送された[255]。名古屋高裁(小島裕史裁判長)は2001年6月14日、「2人の間に主従関係は認められない」として原判決を破棄し、N・Y両被告人をともに死刑とする第2次控訴審判決を言い渡した[263]。なお共犯Nは上告中の2002年7月2日、収監先の名古屋拘置所で病死したため(63歳没)[264]、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)が公訴棄却の決定を出している[265]
2006年2月24日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[266]、同年3月27日付で死刑が確定[255]。翌日(3月28日)から死刑確定者として、名古屋拘置所に収監されている[255]
死刑確定後、吸い取り紙への書き込みや、封筒を半分に切断して切手を保管していたことなどに対し、拘置所から廃棄指導や懲罰などを受けたことを刑事収容施設法違反として、計60万円の損害賠償を訴えていたが、名古屋地裁(民事第5部)(齋藤清文裁判官)は2015年10月30日に請求棄却の判決を言い渡した[255]。原告(死刑囚Y)が控訴したところ、名古屋高裁民事第4部(藤山雅行裁判長)は2017年5月25日、「拘置所側の対応は違法」として原判決を取り消し、被告(国)に対し8万円の支払いを命じる判決を言い渡したが[267][268]、被告が上告受理を申し立てたところ、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は2019年3月18日に「拘置所側の対応は違法ではない」として原判決を破棄し、第一審判決に対する原告の控訴を棄却する判決を言い渡したため、原告敗訴が確定した[269][270]

神戸市東灘区の夫婦殺害事件 (Y) 2006年4月4日[271][247][213] 2004年7月22日[213] 1940年4月2日生まれ[213]
賭け麻雀にのめり込み、親類らから借金を繰り返した末、2004年7月22日、兵庫県神戸市東灘区住吉宮町にあった従兄弟の男性(当時68歳)夫婦に借金を申し込んだが、断られた[272]。このため、男性と妻(当時75歳)を包丁で刺殺して現金53000円を奪うなどした[272]。また2003年には別人物と共謀し、兵庫県内3か所で現金などを盗んだ[273]。窃盗罪などで公判中の2005年11月に強盗殺人罪で起訴された[272]
神戸地裁(笹野明義裁判長)における審理で期日間整理手続が適用され、4回目の公判となる2006年3月20日に開かれた判決公判で死刑判決が言い渡された[272][213]。初公判は同年1月であり、約2か月の審理期間で死刑判決が言い渡されたことになる[272]
弁護人は公判で、Yは大量の睡眠薬を服用していたため心神耗弱状態にあったと主張しており、判決を不服として大阪高裁へ控訴したが[272]、翌日(2006年3月21日)に本人が取り下げ、2006年4月4日付で死刑が確定[213]。期日間整理手続が適用された事件で死刑判決が確定した事例は初[274]
死刑確定から約2年5か月後の[94]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[213]
鶴見事件(高橋和利) 2006年4月13日[247] 1988年6月20日[275][213] 1934年(昭和9年)4月28日生まれ[213]
横浜市鶴見区下野谷町で、金融不動産業を営む男性(当時65歳)と内縁の妻(当時60歳)が、首や顎をバールやドライバーで強打されるなどして殺害され、現金1,200万円が奪われた事件[275]。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認[275]。殺害時のアリバイを主張し再審請求していた[276]
1995年9月7日に横浜地裁(上田誠治裁判長)[注 14]で死刑判決を受け[275]、2002年10月30日に東京高裁(中西武夫裁判長)で「高橋の自白には虚偽が含まれているとしても、自白以外の証拠から犯人と断定できる」として、控訴棄却判決を受けた[277]。2006年3月28日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け[278]、同年4月13日付で死刑が確定[247]
死刑確定後の2011年5月、実名で手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会[279]を出版したほか、2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。2017年8月25日、日本弁護士連合会(日弁連)が再審支援を決定[280]
2021年10月8日、誤嚥性肺炎により東京拘置所で病死(87歳没)[281]。同年12月24日、髙橋の妻が第3次再審請求している[282]
豊中市2人殺害事件 (N) 2006年7月2日[247] 1998年2月19日[283] 1948年(昭和23年)1月13日生まれ[284]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[284]
2001年11月20日に大阪地裁(氷室真裁判長)で死刑判決、2003年10月27日に大阪高裁(浜井一夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[284]
2006年6月13日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け[285]、同年7月2日に死刑が確定したが[247]、2014年5月15日に大阪拘置所内で病死(66歳没)[284]
ドラム缶女性焼殺事件 (K) 2006年7月6日[247][286] 2000年4月4日 1964年(昭和39年)3月23日生まれ[284]。下記Sの共犯で、加害者のうち4人に死刑が求刑されK・S両被告人の死刑、2人の無期懲役が確定[284]
2002年2月21日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で死刑判決、2003年3月12日に名古屋高裁(川原誠裁判長)で控訴棄却判決[284]
2006年6月9日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[287]、同年7月6日付で死刑判決が確定[247][286]。再審請求したが棄却され[284]、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[286][284]
ドラム缶女性焼殺事件 (S) 2006年7月6日[247][286] 2000年4月4日 1969年10月17日生まれ(旧姓N)[284]。上記Kの共犯(裁判経緯はKと同一)[284]。再審請求したが後に取り下げ、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)[284]
川崎中国人6人殺傷事件 (C) 2006年7月15日[247] 1999年5月25日 - 26日[288] 1968年(昭和43年)4月20日生まれ[284]中国福建省出身[288]
同郷の7人と共謀し、1999年5月25日21時から翌26日9時ごろまでの間、神奈川県川崎市川崎区小川町のマンションの一室に押し入り、中国人男女6人を粘着テープで縛って暴行、現金約53000円などを奪った[288]。その後、被害者の一人である男性(当時27歳)の左腹部や背中などを刃渡り約21.5 cmのサバイバルナイフで数回突き刺すなどして3人を殺害、2人に重傷、1人に軽傷を負わせた[288]。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害したものである[253]
横浜地裁川崎支部で開かれた第一審の公判で、Cの弁護人は強盗殺人罪の成立を否定し、また被害者から侮辱されていたことなどが犯行の原因になっていたとして寛大な判決を求めていたが、同地裁支部(羽渕清司裁判長)は2001年9月17日、Cに求刑通り死刑判決を言い渡した[288]。Cは控訴したが、2003年2月20日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡された[289]
2006年6月27日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け[290]、同年7月15日付で死刑が確定[247]
2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[284]。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。
オウム真理教事件麻原彰晃 2006年9月15日[247][284] 1989年2月 - 1995年3月 1955年(昭和30年)3月2日生まれ・本名:松本智津夫[284]オウム真理教の元教祖で、坂本堤弁護士一家殺害事件松本サリン事件地下鉄サリン事件など麻原が主導した一連の事件で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。
2004年2月27日に第一審・東京地裁(小川正持裁判長)で死刑判決を受け[284]弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかった。これを受け、東京高裁(須田贒裁判長)は2006年3月27日付で控訴趣意書が期限内に提出されなかったことを理由に控訴棄却を決定した[291]。弁護団は東京高裁の別の部(白木勇裁判長)へ異議を申し立てたが、これも同年5月31日付決定で棄却され[292]、それに対する最高裁への特別抗告も同年9月15日付で最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)が出した決定により棄却されたことで、死刑が確定した[293]。第一審で死刑判決を受けた被告人の控訴審が手続き上の理由で打ち切られ、確定した事例は最高裁に統計が残っている1966年以降で初めてだった[293]。第四次再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[284]
堺夫婦殺害事件 (E) 2006年9月20日[247] 1997年10月30日 1942年(昭和17年)7月21日生まれ[284]。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中(現在82歳)[294]
知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画し、知人3人と共謀して言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。被害者2人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された[295]
2001年3月22日に大阪地裁堺支部(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を、2003年1月20日に大阪高裁(那須彰裁判長)で控訴棄却判決を受けた[284]。2006年9月7日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け[284]、同年9月20日付で死刑が確定[247]
共犯者は逃亡中。
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) 2006年10月5日[247] 1994年12月19日 1948年(昭和23年)2月10日生まれ[284]。殺人前科あり。
放火と殺意を否認したが、2000年2月17日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決、2002年7月4日に東京高裁(安弘文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[284]
2006年9月1日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け[284]、同年10月5日付で死刑が確定[247]
死刑確定から約1年11か月後の[94]2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)[284]
飯塚事件(久間三千年[296] 2006年10月8日[247][297] 1992年2月20日 1938年(昭和13年)1月9日生まれ[284]
一貫して無実を主張したが、1999年9月29日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決[284]。2001年10月10日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月8日に最高裁(滝井繁雄裁判長)で上告棄却判決を受け[284]、同年10月8日付で死刑が確定[247]|[297]
死刑確定から約2年後の[298]2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。死後、2009年10月に家族が再審請求[284]
宮崎2女性殺害事件 (I) 2006年10月8日[247][299] 1996年8月29日
1997年6月13日
女性死刑囚。1958年(昭和33年)5月23日生まれ[284]。2020年9月27日時点で[26]福岡拘置所に収監中(現在66歳)[294]
父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した[300]
一部無罪を主張したが、2001年6月20日に宮崎地裁(小松平内裁判長[注 15])で死刑判決を受けた。2003年3月27日に福岡高裁宮崎支部(岩垂正起裁判長)で控訴棄却判決を[284]、2006年9月21日に最高裁第二小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け[302]、同年10月8日付で死刑が確定[247]|[299]
死刑確定後、「事件当時は心神喪失状態だった」として再審請求を行った[303]が、2018年には宮崎地裁によって棄却され[304]、即時抗告も2019年に福岡高裁宮崎支部によって棄却された[305]
奈良小1女児殺害事件(小林薫[306] 2006年10月11日[247][307] 2004年11月17日 1968年(昭和43年)11月30日生まれ[284]
1990年(平成2年)1月5日に強制わいせつ・窃盗の罪で懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決が確定[307]。1991年(平成3年)2月15日には業務上過失傷害罪で罰金12万円の判決が、さらに1992年(平成4年)1月4日には強制わいせつ致傷罪で懲役3年の刑が確定し、1995年(平成7年)11月9日に仮出獄している[307]
2006年9月26日に奈良地裁(奥田哲也裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2006年10月10日付で取り下げ[284]、控訴期限が切れた2006年10月11日0時に死刑確定[308]
弁護人は2007年6月16日に控訴取り下げ無効の申し立てをしたが2008年4月に棄却された[284]。「恩赦不相当」の判断がなされてから2週間後の2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)[284]
栃木・妻と知人殺害事件 (N) 2006年10月28日[247] 1988年11月ごろ
1989年11月ごろ[309]
1966年(昭和41年)9月11日生まれ[310]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在58歳)[311]
1988年11月ごろ、栃木県小山市またはその周辺で妻(当時18歳)の首を絞めて殺害し、翌1989年11月ごろには小山市立木のアパートで同居していた工員の男性(当時26歳)の全身に暴行を繰り返し加えて殺害した[309]。また1995年と1996年には、神奈川県川崎市内で経営していた風俗店の従業員2人にタバコの火を押し付けたり、熱湯を浴びせたりして重傷を負わせた[309]。1996年6月に神奈川県警に傷害容疑で逮捕され、同年6月24日、妻の遺骨が栃木市内のNの親類宅の庭の地下から発見される。同年7月4日、知人に対する殺人容疑で栃木県警に再逮捕され、同月25日に宇都宮地検栃木支部から起訴。同年8月19日に妻殺害容疑で再逮捕、同年9月9日に追起訴[312]
傷害、殺人の罪に問われた[309][313]。第一審の公判は27回にわたって宇都宮地裁栃木支部で開かれていたが[注 16]、1999年6月24日の第28回公判から宇都宮地裁本庁で開かれた[315]。無実を主張したが、2001年12月18日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた[309]。宇都宮地裁における死刑判決は市貝町で牧場経営者仏付が殺害された強盗殺人事件の第一審判決以来、1年11か月ぶりであった[309]
同判決に対し控訴したが、2003年9月10日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却の判決を受けた[310]。上告したが、2006年10月12日に最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け[313]、同月28日付で死刑が確定[247]
医師ら生き埋め殺人事件(高橋義博[注 17][317] 2006年11月15日[318] 1992年7月23日 - 24日[319] 1949年(昭和24年)9月16日生まれ[310]広島県出身で、廣州貿易株式会社代表取締役、「冬虫夏草研究会」会長を務めていた[316]
元会社役員の男らと共謀し[320]、神奈川県川崎市の男性医師(当時37歳[321]ないし36歳 / 東京都立広尾病院の医師)と知人男性[注 18](32歳)の2人を車で拉致[320]。現金約79万円などを奪い[320]、2人を監禁先のマンション(世田谷区)で拳銃を突き付けるなどした上で、睡眠薬で眠らせ、栃木県塩谷郡藤原町(現:日光市)の山林に掘ってあった穴に生き埋めにして殺害した[319]
事件は約4年後に発覚[322]。発覚前の1994年12月には「冬虫夏草研究会会長」の肩書で『奇跡を呼ぶ冬虫夏草』(KKベストセラーズ)を出版[316]しており、死刑確定後の2008年には福島瑞穂(参議院議員)が実施したアンケート[注 19]で同書の著者であることを明かしている[317]
監禁、強盗殺人、覚せい剤取締法違反、大麻取締法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪に問われた[325]。実行犯3人(無期懲役が確定)[注 20]のうち2人とともに「殺人は計画的なものではない」と主張していたが[注 21][326]、2000年8月29日に横浜地裁(矢村宏裁判長)で死刑判決を受けた[319]。2003年4月15日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却の判決を[310]、2006年10月26日に最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)で上告棄却の判決を受け[325]、同年11月15日付で死刑が確定[318]
死刑確定後も「殺人は無罪」として再審請求していたが[326]、2021年2月3日に急性冠症候群のため東京拘置所で病死(71歳没)[320]
名古屋・福岡連続殺人事件 (P) 2006年12月14日[327] 1995年1月12日[310]
1995年1月28日[310]
1946年(昭和21年)12月7日生まれ[310]。元内縁の妻Aが結婚したことを逆恨みし、Aが経営する名古屋市内の居酒屋でAの首を刃物で刺して殺害したほか、福岡市に逃亡中には乗車したタクシー運転手Bを包丁で刺殺して現金数千円などを奪った[328]
強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人の罪に問われた[329]

