操縦室音声記録装置 (CVR) による概要
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「日本航空123便墜落事故」の記事における「操縦室音声記録装置 (CVR) による概要」の解説
事故後回収された操縦室音声記録装置 (CVR) には、18時24分12秒から18時56分28秒までの32分16秒間の音声が残されていた。下記はその内マスコミへ流出したカセットテープに記録されたもので、123便と東京航空交通管制部、東京進入管制所、横田基地などとの交信の概要。 東京コントロール(東京ACC) - 東京航空交通管制部(所在地:埼玉県所沢市) 東京アプローチ(東京APC) - 東京進入管制所(所在地:羽田空港) YOKOTA APPROACH CONTROL(横田管制) - 横田基地 はじめに残っていた音声は、操縦席と客室乗務員とのやり取りだった。 18時24分35秒頃:伊豆半島南部の東岸上空(静岡県賀茂郡河津町付近)を巡航高度24,000フィート (7,300 m) へ向け上昇中、23,900フィートを通過したところで衝撃音が発生し、客室高度警報音が1秒間に3回鳴動した。続いて機長が「まずい、なんか爆発したぞ」と発言。直後にオートパイロットが解除され機体(エンジン、ランディング・ギア等の表示)の点検が行われ、4つのエンジン、ランディング・ギア等に異常がなかったが、航空機関士が「ハイドロプレッシャー(油圧機器の作動油の圧力)を見ませんか」と提案する。 24分47秒:JAL123便が緊急救難信号「スコーク7700」の無線信号を発信、信号は東京ACCに受信された。 25分:機長は東京航空交通管制部に羽田へ引き返すことを要求した。無線交信の後、機長が副操縦士に対し「バンク(傾き)そんなにとるなマニュアル(手動操縦)だから」「(バンクを)戻せ」と指示。しかし、副操縦士は「戻らない」と返答した。その際、航空機関士が油圧が異常に低下していることに気づいた。この時機体は、垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、補助動力装置も喪失、油圧操縦システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、操縦システムに必要な作動油が全て流出し、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不能になった。 25分21秒:123便機長がトラブル発生の連絡とともに、羽田空港への帰還と22,000フィート (6,700 m) への降下を無線で要求、東京ACCはこれを了承。JAL123便は伊豆大島へのレーダー誘導を要求した。管制部は、右左どちらへの旋回をするか尋ねると、機長は右旋回を希望した。羽田空港は緊急着陸を迎え入れる準備に入った。 26分54秒:チーフパーサーは全客室乗務員に対し、機内アナウンスで酸素ボトルの用意を指示した。 27分:異常発生からわずか3分足らずで航空機関士が「ハイドロプレッシャーオールロス(油圧全て喪失)」と発出(コールアウト)した。 機長らは異常発生直後から墜落まで、操縦不能になった理由を把握できていない模様であった。油圧系統全滅を認識しながらも油圧での操縦を試みていた。同じころ、客室の気圧が減少していることを示す警報音が鳴っているため、とにかく低空へ降下しようとした。しかし、ほとんどコントロールができない機体にはフゴイド運動やダッチロールが生じ、ピッチングとヨーイング、ローリングを繰り返した。DFDRには機首上げ角度20度 - 機首下げ15度、機体の傾き右60度 - 左50度の動きが記録されていた。 27分2秒:東京ACCが123便に緊急事態を宣言するか確認し、123便から宣言が出された。続いて123便に対してどのような緊急事態かを尋ねたが、応答はなかった。このため、東京ACCはJAL本社に123便が緊急信号を発信していることを知らせる。 28分31秒:東京ACCは123便に真東に向かうよう指示するが、機長は「But Now Uncontrol(現在操縦不能)」と応答。東京ACCは、このとき初めて123便が操縦不能に陥っていることを知る。