新旧の音楽界の交流の活性化とは? わかりやすく解説

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新旧の音楽界の交流の活性化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)

吉田拓郎」の記事における「新旧の音楽界の交流の活性化」の解説

森進一提供した襟裳岬」の大ヒットきっかけ渡辺晋は、拓郎楽曲実力買ってキャンディーズなど多く自社所属歌手への楽曲提供拓郎依頼した渡辺プロダクションは、これを機に布施明小椋佳の「シクラメンのかほり」(1975年)、三木聖子荒井由実1976年)の「まちぶせ」など、他社先駆け積極的にニューミュージックミュージシャン起用行った。これ以降楽曲媒介にして旧勢力新勢力両者交流始め演歌界を含む歌謡界ニューミュージックミュージシャン楽曲取り上げることがブームになり定着していった。これはニューミュージックという言葉をより曖昧なものとしてしまった原因一つでもあるが、この後阿久悠筒美京平のように歌謡曲側の作家が、それぞれ桑名正博Charのようなニューミュージック側の人に曲作りをするという現象多くなった。またCMソング作家だった小林亜星作曲した北の宿から」が1976年第18回日本レコード大賞等を受賞するというようなケース出てきた。「襟裳岬」の前までは演歌歌手演歌作家作るのようなはっきりした図式があった。これらはフォーク歌謡曲取り込まれた、歌謡曲化したともいえるが、フォークアンダーグラウンドから脱し市民権得たともいえる。「襟裳岬」が世に送り出されていなければ今日J-POP自体がかなり異なったものになっていた。「襟裳岬」は両者邂逅した記念碑的作品であった拓郎同年浅田美代子に「じゃあまたね」を小柳ルミ子にも「赤い燈台」を書き下ろしシンガーソングライターアイドル蜜月という架橋同時に築く。歌謡曲進化もたらした異業種混合コラボレート歴史拓郎偉業から始まる。この後、"日本初アーティストによる"レコード会社フォーライフ立ち上げ原田真二プロデュースしてロックアイドル化、メジャー化にも貢献かまやつひろし かまやつひろしとのコラボレーション1974年デュエットシンシア」、1975年オリコン1位「我が良き友よ」は、拓郎ファンだったかまやつが「一緒にやろう」と長年拓郎口説いて実現させたもの。 こうしたロック演歌アイドル歌手を含む歌謡曲子供番組などとのコラボレーション含めて異種組み合わせ突破口開いた先駆者でもあった。「シンシア」は、拓郎ファンだった南沙織へのオマージュ曲で、同時代活躍したアイドル名前・愛称タイトルに付けて唄うという珍しい楽曲。『ミュージックフェア』で共演もしている。 キャンディーズ 1977年渡辺晋から「キャンディーズ大人してやってくれ」という依頼を受け、キャンディーズ の「やさしい悪魔」と「アン・ドゥ・トロワ」のシングル2曲を含む4曲の作曲を手がけた。 もともと拓郎はキャンディーズファンで、キャンディーズブレイク直前自身番組吉田拓郎のオールナイトニッポン』にゲスト呼んだり(1975年3月4日ミキちゃん風邪欠席)、特にスーちゃんファンで、やはり『オールナイトニッポン』」にスーちゃん単独ゲスト呼んだこともある。またキャンディーズ解散宣言をした時「アン・ドゥ・トロワ」のレコーディング中、「本当に解散するの?」と聞いたら、3人口そろえて申し訳ありません事務所通して下さいと言われたと自著書いている。ただし拓郎アルバムぷらいべえと』のジャケット女の子の絵は、拓郎週刊誌見たランちゃん書いたと言われており、真偽不明女の子は「やさしい悪魔」のジャケットランちゃん似ている。 「やさしい悪魔」は音域の広い難曲で、歌のうまいキャンディーズレコーディング苦戦した。これはキャンディーズファンだった拓郎が、レコーディングキャンディーズ歌唱指導をしたいがために、わざと難しくしたと噂が出た。「やさしい悪魔」は、それまでキャンディーズ清楚なイメージ一新、“デビルサイン”を含めた斬新な振り付け、“大人計画”に応えた詞曲で、キャンディーズ最大ヒットになった最終的には「微笑がえし」、「わな」に次ぐ3位)。キャンディーズファン・石破茂も「音楽的に完成度が一番高い名曲」と話しキャンディーズ自身も「私たち代表曲」と話している。後期キャンディーズは、拓郎抜き語れない。