公判では「名古屋事件は知人の犯行で、福岡事件は薬物の影響により心神喪失状態だった」などと主張したが、1999年6月14日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決[310]。2003年3月28日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を[310]、2006年11月24日に最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け[329]、同年12月14日付で死刑が確定。再審請求中の[310]2009年1月4日に肺炎のため収監先・福岡拘置所で獄死(62歳没)[328]

いわき市母娘殺害事件 (T) 2006年12月20日[327][310] 2004年3月18日 1953年(昭和28年)6月21日生まれ[330]
2004年3月18日昼ごろ、福島県いわき市鹿島町走熊の民家で切り出しナイフを用い、女性(当時83歳)とその次女(同55歳)の2人の首や胸などを複数回刺して殺害、次女の財布にあった現金5万円を奪って逃走、犯行から約10か月後の2005年1月に逮捕された[331]
強盗殺人罪に問われ、公判では殺害の計画性を有していたとして死刑を求刑されたが、福島地裁いわき支部(村山浩昭裁判長)は2006年3月22日、凶器である切り出しナイフの刃渡りが比較的短かったこと、被害者女性と仕事上で面識があった被告人Tが自分であることに気づかれてもしばらくはナイフを取り出さなかったことなどから、当初は脅して金を奪うつもりだったのが抵抗されたことで明確な殺意を持つに至ったと認定、Tに無期懲役の判決を言い渡した[331]
福島地検いわき支部が事実誤認・量刑不当を理由に仙台高裁へ控訴したところ[332]、同高裁(田中亮一裁判長)は同年12月5日、原判決を破棄自判してTに死刑を言い渡した[333]。同判決は被告人Tと被害者に仕事上の面識があったことなどから、仮に正体を見破られれば自身の犯行であることが露見する可能性が高かったことは明らかであると指摘し、「見破られた場合には殺害する」との決意の下に犯行におよんだと事実認定した[333]。弁護人は殺害の意図や計画性について事実誤認を主張し、同月18日付で上告したが[334]、同月20日にTが自ら上告を取り下げたため、死刑が確定[335]
死刑確定から約1年10か月後の[298]2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 5]で死刑執行(55歳没)[336]。同年に死刑を執行された死刑確定者15人(死刑確定から執行までの平均期間は4年1か月)の中では、確定から執行までの期間は最短だった[337]

2007年

2007年(平成19年)1月1日から同年9月30日までの間に死刑判決が確定した死刑確定者は17人で[338]、同年の1年間では最終的に23人である[1]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) 2007年1月11日[286] 2004年1月13日 - 9月7日 1976年(昭和51年)10月22日生まれ[310]長野地裁(土屋靖之裁判長)で2006年5月17日に死刑判決を受け控訴したが、2007年1月11日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[310]。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)[310]
マニラ連続保険金殺人事件 (MK) 2007年1月30日 1994年12月1日[339]
1995年6月23日[340]
1996年5月26日[341]
1954年(昭和29年)6月29日生まれ[310]。下記MAの双子の弟[342]
MA・MK・Sらは以下の犯罪を犯したとされる。
  1. 殺人罪[343] - 1994年12月1日夜、宮崎県宮崎市在住の貿易商男性A(当時43歳:元会社員)の元妻である保険外交員の女[注 22]らと共謀し、生命保険保険金目当てにAの殺害を計画、フィリピンマニラ首都圏にあるホテルの部屋で睡眠薬入りのコーヒーを飲ませた上で、MAとSがAの顔に枕を押し付け、窒息死させた[339]。Aには生命保険会社5社に計1億3000万円の保険がかけられており、それらはAの元妻に支払われた後、うち1000万円がMK・MA・Sら4人で分配されたとみられる[339]
  2. 殺人罪・詐欺未遂罪[343] - MA・MK・Sの3人は共謀の上、MKを受取人とする死亡時3000万円の旅行傷害保険を富山県出身の貿易商男性B(当時47歳)に掛けてマニラに渡航した[340]。1995年6月22日夜、MA・SはBに睡眠薬入りのビールを飲ませ、翌23日1時五歩、コンドミニアムのBの部屋で眠っていたBの顔に食品包装用のラップをかぶせ、枕で押さえつけることで窒息死させた[340]
  3. 強盗殺人罪・死体遺棄罪[343] - MA・Sは共謀の上、1996年5月23日夜、帰宅途中だった愛知県尾西市三条(現:一宮市三条)の旅行会社社員男性C(当時24歳)を名鉄新一宮駅前で拉致し、タクシーで当時自分たちの住んでいた愛知県名古屋市中区のマンションに連れ込んで監禁した[341]。その後、Cからキャッシュカードを奪い、Cをレンタカーで長野県駒ヶ根市赤穂の別荘地まで連れて行き、同月26日1時ごろ、ネクタイで首を絞めて殺害、死体を空き別荘の床下に埋めた[341]。MAはこの事件前の1995年6月、Cが勤めていた中村区の旅行会社営業所でフィリピン行きの航空券の手配を依頼したが、手配できなかったことでCに因縁をつけ、営業所から現金などを脅し取っており、その後もCに現金を要求していた[341]

一連の犯行のうち、マニラの2事件ではM兄弟と友人Sの計3人が共謀したとされるが、3人とも「被害者は病死した」と主張してマニラの事件を否認[310]
2002年1月30日、名古屋地裁一宮支部(丹羽日出夫裁判長)はMA・MK・Sの3被告人をいずれも求刑通り死刑とする判決を言い渡した[343]。3被告人が同時に死刑判決を言い渡された事例は、1998年12月に三重県松阪市で発生した強盗殺人事件の第一審で津地裁が2000年3月に言い渡した判決以来とみられる[343]。3被告人とも控訴したが、2003年7月8日に名古屋高裁(小出錞一裁判長)は3人の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[342]
3人とも上告したが、2007年1月30日に最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)は3人の上告をいずれも棄却する判決を言い渡したため、3人とも死刑判決が確定した[344]
2000年2月に右目の異常を訴え、名古屋拘置所が委託している眼科医の診察を受けたところ、持病の糖尿病が原因で失明するおそれがある「糖尿病網膜症」と診断されたが、名古屋拘置所が専門病院に転院させるなど適切な措置を取らず、同年7月に右目を失明したとして、2005年8月に国家賠償請求訴訟(請求額:1,100万円)を提訴[345]。国側は「医師は適切な措置をした」などと争っていた[346]が、2009年5月27日付で、国側が解決金400万円を支払う形で和解が成立している[345]
MKは死刑確定後、名古屋拘置所に収監されていたが、2024年11月より肺炎などにより外部の病院に入院していた。2025年5月1日に老衰により死去(70歳没)[347]