拓郎も「やさしい悪魔」を自身アルバムぷらいべえと』で、「アン・ドゥ・トロワ」は『大いなる人』でセルフカバー後者キャンディーズ解散宣言1977年7月)した直後リリースだったため、サブ・タイトルに「ばいばいキャンディーズ」と付け、歌のラストで“さよならキャンディーズ”と歌った。 このシングル2曲の他に、「やさしい悪魔」のB面「あなたのイエスタデイ」、1977年暮れ発売された5アルバムキャンディーズ1676DAYS』に収録された「銀河系まで飛んで行け!」(いずれもGOLDEN☆BEST キャンディーズ』に収録)を提供。なお「銀河系まで飛んで行け!」は、事務所先輩梓みちよが気にいり、同曲を自身先にシングルカットしてしまったため、キャンディーズシングル出せなかったとされる1980年代松田聖子シンガーソングライターコラボは、「独創的なシンガーソングライターアイドルコラボ予想超えた新しい世界生み出す」という、この拓郎キャンディーズコラボ方法論踏襲したもの。 梓みちよ 梓みちよレコーディングでは「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うとは『メランコリー』を目一杯下手クソ歌って一言、「これでいいわけフン変なの、アンタたちの音楽と言ったという。ただ、拓郎レコーディングには来なかったと話している。この曲の作曲拓郎だが「緑のインク手紙書けばそれはさよなら合図になる」と書かれた喜多条忠作詞ヒットしたそれまでフォーク作詞家だった喜多条に「お前に歌謡曲作詞ムリだろ?」と言う拓郎挑発喜多条が奮起して作詞手掛けたもの。1976年紅白歌合戦で歌う際、この曲の短縮要求されNHKともめたが出場した原田真二 フォーライフ第1回新人オーディション1976年)に応募してきた原田真二選考段階では不合格であったが、興味示した拓郎課題を再提出させ、原田原田高校卒業上京待って1977年10月拓郎プロデュースにより「てぃーんずぶるーす」でデビューさせた。デビューにあたり原田部屋探しから、原田曲作りのため松本隆瀬尾一三交えて合宿させたり、プロ作曲家というものが、いかに綿密な計算をしたうえで楽曲創作しているかを説明するため筒美京平盛んにかせたり、もともとギター弾いていた原田当時は珍しいピアノ弾き語り変えたり拓郎自身始めた"ニューミュージック系の人達はテレビ出ない"という風潮時代に、原田には一転パブリシティのためラジオ・テレビ出演雑誌取材積極的に用意したこうした戦略功を奏しシングル3曲が同時にオリコンベスト15入りファーストアルバムFeel Happy」が史上初のオリコン初登場第1位(4週連続)を獲得する快挙達成しフォーライフ危機をも救った。また原田ヤマハ出身世良公則&ツイストとともに女子中高生中心に爆発的人気呼びそれまでの"日本のロックミュージシャン"には付いていなかった女性ファン開拓し新たな潮流生み出した。"日本のロック"のメジャー化多大な貢献があった。アミューズは、渡辺プロダクション退職した大里洋吉が、原田売り出すために設立したもの。 石野真子 石野真子については、阿久悠が他のアイドルとは違う売り方考え拓郎作曲依頼した石野フォークソングが好きで拓郎ファンだった。「狼なんか怖くない」のレコーディングでは、唄えば唄う上手くなると石野徹夜励ましデビュー賭けたスタッフからは、レコーディング終了すると大歓声上がった。曲の音程の上がり下がりが難しくレコーディングに8時間かかった石野話している。拓郎の曲は難しいとキャンディーズ話していた。 吉田石野真子に対してデビューシングル狼なんか怖くない」「ひとり娘」、2作目わたしの首領」「いたずら」、そのほかぽろぽろと」、「ジーパン三銃士」(すべて作詞阿久悠)を提供したなかにし礼 1977年なかにし礼アルバム製作依頼しなかにし全曲作詞・作曲歌唱したアルバムマッチ箱火事』がフォーライフから発売された。このアルバム中の「時には娼婦のように」が翌年シングル・カットされ、なかにし歌唱の盤と黒沢年男の盤との競作となり、いづれも大ヒットした。歌詞際どい内容で、黒沢尻込みして嫌がる程であったが「賛同者拓郎一人けだった」となかにし話している。本曲は、すべてのテレビで放送禁止扱いになるなど物議を醸した

※この「新旧の音楽界の交流の活性化」の解説は、「吉田拓郎」の解説の一部です。
「新旧の音楽界の交流の活性化」を含む「吉田拓郎」の記事については、「吉田拓郎」の概要を参照ください。

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