マニラ連続保険金殺人事件 (MA) 2007年1月30日 1994年12月1日[339]
1995年6月23日[340][310]
上記MKの双子の兄で、元輸入仲介業[342]。MKの上記罪状のうち、1. および2. に関与した。
裁判経緯は弟MKおよび共犯者Sと同一[344]
MAは名古屋拘置所に収監されていたが、2016年1月に肺炎のため八王子医療刑務所へ移送され、同月22日に肺炎のため病死(61歳没)[348]
マニラ連続保険金殺人事件 (S) 2007年1月30日 1994年12月1日[339]
1995年6月23日[340]
1996年5月26日[341]
1971年(昭和46年)3月9日生まれ[310]。上記MA・MK兄弟の共犯者で、裁判経緯はM兄弟と同一[344]。M兄弟とは事件前から仕事仲間だった[342]。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中[注 23](現在54歳)[311]
控訴審判決では「MA・MK両被告人に対し従属的な役割で加担した。矯正可能性は否定できないが罪責は大きい」として同様に控訴棄却判決(第一審の死刑判決を支持)を受けている[350]。2008年11月25日に第一次再審請求[351]
宮崎連続強盗殺人事件 (M) 2007年2月28日[352] 2001年11月25日
2001年12月7日[310]
1968年(昭和43年)2月23日生まれ[310]
2001年11月、宮崎県西都市でスナック経営者の女性(当時53歳)宅に侵入し、女性の胸を包丁で刺し、手で首を絞めて殺害した上で、現金約37,000円などを奪った[352]。また、同年12月には東諸県郡国富町で、雑貨店経営者の女性(当時82歳)宅に侵入、女性を紐などで絞殺し、現金約63万円などを奪った[352]
2003年1月24日に宮崎地裁(小松平内裁判長[注 15])で死刑判決を受け、2004年5月21日には福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)で控訴棄却判決を受けた[310]
2007年2月6日に最高裁(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受ける[310]。判決の訂正を申し立てたが、同月22日付の最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)決定で棄却され、その決定書が拘置先の宮崎刑務所に届き、同月24日付で死刑が確定[352]。宮崎県内における事件で死刑が確定した死刑囚は、前年10月に死刑が確定した女性死刑囚I以来、6人目だった[352]
2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)[310]
宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) 2007年3月8日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[353]
2000年6月11日[354] 1951年(昭和26年)3月13日生まれ[310]栃木県小山市出身[355]
一攫千金を狙おうと考え[354]、客として出入りしていた栃木県宇都宮市江野町の宝石店「ジュエリーツツミ宇都宮店」[354]の店員を殺害して宝石を奪うことを計画[355]。2000年6月11日22時50分ごろ、商談を装って同店を訪問し、持参したバッグに宝飾品を詰めさせた後、女性従業員6人を粘着テープで縛って店舗奥の休憩室に押し込み、逃走経路を確保するため店のシャッターを開けた上で[356]、店内や従業員らにガソリンを撒いて放火、6人全員を焼死させた上で貴金属類約293点(約1億4000万円相当)を奪った[354]
捜査段階初期では殺意を認めたが、後に否認に転じ、第一審の公判では「(店員を)脅すつもりでガソリンをまき、腰の高さでライターを擦ったら予想外に爆発した」と主張して殺意を否認した[356]。2002年3月19日の判決公判で、宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)は口封じのために顔見知りだった従業員の焼殺を企てたとする検察官の主張を認め、殺意と放火の犯意を認定、Sに死刑判決を言い渡した[356]
Sは控訴したが、2003年4月23日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡された[357]。上告したが、2007年2月20日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却の判決を言い渡された[354][358]。同月26日付で判決訂正申立を行ったが、同年3月8日付で申立を棄却する決定が出されたため、死刑が確定した[注 24][353]
2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)[355]
名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) 2007年3月22日 2002年3月14日 1950年(昭和25年)3月12日生まれ[360]。旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。
第一審・名古屋地裁(伊藤新一裁判長)では2003年5月15日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁(小出錞一裁判長)で2004年2月6日に一審破棄・死刑判決を受けた[360]
2007年3月22日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[360]。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)[360]
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) 2007年4月14日[361] 2001年5月8日 1958年(昭和33年)5月19日生まれ[360]
2003年2月12日に青森地裁(山内昭善裁判長)で死刑判決を受け、2004年2月19日に仙台高裁(松浦繁裁判長)で控訴棄却判決を受けた[360]
最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが[362]、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却され[363]、同月14日付で死刑が確定[361]
2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 5]で死刑執行(56歳没)[360]。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。
池袋通り魔殺人事件 (Z) 2007年5月2日
(正式な死刑確定日)[359]
1999年9月8日 1975年(昭和50年)11月29日生まれ[364]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中[365](現在49歳)。
本籍地は岡山県岡山市灘崎町[364](現:岡山市南区)。
公判では犯行時の責任能力が争点となったが、東京地裁(大野市太郎裁判長)は2002年1月18日に完全責任能力を認定して死刑判決を言い渡した[366]。当時、死者が出た通り魔事件で完全責任能力が認定され死刑判決が言い渡された事例は極めて異例だった[注 25][367]
控訴審・東京高裁(原田國男裁判長)でも2003年9月29日に控訴棄却判決を[368]、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)でも2007年4月19日に上告棄却判決を受け[369]、訂正申し立て期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑が確定した[注 24][359]
福山市独居老婦人殺害事件 (N) 2007年5月9日
(正式な死刑確定日)[370][371]
1992年3月29日 1953年(昭和28年)1月13日生まれ[372][360]。2020年9月27日時点で[26]広島拘置所に収監中(現在72歳)[365]
無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[360]。第一審・広島地裁(1994年9月30日)および控訴審・広島高裁(1997年2月4日)はいずれも無期懲役判決だったが[360]、1999年12月10日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は控訴審判決を破棄して審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した[373]。2004年4月23日に差し戻し後の控訴審・広島高裁(久保真人裁判長)で死刑判決を、2007年4月10日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決(死刑判決支持)を受け[374]、同年5月9日付で死刑が確定した[371]
1997 - 1998年の検察上告中、唯一高裁へ差し戻された事例で[360]、最高裁が死刑を求めた検察の上告を認めて無期懲役判決を破棄し、差し戻し後の控訴審で言い渡された死刑判決が確定した事例は永山則夫連続射殺事件以来戦後2件目だった[374]
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫) 2007年5月31日[360] 2005年11月17日 1983年(昭和58年)8月21日生まれ[360]。16歳のとき山口母親殺害事件を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした。
2006年12月13日に大阪地裁並木正男裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[360]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)[360]
太州会内部抗争連続殺人事件 (N) 2007年6月12日 1997年10月 1947年(昭和22年)6月3日生まれ[360]。2020年9月27日時点で[26]福岡拘置所に収監中(現在77歳)[365]
太州会系暴力団の元組長[375]。同会系西山組の元組長A(当時54歳)と対立関係にあり[376]、Aの殺害を計画[377]。配下の組員4人に指示し[376]、1997年10月6日夜、福岡県宮田町(現:宮若市)の路上でAを射殺させた[377]。さらに先述の配下の組員のうちの1人であるB(当時40歳)が警察に犯行を自供することを恐れ[378]、A射殺事件の共犯2人を含む組員3人に指示し[379]、同年10月13日に長崎県佐世保市の山中でBを絞殺、遺体を穴に埋めた[380]
無罪を主張したが、2003年5月1日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受けた[360]。2005年4月12日、福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡された[376]。2007年6月12日に最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)で上告棄却の判決を言い渡され、死刑が確定[381]
上告中の2005年4月7日付で(当時Nは57歳)、福岡拘置所で知り合った二丈町立てこもり殺人事件の被告人である男(当時39歳、後に無期懲役が確定)と養子縁組し、この男を養子としている[382]
春日部中国人夫婦殺害事件 (S) 2007年6月19日 2000年9月22日 1973年(昭和48年)8月21日生まれ[383]中華人民共和国国籍[383]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中[365](現在51歳)。
筑波大学大学院生。被害者・加害者とも中国人留学生[360]。被害者夫は新越谷外国語会話教室中国語講師で埼玉大学大学院生、妻は筑波大学大学院生。
2002年2月22日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2004年1月23日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決[360]
2007年6月19日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け[384]、死刑が確定[360]
事実誤認・量刑不当を主張[360]
自殺サイト殺人事件 (M) 2007年7月5日[360] 2005年2月19日 - 6月[360] 1968年(昭和43年)8月8日生まれ[360]。2007年3月28日に大阪地裁(水島和夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月5日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[360]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
三重連続射殺事件 (H) 2007年7月21日[385] 1994年7月19日(鈴鹿市の事件)[386]
1994年11月20日(伊勢市の事件)[386]
1960年(昭和35年)4月10日生まれ[386][387][360]・会社役員[387]。2020年9月27日時点で[26]名古屋拘置所に収監中(現在65歳)[365]
本籍地は三重県度会郡南伊勢町、住居は三重県松阪市下村町[387]
三重県鈴鹿市伊勢市で、回転弾倉式拳銃を用い[386]、男性2人を相次いで射殺[388]。2人の死体をそれぞれ久居市(現:津市)の造成地に埋め[386]、奪った預金通帳などから現金1,227万円を引き出すなどした[388]
無実を主張したが[360]、2002年12月18日に津地裁刑事部(天野登喜治裁判長)で死刑判決を受けた[386]。その後、2004年3月22日に名古屋高裁刑事第1部(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[389]
2007年7月5日に最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け[390]、同月19日の判決訂正申し立て棄却決定を経て、21日付で死刑が確定[385]
共犯者1人(朝鮮籍)[注 26]は一・二審とも無期懲役を言い渡され[注 27]、検察官が上告していたが、2005年7月15日付で最高裁第二小法廷(津野修裁判長)が検察官の上告を棄却する決定を出した[391][388]ため、無期懲役が確定している[393]
死刑確定後、2009年8月21日に第1次再審請求をしたが、2014年2月12日の決定(特別抗告棄却)により、再審開始を認めない判断が確定[385]。2015年6月29日に第2次再審請求したが[385]、2017年1月13日に津地裁刑事部(水野将徳裁判長)で請求棄却決定がなされ[394]、名古屋高裁刑事第2部(高橋徹裁判長)も2019年1月31日付の決定で即時抗告を棄却した[385]。2020年12月11日付で、最高裁第三小法廷(林景一裁判長)から特別抗告棄却の決定がなされている[395]
2022年11月30日付で、「犯行に使用された拳銃は確定判決で認定された38口径ではなく35口径である」として津地裁に第3次再審請求した[396][397][398][399]
熊谷男女4人殺傷事件 (O) 2007年7月18日[360] 2003年8月18日 1977年(昭和52年)7月20日生まれ[360]。2007年4月26日にさいたま地裁(飯田喜信裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月18日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[360]
2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)[360]。死刑執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて死刑執行に立ち会った。
オウム真理教事件横山真人 2007年8月23日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[400]
1995年3月20日 1963年(昭和38年)10月19日生まれ[401]オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。
1999年9月30日に東京地裁(山崎学裁判長)で死刑判決を受け、2003年5月19日に東京高裁(原田國男裁判長)で控訴棄却判決[401]。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した[400]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[202]、同所で第一次再審請求即時抗告中の2018年7月26日に死刑執行(54歳没)[401]
上申書殺人事件 (G) 2007年10月16日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[402]
2000年7月30日
2000年8月20日[401]
1958年(昭和33年)7月24日生まれ[401]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在66歳)[403]
茨城県水戸市栃木県宇都宮市で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ[402]、2003年2月24日に宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で死刑判決を受けた[401]。2004年7月6日に東京高裁(山田利夫裁判長)で控訴棄却判決を受けたが、上告中の2005年10月に「1999年 - 2000年、起訴された事件とは別に3件の殺人事件に関与した」とする上申書を[401]茨城県警に提出した[404]
水戸・宇都宮事件の上告審では最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[402]。10月9日に判決の訂正を申し立てたが[405]、2007年10月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[402]
余罪事件では2009年6月30日に水戸地裁で懲役20年の判決を受け[401]、控訴棄却を経て2012年2月20日付の最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)決定により上告が棄却されたことで確定したが、既に死刑が確定していたため、刑法の規定[注 28]により懲役刑は執行されない[404]
オウム真理教事件端本悟 2007年11月12日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[406]
1989年12月など 1967年(昭和42年)3月23日生まれ[401]。オウム真理教の元幹部で坂本堤弁護士一家殺害事件松本サリン事件などに関与[401]
2000年7月25日に東京地裁(永井敏雄裁判長)で死刑判決を受けた[401]。2003年9月18日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決を[401]、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[406]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)[401]
マブチモーター社長宅殺人放火事件(畠山鐵男) 2007年11月1日 2002年8月5日
2002年9月24日
2002年11月21日
1943年(昭和18年)4月17日生まれ(旧姓:小田島)[401]。本事件以前にも練馬三億円事件(1990年発生)を起こして懲役12年に処された前科がある[407]
一連の連続殺人(4人殺害)を起こした後、2004年 - 2005年に新聞のお悔やみ記事を見て通夜・葬式で留守の家に押し入る空き巣を繰り返して逮捕され[408]、その後連続殺人への関与が判明した。最初の事件(2002年8月にマブチモーター社長の妻・娘を殺害した事件)は2005年10月に解決し[409]、一連の連続殺人は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された[410]
2007年3月22日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け、2007年11月1日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[401]。共犯Mも一・二審で死刑判決を受け[411][412]、2011年11月に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[413]。ノンフィクション作家・斎藤充功と交流していたほか[注 29]、実名(「小田島鐵男」名義)で2009年に『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版)を出版した[415]
食道癌のため2017年9月16日に東京拘置所内で病死(74歳没)[416]
大和連続主婦強盗殺人事件 (S) 2007年12月5日
(正式な死刑確定日)[417]
2001年8月29日
2001年9月19日[401]
1954年(昭和29年)10月28日生まれ[401]。共犯者は無期懲役判決(求刑:死刑)を受けた[401]
2003年4月30日に横浜地裁(田中亮一裁判長)で死刑判決を受け、2004年9月7日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決[401]。2007年11月6日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[401](正式な死刑確定日は2007年12月5日)[417]
再審請求中の2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)[401]
都筑区の一家3人殺害事件 (F) 2007年11月15日 2002年7月31日 1965年(昭和40年)4月7日生まれ[401]
2002年7月31日未明、神奈川県横浜市都筑区仲町台の妻(第一審判決時点で40歳、事件後に離婚)の実家であるマンションに忍び込み、義父(当時71歳)、義母(同63歳)、義理の子である中学1年生の男子生徒(当時12歳)の3人を、鋭利な戦闘用ナイフ(刃渡り27.5 cm)で刺殺し、妻を殴って手錠をかけて車に連れ込み、富山県富山市内までその車を運転して監禁するなどした[418]
2004年3月30日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を受け、2005年5月24日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[401]
2007年11月15日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[401]。2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)[401]
岡山女性殺害事件 (U) 2007年12月16日[370] 2001年8月9日[401] 1939年(昭和14年)7月29日生まれ[419]。本籍地は愛知県豊田市実栗町[419]
無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[401]。愛知県内で知人女性2人を相次いで殺害し、遺体を遺棄したとして[注 30][421]、1980年3月19日に名古屋地裁一宮支部(吉川清裁判長)で無期懲役判決(求刑:同)を受け[注 31][420]、同年4月3日付で確定[370]
1999年11月11日に仮出所したが[370]、出所後の2001年8月に金銭トラブルから、岡山県岡山市内で無職女性(当時57歳)を絞殺し[421]、遺体を市内の竹やぶに遺棄した[423]
2003年5月21日に岡山地裁(榎本巧裁判長)で死刑判決を、2004年2月5日に広島高裁岡山支部(安原浩裁判長)で控訴棄却判決を受けた[401]。2007年11月30日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[421]、同年12月16日付で死刑が確定[370]
2008年2月7日に肝門部胆管癌のため、大阪医療刑務所[注 32]内で病死(68歳没)[423]。この時、法務省は病死した死刑確定者(それまでは氏名・性別を秘匿し病死の事実の未公表)の氏名を初めて公表した[注 33][423]

2008年

2008年(平成20年)に死刑判決が確定した死刑確定者は10人である[1][424]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
長崎・佐賀連続保険金殺人事件 (S) 2008年1月31日 1992年9月11日
1998年10月27日[401]
1947年(昭和22年)7月11日生まれ[401]。2020年9月27日時点で[26]福岡拘置所に収監中(現在77歳)[403]。2003年1月31日に長崎地裁(山本恵三裁判長)で死刑判決を受け、2004年5月21日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[401]。共犯者は一審で死刑判決を受けたが、控訴審で無期懲役になった[401]
2008年1月31日に最高裁(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[401]
オウム真理教事件小池泰男 2008年3月3日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[425]
1995年3月20日等 1957年(昭和32年)12月15日生まれ(旧姓:林)[401]オウム真理教の元幹部で松本サリン事件地下鉄サリン事件などに関与[401]
2000年6月29日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を、2003年12月5日に東京高裁(村上光鵄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[401]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[425]。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され[202]、第一次再審請求の特別抗告中だった2018年7月26日に宮城刑務所(仙台拘置支所に隣接)[注 5]で死刑執行(60歳没)[401]
三島女子短大生焼殺事件 (H) 2008年3月18日[370] 2002年1月22日 1972年(昭和47年)2月21日生まれ[401]
「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度な計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。
強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油を掛け、生きたまま焼き殺した。
第一審・静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)では2004年1月15日に無期懲役判決を受けたが、2005年3月29日に東京高裁(田尾健二郎裁判長)は一審破棄・死刑判決を言い渡した[401]
2008年2月29日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決をを受けた[426]。判決訂正申立も2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却され[427][370]、同月18日付で死刑が確定[370]
2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)[401]
宇都宮実弟殺害事件 (H) 2008年3月17日[428][429] 2005年5月8日[428][429] 1942年(昭和17年)8月6日生まれ[428]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在82歳)[430]
無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[428]。殺人・死体遺棄・業務上横領・傷害の罪で1980年3月11日に無期懲役の判決が確定し、2003年5月6日に仮釈放されるまで刑務所に服役していた[429]
2007年1月23日に宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)で死刑判決を受け、2007年8月16日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決[428]。弁護人は同日付で上告したが[429]、2008年3月17日に自ら上告を取り下げ死刑確定[428]
京都・神奈川親族連続殺人事件 (M) 2008年4月8日[428] 2007年1月16日
2007年1月23日[428]
1981年(昭和56年)8月3日生まれ[428]
気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。
2008年3月17日に京都地裁(増田耕兒裁判長)で死刑判決を受け、同年4月8日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[428]。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)[428]
入間暴力団組員5人射殺事件 (Y) 2008年4月23日 2003年12月14日[428] 1947年(昭和22年)4月2日生まれ[431]
本籍地は東京都青梅市今井一丁目、住居は埼玉県入間市鍵山一丁目[431]
指定暴力団住吉会系元組長[432]。中学校卒業直後から暴力団員として活動し、殺人未遂で懲役4年に処されるなど、粗暴犯を中心に多数の前科あり[433]
拳銃を用い[433]、入間市内の暴力団事務所で、同系列の別の暴力団組長ら5人を射殺したとして、殺人罪などに問われた[434]。2005年9月8日にさいたま地裁福崎伸一郎裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月28日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決を受けた[428]。2008年4月24日に最高裁第一小法廷(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け[433]、死刑が確定[428]
死刑確定後の2009年8月に肝臓癌が判明したが、手術を希望せず、容体が悪化した同年11月から東京拘置所内の病室で酸素吸入を受けるなどの処置を受けていた[432]。2010年1月2日に病死(62歳没)[434]
伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K) 2008年6月5日 2001年8月4日[428] 1961年(昭和36年)4月30日生まれ[428]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在64歳)[430]
2004年2月4日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を、2005年7月19日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[428]。2008年6月5日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。
下関通り魔殺人事件 (U) 2008年8月29日[435] 1999年9月29日[435] 1964年(昭和39年)3月6日生まれ[428]下関駅の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。
第一審の精神鑑定では「心神耗弱」と「完全責任能力がある」とするものに結果が分かれたが、判決では完全責任能力が認定され、山口地裁下関支部(並木正男裁判長)で2002年9月20日に死刑判決を受けた[428]。2005年6月28日に広島高裁(大渕敏和裁判長)で控訴棄却判決を[428]、2008年7月11日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても棄却されたため[436]、同年8月29日付で死刑が確定した[435]
2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。
本庄保険金殺人事件(八木茂) 2008年8月6日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[437]
1995年6月3日 - 1999年5月29日[428] 1950年(昭和25年)1月10日生まれ[428]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在75歳)[430]
殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ[437]無実を主張したが、さいたま地裁は共犯者の調書を根拠に有罪と認定し、2002年10月1日にさいたま地裁(若原正樹裁判長)で死刑判決を言い渡した[428]
2005年1月13日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を[428]、2008年7月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[437]
福島悪魔払い殺人事件 (E) 2008年10月5日[438] 1994年12月 - 1995年6月[428] 1947年(昭和22年)8月21日生まれ[428]。戦後女性死刑囚執行第4号。2002年5月10日に福島地裁(原啓裁判長)で死刑判決を受け、2005年11月22日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[428]。2008年9月16日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[439]、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却され[440]、同年10月5日付で死刑が確定[438]。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 5]で死刑執行(65歳没)[428]

2009年

2009年(平成21年)に死刑判決が確定した死刑確定者は15人とする文献[441]、17人とする文献がある[1]。この他、同年12月に死刑事件の被告人2人が上告審判決を受けているが、その2人は翌2010年(平成22年)になって死刑が確定している[442]

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(事件概要・死刑執行日など)
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (WM) 2009年1月22日[428] 2000年7月13日[428] 1952年(昭和27年)12月9日生まれ・小物販売業[443]。旧姓I[443][428]
元暴力団組長[444]。本籍地は北海道旭川市東光、住居は札幌市西区二十四軒二条四丁目[443]
後述のIKから依頼を受け、暴力団「渡一家」[444]山口組系)[445]の組長夫婦を拳銃で射殺したとして、殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、事件前に組長宅への強盗を企てた強盗予備罪[注 34]に問われた[446]。拳銃の加重所持などにより懲役7年に処されるなど、前科4犯(いずれも実刑の懲役刑)を有している[446]
2004年3月26日に富山地裁(神沢昌克裁判長)で死刑判決を[447]、2006年2月16日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却判決を受けた[428]。2009年1月22日に最高裁第一小法廷(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け[446]、死刑が確定[428]。なお、同事件ではWM・IK両被告人とは別に、被害者の組長が率いていた「渡一家」の副組長も「事件の首謀者」として死刑を求刑されたが、2006年11月21日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で無罪判決を受けた[444]。検察が控訴したが、名古屋高裁金沢支部(青木正良裁判長)でも2008年4月17日に控訴棄却の判決を受け[448][445]、無罪が確定した[449]
名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に肝不全による出血性ショックにより入院先の病院で病死(56歳没)[450]
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (IK) 2009年3月23日[428] 2000年7月13日[428] 1947年(昭和22年)3月15日生まれ(旧姓O)[451][428]。本籍地および住居は富山県高岡市大町[451]
上記WMの共犯者で、暴力団「渡一家」元幹部(被害者である組長の舎弟)[444]。取調べの段階で「副組長(無罪確定)と一緒に組長WMに対し、被害者夫婦の殺害を依頼した」と供述した[444]。WMに命じて組長夫婦を殺害させた殺人罪・銃刀法違反の罪のほか、建造物侵入威力業務妨害覚醒剤取締法違反の余罪あり。
2005年1月27日に富山地裁(手﨑政人裁判長)で死刑判決を[452]、2006年10月12日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却の判決を受けた[428]
2009年3月23日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[453]、死刑が確定[428]。確定後の2009年5月13日、金沢刑務所から名古屋拘置所に移監された[454]
再審請求中の2014年7月16日に肝臓癌のため収監先・名古屋拘置所内で病死(67歳没)[455]
熊本県松橋町男女強盗殺人事件 (M) 2009年4月3日[438][428] 2003年10月16日[428] 1973年(昭和48年)5月26日生まれ[428]
2006年9月21日に熊本地裁(松下潔裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月3日に福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で控訴棄却判決[428]
2009年4月3日に水から上告を取り下げ死刑確定[428]。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)[428]
闇サイト殺人事件 (K) 2009年4月13日[214] 2007年8月(24日 - 25日) 1973年(昭和48年)3月9日生まれ[214]。2009年3月18日に名古屋地裁近藤宏子裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが2009年4月13日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[214]。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[214]
共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した[456]。堀は『鎮魂歌(レクイエム)』(インパクト出版会)という自伝的書籍を上梓している。
和歌山毒物カレー事件(林眞須美)[214] 2009年5月18日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[457]
1998年7月25日[214] 1961年(昭和36年)7月22日生まれ[214]。女性死刑囚。2020年9月27日時点で[26]大阪拘置所に収監中(現在63歳)[458]
第一審では黙秘したが、2002年12月11日に和歌山地裁(小川育央裁判長)で死刑判決を受けた[214]。控訴審ではカレー事件について無実を主張したが、2005年6月28日に大阪高裁(白井万久裁判長)で控訴棄却判決を受けた[214]。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[459]、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[460]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した[457]2014年3月に支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩養子縁組。著書に単著『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』(講談社)と共著『和歌山カレー事件--獄中からの手紙』(創出版)がある[214]
埼玉愛犬家連続殺人事件 (S) 2009年6月22日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[461]
1993年4月20日 - 8月26日 1942年(昭和17年)1月2日生まれ[214]。共犯者・風間の元夫[462]。事件前、テレビ番組『男のBEタイム』(テレビ東京系列、1988年9月放映)に出演して猪瀬直樹と対談した際や、雑誌『ペット経営』(野生社)からの取材に応じた際には、それぞれ多数の虚言を交えて自身が桁外れな大事業家であるかのように語っており、後者の取材内容は同誌第237号(1992年2月号)の誌上に掲載されている[463]
従犯・山崎永幸は懲役3年の判決を受け(1998年8月28日に満期出所)、出所後の1999年に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社)[注 35]を出版したほか、2001年6月20日放映のテレビ番組オフレコ!』(TBS系列)に出演し事件について証言した。
Sと風間の両被告人は殺人、死体損壊・遺棄の罪に問われた[464]。被告人Sは公判で、犯行は元妻である風間が主導したと主張したが[465]、2001年3月21日、浦和地裁第1刑事部[464](須田贒裁判長)[注 36]で風間とともに死刑判決を言い渡された。控訴したが、2005年7月11日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却の判決を言い渡された[214]。2009年6月5日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で風間とともに上告棄却判決を受け[467]、両被告人の判決訂正申し立ても同月22日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[461]
死刑確定後の2016年11月に収監先・東京拘置所内で心臓発作を起こして外部の病院に救急搬送され、以降は拘置所内で治療を受けていたが[462]、2017年3月27日に多臓器不全のため所内で病死(75歳没)[468]
埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子[469] 2009年6月22日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[461]
1993年4月20日 - 8月26日 1957年(昭和32年)2月19日生まれ[214]。共犯者Sの元妻[462]・女性死刑囚。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在68歳)[458]
事件前の1992年2月に著書『愛しのアラスカン・マラミュート』(アフリカケンネル)を出版している。
公判で風間は「一部の死体損壊・遺棄に関与しただけで、元夫Sに利用された」と主張していたが[465]、元夫Sとともに死刑判決を受け確定した[214]
死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに2人の手記・絵画が掲載されている。2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) 2009年6月9日[214] 2003年2月23日[212]
2003年4月1日[212]
1977年(昭和52年)4月20日生まれ[212]
男Tと共謀し、約1か月間に群馬県のパチンコ店2店舗(伊勢崎市および太田市)の店員2人を相次いで殺害し、死体をそれぞれ埼玉県行田市の河川に遺棄したほか、第1の犯行後には被害者から奪った鍵を用いて店に侵入し、現金300万円などを奪った[212]
2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受けた[214]。2009年6月9日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[470]
共犯Tは控訴を取り下げ、2005年11月30日に死刑が確定した[213]。第2次再審請求中[471]の2021年12月21日、共犯Tとともに東京拘置所で死刑執行(44歳没)[215]
ファミレス2人射殺事件 (M) 2009年6月26日[472] 2005年4月25日 1956年(昭和31年)8月15日生まれ[214]。2005年12月12日に千葉地裁(金谷暁裁判長)で死刑判決を、2006年10月5日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた[214]。2009年6月15日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[214]、同年6月26日付で死刑が確定[472]
共犯1人 (H) は2011年12月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[473]、もう1人の共犯は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で共犯Hとともに死刑執行(56歳没)[474]
仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T) 2009年6月23日 2001年1月8日
2001年2月3日
1963年(昭和38年)6月10日生まれ(旧姓I)[214]。2020年9月27日時点で[26]宮城刑務所仙台拘置支所[注 5]に収監中(現在61歳)[458]
貸金業者ら2人を殺害し、2004年3月25日に仙台地裁(本間榮一裁判長)で死刑判決を受けた[214]。2005年7月26日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却の、2009年6月23日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[214]
前橋スナック銃乱射事件 (K) 2009年7月31日
(訂正申立棄却決定日)[475]
2003年1月25日 1969年(昭和44年)8月18日生まれ[214]。2020年9月27日時点で[26]東京拘置所に収監中(現在55歳)[458]
住吉会系暴力団の元組幹部[475]。暴力団住吉会幸平一家Y会の元会長YO(2014年に死刑確定・2020年に獄中で自殺)から同じ住吉会系暴力団組員・YK(2013年に死刑確定)とともに対立していた元暴力団組長の殺害を指示され、群馬県前橋市のスナック店内で拳銃を乱射して計4人(店の前にいた元組長の護衛約1人+客3人)を射殺し、元組長ら2人にも重傷を負わせた[476]
2005年3月28日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、2006年3月16日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決[214]
2009年7月10日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受け、判決への訂正申立も同月31日付の決定で棄却されたため、死刑が確定[475]
オウム真理教事件早川紀代秀 2009年7月31日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[477]
1989年2月
1989年11月4日
1949年(昭和24年)7月14日生まれ[214]オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。
最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため[477]、2008年8月1日までに死刑が確定した[478]。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され[202]、第3次再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(69歳没)[214]
オウム真理教事件豊田亨 2009年12月1日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[479]
1995年3月20日 1968年(昭和43年)1月23日生まれ[214]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。広瀬とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[479]。第1次再審請求の即時抗告中だった2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)[214]
オウム真理教事件広瀬健一 2009年12月1日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[479]
1995年3月20日 1964年(昭和39年)6月12日生まれ[214]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。豊田とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[479]。第1次再審請求中の2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)[214]
北見市資産家夫婦殺害事件 (K)[480] 2009年12月4日[480] 1988年10月21日[481] 1945年(昭和20年)1月1日生まれ[482][483]北海道網走市出身[484]
生命保険契約を結んでもらうために虚偽の説明をしたことが発覚することを免れるため、北海道北見市で顧客の資産家夫婦をドライバーや包丁で刺殺した[480]。事件後には網走港で海中に車を転落させ、自殺を装うなどして行方をくらまし[484]、13年余り逃亡したが[481]公訴時効成立の約10か月前(2002年12月18日)に神奈川県横浜市内で逮捕された[485]
逮捕後に犯行を認めたものの、第一審では第4回公判(2003年9月)から否認に転じたが、2004年3月2日に釧路地裁北見支部(伊東顕裁判長)で死刑判決を言い渡された[481]。控訴したが、2005年12月1日に札幌高裁(長島孝太郎裁判長)で控訴棄却判決を受けた[483]
2009年12月4日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[480]。同年以降から2021年11月までに5度の再審請求を行ったが、いずれも棄却されている。2011年・2013年・2014年・2016年・2018年6月と5回の再審請求を行ったが、いずれも棄却され、2023年6月には認知症・糖尿病性昏睡などの症状により、収監先の札幌拘置支所から医療設備の整った札幌刑務所札幌拘置支所[注 5]へ移送された[484]。同年9月23日、誤嚥性肺炎による呼吸不全のため札幌刑務所で病死した(78歳没)[484]
架空建設計画取引における連続殺人事件 (S) 2009年12月24日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[486]
1996年6月8日
1996年11月19日
1950年(昭和25年)10月4日生まれ[487][483]。本籍地は福岡県嘉麻市[487]。下記Tの共犯。2020年9月27日時点で[26]福岡拘置所に収監中(現在74歳)[488]
2004年3月11日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受け、2006年5月24日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決[483]。2009年12月11日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け[489]、2009年12月24日付で同小法廷が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため、死刑が確定[486]
架空建設計画取引における連続殺人事件 (T) 2009年12月24日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[486]
1996年6月8日
1996年11月19日
1943年(昭和18年)10月19日生まれ[487]。本籍地および住居は福岡県飯塚市[487]
上記Sの共犯。第一審・福岡地裁では(Sが死刑判決を受けた日と同日に)無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁では一審破棄・死刑判決を受け、上告棄却により死刑確定[483]。2010年4月14日に収監先・福岡拘置所で病死(66歳没)[483]

脚注

注釈

  1. ^ a b 刑法第45条確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。
  2. ^ 被害者4人のうち2人の殺害について無実を主張し、再審請求していたが、2004年2月9日に横浜地裁で再審請求棄却決定を受け、即時抗告(東京高裁)も同年4月23日に、特別抗告(最高裁)も同年5月29日で棄却され[48]、2004年6月末時点で[49]、次の再審請求を準備していた[48]
  3. ^ この間、元暴力団幹部は近くに駐車してあったSの車で待機していた[57]
  4. ^ 2004年7月末[139](上告棄却判決直後)時点では共犯S・K両名とともに仙台拘置支所に収監されていた[140]
  5. ^ a b c d e f g h 札幌高裁仙台高裁の管内(前者は北海道全域・後者は東北6県)で死刑が確定した死刑囚はそれぞれ札幌拘置支所仙台拘置支所に収監されるが、死刑執行設備(刑場)はそれぞれ拘置支所に隣接する札幌刑務所宮城刑務所に位置するため、死刑執行はそれぞれ刑務所で行われる[141]
  6. ^ 被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた[147]
  7. ^ 無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった[145]
  8. ^ 第一審判決後(2000年4月17日)に三重刑務所から名古屋拘置所へ移監された[184]
  9. ^ 加害者Mは被害者2人と面識があった[186]
  10. ^ 加害者Mがかつて勤務していたパチンコ店[186]
  11. ^ ただし、姫路市の事件(控訴審で唯一犯行を認めた)は「殺害後に金品奪取の意図が生じた疑いが残る」として強盗殺人罪の成立を認めず殺人・窃盗罪を適用した[207]
  12. ^ 上告中の2004年7月末時点では[139]八王子医療刑務所に収監されていた。
  13. ^ 『毎日新聞』はこの時に「最高裁によれば、確認できた限りでは上告審で公判手続きが停止された例はないようだ」と報道した[235]
  14. ^ 上田は判決公判前に定年退官したため、判決文は中西武夫裁判官(後に控訴審で東京高裁の裁判長を担当)が代読した[275]
  15. ^ a b 小松平内は2000年 - 2004年、宮崎地裁の裁判長として死刑判決を3件宣告した[301]
  16. ^ 第27回公判は1999年2月3日、宇都宮地裁栃木支部(草深重明裁判長)で開かれていた[314]
  17. ^ 著書名義は「橋義博」[316]
  18. ^ この男性(美容院経営者)は医師の資産を管理していた[319]
  19. ^ 福島は国政調査権を使い[323]、2008年7月に死刑確定者たちへアンケート用紙を郵送し(最終締切は同年8月末)[324]、郵送相手105名のうち78名から回答を得ている[323]
  20. ^ 1人は高橋とともに死刑を求刑されたが、殺害を思いとどまるように進言したことなどから「人間性も見られた」として無期懲役となった[319]。ほか2人はいずれも無期懲役求刑[319]
  21. ^ 主犯とされた高橋とともに殺人の計画性を否定した実行犯2人 (X・Y) は「殺人は、被害者の1人が急に暴れたため、YとZが2人で首を絞めて殺した偶発的なもの。1人を殺したことで、もう1人も殺すしかなくなり、仕方なく殺した」と主張していた[326]。しかし、高橋は「その証言を認めると、主犯である自分の殺人が無罪になるため、横浜地裁は『被告人らの証言は信憑性に欠ける』として、捜査段階での脅迫を交えた取り調べによって得られた(員面検面)調書のみを証拠とした」と主張している[326]
  22. ^ この女は無期懲役が確定している[342]
  23. ^ 上告中の2004年7月末時点では[139]共犯MA・MKとともに名古屋拘置所に収監されていた[349]
  24. ^ a b 宇都宮宝石店放火殺人事件の犯人の死刑確定(2007年3月8日)により[353]、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)、および1958年以降で初めて100人に達した[358][353]。同年4月27日に3人の死刑が執行されたことで、拘置中の死刑囚人数は99人に減少したが、池袋通り魔殺人事件の犯人への死刑が同年5月2日付で確定したため、再び100人に達した[359]
  25. ^ 新宿西口バス放火事件深川通り魔殺人事件では複数人の死者が出たが、いずれも判決では心神耗弱が認定されて無期懲役(求刑:死刑)が出ていたほか、心神喪失で不起訴となった事例も複数あった[367]
  26. ^ 1959年11月30日生まれ[391]
  27. ^ 第一審判決(1998年6月3日:津地裁)および、同判決に対する量刑不当を理由とした検察官の控訴を棄却する判決(2000年4月19日:名古屋高裁刑事第1部)[392]
  28. ^ 刑法第51条併合罪について二個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行する。ただし、死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない。
  29. ^ 斎藤は小田島鐵男(畠山鐵男)の死後に『3650 死刑囚小田島鐡男"モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間』(ミリオン出版)を出版した[414]
  30. ^ 1974年11月 - 1977年5月にかけ、勤務先(名古屋緑郵便局)から約620万円を横領したことが交際相手の女性(当時37歳・岡崎市在住)に露見して冷たくされ、別れ話を持ちかけられたため、1977年8月21日に岡崎市内で女性を丸太で撲殺し、遺体を東加茂郡足助町(現:豊田市)の久木川河原に埋めて遺棄した[420]。さらに横領の追及を逃れ、小牧市に移り住んでいた1979年8月26日、結婚話のもつれから、岩倉市内のマンションで女性(当時37歳)を絞殺し、遺体をほぼ同じ場所(久木川河原)に埋めた[420]
  31. ^ 検察官は同年3月5日に「わずかな間に2人の人命を奪った極悪非道な犯行だ」として、無期懲役を求刑していた[422]。Uは当時の公判で殺意を否定したが、名古屋地裁一宮支部は明確な殺意を認定した上で、「犯行そのものは短期間に2人を殺害した冷酷なもので、極刑に値するが、Uの横領を知り、被害者2人が急に冷たくなるなど、2人にも落ち度があった。Uもこれまでの公判で素直に罪を認め、被害者の冥福を祈る改心の態度を示している」として、求刑通り無期懲役を宣告した[420]
  32. ^ 上告審判決(2007年11月30日)の時点で大阪医療刑務所に収容されていた[419]
  33. ^ 法務省成人矯正課は、その理由を「死刑執行された死刑囚の氏名を公表するようになった2007年12月以降の流れを踏まえた」と説明したが、年齢・犯罪事実は公表しなかった[423]
  34. ^ 同事件前、WMらは被害者である組長の家に押し入る強盗を計画・予備していたが、その実行予定者が警察に逮捕されて失敗[446]。計画が組長側に発覚することを恐れたIKらから組長夫婦の殺害を依頼され、実行した[446]
  35. ^ 実際は『週刊新潮』元記者・作家の蓮見圭一による代筆。2000年発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義。後に『愛犬家連続殺人』に改題して角川書店(角川文庫)から発刊。
  36. ^ 裁判長は須田、陪席裁判官は吉村正と布施雄士の両名だが、吉村以外の2人はいずれも判決前に転補していた[466]

出典

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    • 裁判官:内田計一(裁判長)・安田大二郎・高橋正典
    • 主文
      1. 被告は,原告に対し,2万円及びこれに対する平成18年7月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求を棄却する。
      3. 訴訟費用は,これを20分し,その19を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。
      • この判決は,同判決が被告に送達された後14日間経過したときは,1項に限り仮に執行することができる。ただし,被告が1万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
    • 原告:フィリピン人2女性殺害事件の死刑囚M
  182. ^ a b フィリピン人2女性殺害事件の死刑囚による損害賠償請求訴訟の判決文 - 名古屋地方裁判所民事第4部判決 2018年(平成30年)6月22日 、平成29年(ワ)第3934号、『損害賠償請求事件』。
    • 裁判官:末吉幹和(裁判長)・飯塚隆彦・西ヶ谷恵
    • 主文
      1. 被告は,原告に対し,1万円及びこれに対する平成28年12月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求を棄却する。
      3. 訴訟費用は,これを20分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。
    • 原告:フィリピン人2女性殺害事件の死刑囚M
  183. ^ a b c 『最高裁判所裁判集 刑事』第286号、最高裁判所、2004年、653頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第286号(平成16年9月 - 12月分)。
  184. ^ a b 名古屋地方裁判所民事第9部判決 2006年(平成18年)3月23日 、平成17年(行ウ)第41号、『交通不許可処分取消請求事件』「死刑判決が確定し,名古屋拘置所に在監中の原告が,同人の洗礼に立ち会った教父母に,?礼状を発信するとともに,?面会することの許可を求める旨の願せんを提出したところ,名古屋拘置所長が,いずれも許可しない旨の告知を行ったことから,原告が,上記告知は違法な行政処分であると主張して,これらの取消しを求めるとともに,国家賠償法1条に基づき,精神的苦痛の慰謝料50万円の支払を求めたところ,?の願せんは,監獄法に基づく申請権を行使したものではなく,後に作成されるであろう信書の発信を申請した場合における名古屋拘置所長の感触を事実上尋ねたものにすぎず,また,?の接見の申請権は,在監者に接見することを希望する外部者のみが有するのであって,原告のした願せんは,本件教父母が原告との面会を申請した場合における名古屋拘置所長の感触を事実上尋ねたものにすぎないとして,本件不許可の各告知はいずれも行政処分性を有しないものであることを理由に却下し,慰謝料請求については,本件各告知によって原告の具体的な権利利益が侵害されたと認めることはできないとして棄却された事案」。
    • 裁判官:加藤幸雄(裁判長)・舟橋恭子・片山博仁
    • 主文
      1. 名古屋拘置所長が,原告に対して平成17年6月10日にした,教父母との交通(礼状の発信と面会)を不許可とする告知の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
      2. 原告のその余の請求を棄却する。
      3. 訴訟費用は原告の負担とする。
    • 原告:フィリピン人2女性殺害事件の死刑囚M
  185. ^ a b c d 年報・死刑廃止 2001, p. 169.
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    • 裁判官:鈴木昭洋(裁判長)・池田幸子・石川颯人
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    • 裁判官:松村徹(裁判長)・入江克明・片山博仁
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    • 判決主文:被告人両名をそれぞれ死刑に処する。
    • 裁判官:川上拓一(裁判長)・森浩史・岩井佳世子
    • 被告人:無職a (T) およびコンビニエンスストア店員b (O)
    • 検察官:和久本圭介
      • 被告人Tの弁護人:村木一郎
      • 被告人Oの弁護人:神谷保夫
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    • 判決主文:
      1. 原告の請求を棄却する。
      2. 訴訟費用は、原告の負担とする。
    • 原告:X(古美術商ら2人殺害事件の死刑囚Y)
    • 裁判官:齋藤清文
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    • 判決主文:被告人両名をそれぞれ死刑に処する。
    • 裁判官:柄夛貞介(裁判長)・大工強・中吉徹郎
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    • 判決主文:被告人両名について原判決を破棄する。被告人両名に対する本件各被告事件を津地方裁判所に差し戻す。
    • 裁判官:土川孝二(裁判長)・片山俊雄・河村潤治
      • 被告人Nの弁護人:石川貞行・木村良夫(控訴趣意書を連名で作成)
      • 被告人Yの弁護人:神田勝吾(控訴趣意書を作成)
      • 検察官:江幡豊秋(各控訴趣意書に対する答弁書を作成)
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    • 判決主文:被告人甲野一郎を死刑に処する。被告人乙山二郎を無期懲役に処する。
    • 裁判官:柴田秀樹(裁判長)・村木保裕・西村康一郎
    • 被告人:甲野一郎 (N) ・乙山二郎 (Y)
    • 検察官:石田一宏・川瀬雅彦
      • 被告人Nの弁護人:浅尾光弘
      • 被告人Yの弁護人:石川貞行・木村良夫
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    • 判決主文:
      • 原判決を取り消す。
      • 被控訴人は,控訴人に対し,8万円及びうち1万円に対する平成26年3月31日から,うち1万円に対する同年4月21日から,うち1万円に対する同年5月30日から,うち1万円に対する平成27年4月23日から,うち4万円に対する同年5月19日から,それぞれ支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
      • 控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
      • 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを8分し,その1を被控訴人の負担とし,その余は控訴人の負担とする。
      • この判決の主文第2項は,本判決が被控訴人に送達された日から14日を経過したときは,仮に執行することができる。ただし,被控訴人が8万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
    • 裁判官:藤山雅行(裁判長)・前田郁勝・丹下将克(丹下は転補のため、署名押印できず)
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    • 判決主文:原判決中上告人敗訴部分を破棄する。前項の部分につき,被上告人の控訴を棄却する。控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
    • 裁判官:小池裕池上政幸木澤克之山口厚深山卓也
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    • 著名事件名:飯塚事件再審第一審決定
    • 決定主文:本件再審請求を棄却する。
    • 裁判官:平塚浩司(裁判長)・吉戒純一・岡本康博
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    • 決定主文:本件再審請求を棄却する。
    • 裁判官:岡﨑忠之(裁判長)・下山洋司・中川和俊
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    • 最高裁判所裁判官:才口千晴(裁判長)・横尾和子・甲斐中辰夫・泉徳治・島田仁郎
    • 検察官:吉田博視
    • 弁護人:山本健一・角田雄彦
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    • 最高裁判所裁判官:島田仁郎(裁判長)・横尾和子・甲斐中辰夫・泉徳治・才口千晴
    • 検察官:坂井文雄
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    • 決定主文:本件即時抗告を棄却する。
    • 裁判官:髙橋徹(裁判長)・後藤隆・入江恭子
    • 請求人:死刑囚H・K(三重連続射殺事件の主犯)
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    • 判決主文:被告人を死刑に処する。押収してある別紙還付物目録1記載の各物を判示罪となるべき事実第1の1記載の強盗殺人の被害者であるAの相続人に還付する。押収してある別紙還付物目録2記載の各物を判示罪となるべき事実第3の1記載の強盗殺人の被害者であるCの相続人に還付する。
    • 裁判官:天野登喜治(裁判長)・増田周三・見宮大介
    • 被告人:H・K
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    • 判決主文:本件控訴を棄却する。
    • 裁判官:小出錞一(裁判長)・久保豊・手﨑政人
    • 被告人:H・K
      • 弁護人:伊藤誠基(主任)・飯田泰啓・塚越正光(控訴趣意書を提出)
      • 検察官:藤原光秀(答弁書を提出)
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    • 決定主文:本件再審の請求を棄却する。
    • 裁判官:水野将徳(裁判長)・高橋正典・渡邊遥香(渡邊は健康上の差支えのため、押印できず)
    • 請求人:死刑囚H・K(三重連続射殺事件の主犯)
      • 弁護人:伊藤誠基(主任)・加藤寛崇・米田義弘・木村夏美
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  480. ^ a b c d 北見の資産家夫婦殺害、死刑確定へ」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2009年12月4日。オリジナルの2009年12月7日時点におけるアーカイブ。2009年12月7日閲覧。
  481. ^ a b c 『北海道新聞』2004年3月3日朝刊第16版一面1頁「【北見】資産家夫婦殺害 K被告に死刑判決 地裁北見支部 「悪質で冷酷非道」」(北海道新聞社)
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  485. ^ 北海道新聞』2002年12月19日朝刊第16版一面1頁「【北見】北見資産家夫婦殺害 手配の男 横浜で逮捕 時効10ヵ月前 道警」(北海道新聞社
  486. ^ a b c 日本経済新聞』2009年12月27日西部朝刊社会面17頁「男2人の死刑が確定 福岡の2社長殺害(ピックアップ)」(日本経済新聞西部支社
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  489. ^ 最高裁判所第二小法廷判決 2009年(平成21年)12月11日 集刑 第299号921頁、平成18年(あ)第1741号、『被告人Aに対する詐欺,強盗殺人,死体遺棄,殺人,被告人Bに対する強盗殺人,死体遺棄,殺人被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(福岡会社社長殺害事件)」。
    • 最高裁判所裁判官:古田佑紀(裁判長)・今井功・中川了滋・竹内行夫

参考文献

永山判決

  • 最高裁判所第二小法廷判決 1983年(昭和58年)7月8日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁、昭和56年(あ)第1505号、『窃盗、殺人、強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』「一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例」、“一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。”。 - 永山則夫連続射殺事件(被告人:永山則夫)の上告審判決。後に「永山基準」と呼ばれる死刑適用基準が明示された。

死刑事件全般関連の文献(判例集など)

  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第287号、最高裁判所、2005年、575頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第287号(平成17年1月 - 8月分)。
    • 三重連続射殺事件の共犯者(死刑を求刑されたが、一・二審で無期懲役判決)に対する検察官の上告趣意書別表3「被害者二名の強盗殺人事件で、永山判決以後最高裁判所において死刑選択の当否が判断された事例一覧表」が収録されている。同事件は2005年(平成17年)7月15日付で、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)が上告棄却の決定[平成12年(あ)第690号]を出した。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第288号、最高裁判所、2005年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第288号(平成17年9月 - 12月分)。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第289号、最高裁判所、2006年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第289号(平成18年1月 - 8月分)。光市母子殺害事件の第一次上告審判決[2006年6月20日第三小法廷判決:平成14年(あ)第730号]における検察官の上告趣意書。49 - 68頁に「(別表1)永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」(収録対象:2002年6月11日〈多摩市パチンコ店強盗殺人事件の上告審判決〉以前に上告棄却判決を宣告された死刑囚)が、69 - 84頁に「(別表2)永山判決以前に犯時少年であった者に死刑の科刑が是認された判例一覧表」が、85 - 86頁に「(別表3)死刑の求刑に対し、永山判決後無期懲役とした控訴審判決について検察官が上告した事例一覧表」が掲載されている。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第291号、最高裁判所、2007年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第291号(平成19年1月 - 6月分)。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第292号、最高裁判所、2007年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第292号(平成19年7月 - 12月分)。
  • 福田康夫 (2007年11月2日). “第168回国会(臨時会) 答弁書 答弁書第三一号 内閣参質一六八第三一号” (PDF). 参議院議員松野信夫君提出鳩山邦夫法務大臣の死刑執行に関してなされた発言等に関する質問に対する答弁書. 参議院. 2022年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月22日閲覧。 - 第168回国会における内閣総理大臣福田康夫の答弁書(HTM版)。死刑執行に関する鳩山邦夫法務大臣の発言などに関して、松野信夫議員が行った質問に対する答弁書である。この答弁書には、1977年(昭和52年)1月1日から2007年(平成19年)9月30日までの30年間に確定した死刑判決の事件名および確定年月日がまとめられている。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第296号、最高裁判所、2009年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第296号(平成21年1月 - 6月分)。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第299号、最高裁判所、2009年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第299号(平成21年12月分)。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事』第307号、最高裁判所、2012年。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第307号(平成24年1月 - 4月分)。長崎市長射殺事件の上告審決定[2012年1月16日第三小法廷決定:平成21年(あ)第1877号]における検察官の上告趣意書。48 - 55頁に「(別表)被害者1名に対して死刑判決が確定した事案」[収録対象:裕士ちゃん誘拐殺人事件の死刑囚S(死刑確定:1987年1月19日)から、闇サイト殺人事件の死刑囚KT(死刑確定:2009年4月13日)]が掲載されている。
  • 村野薫『死刑はこうして執行される』 む-27-1(第1刷発行)、講談社講談社文庫〉、2006年1月15日、120-124頁。ISBN 978-4062753043NCID BA75304430国立国会図書館書誌ID:000008051816 

個別事件関連の書籍(加害者・被害者などの著書・手記を含む)

アムネスティ・インターナショナルからの報告書

日本弁護士連合会の資料

インパクト出版会の書籍(『年報・死刑廃止』シリーズなど)




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