管制室のスピーカーがONにされ、123便とのやり取りが管制室全体に共有される。 31分2秒:東京ACCからの降下が可能かの問いに対し、123便は降下中と回答。東京ACCは羽田空港より近く、旋回の必要も最低限で済む愛知県西春日井郡豊山町の名古屋空港に緊急着陸を提案するが、123便は羽田に戻ることを希望する。航空機と地上との無線交信は英語で行われているが、管制部は123便の機長の負担を考え、母語である日本語の使用を許可。以後123便とは、ほとんど日本語で交信された。 31分40秒:航空機関士に対し客室乗務員から客室の収納スペースが破損したと報告が入る。33分、航空機関士が緊急降下(エマージェンシー・ディセンド)と酸素マスク着用を提案、35分、羽田空港にある日航のオペレーションセンターとの交信では航空機関士が「R5(機体右側最後部)のドアがブロークン(破損)しました」と連絡している。 33分頃:JALはカンパニーラジオ(社内無線)で123便に交信を求める。 35分33秒:123便からR5のドアが破損したとの連絡があった後、その時点で緊急降下しているので、後ほど呼び出すまで無線を聴取するよう求められ、JALは了承した。 37分:機長がディセンド(降下)を指示するが機首は1,000m余りの上昇や降下を繰り返すなど、不安定な飛行を続けた。38分頃、これを回避するためにランディング・ギアを降ろそうとするが、油圧喪失のため降ろせなかった。 40分:航空機関士の提案で、バックアップシステムを用いてランディング・ギアを降ろした。機体は富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、高度22,000フィート (6,700 m) から6,000フィート (1,800 m) へと降下。その後、羽田方面に向かうものの、東京都多摩市付近上空で左旋回し、群馬県南西部の山岳地帯へと向かい始める。機体はロール軸の振幅が縮小して多少安定した。 40分44秒:東京ACCが、123便と他機との交信を分けるため専用の無線交信周波数を割り当て、123便に周波数変更を求めたが、応答はなかった。 41分54秒:逆に123便を除く全機に対してその周波数に変更するよう求め、交信は指示があるまで避けるように求めた。だが一部の航空機は通常周波数で交信を続けたため、管制部は交信をする機に個別で指示し続けた。 45分36秒:航空無線を傍受していた横田基地が123便の支援に乗り出し、英語で123便にアメリカ空軍が用意した周波数に変更するよう求めたが、123便からは「Japan Air 123、Uncontrollable(JAL123便、操縦不能)」と応答した。東京ACCが「羽田にコンタクトしますか(東京APCと交信するか)」と123便に尋ねるが、123便は「このままでお願いします」と応答した。 46分:機長が「これはだめかも分からんね」と発言。やがて機体は山岳地帯上空へと迷走していく。47分頃からは彼らの中でも会話が頻繁になり、焦りが見え始めていた。右、左との方向転換が繰り返し指示される中で、操縦している副操縦士に対して機長が「山にぶつかるぞ」と叫ぶなど、緊迫した会話が数回記録されている。この時機体は6,000フィート (1,800 m) 前後をさまよっていた。48分頃には航空機関士が、操縦する副操縦士に「がんばれー」と励ますとともに、たびたび副操縦士の補助をしていた様子が記録されている。機長の機首下げの指示に対して副操縦士は「今舵いっぱい」と返答している。 47分10秒:123便は千葉県木更津市のレーダーサイトに誘導するよう求め、東京ACCは真東へ進むよう指示し、「操縦可能か」と尋ねるが、123便は「アンコントローラブル(操縦不能)」と応答した。この時、東京ACCの管制官は123便との交信中に「ああっ」という叫び声を聞いたとされる。 49分:機首が39度に上がり、速度は108ノット (200 km/h) まで落ちて失速警報装置が作動した。このころから機体の安定感が崩れ、何度も機首の上げ下げを繰り返した。この間、機長が「あーダメだ。終わった。ストール(失速する)」と発言するまでに追い詰められながらも、諦めることなく「マックパワー(最大出力)、マックパワー、マックパワー」などと指示していた。 49分:JALがカンパニーラジオで3分間呼び出しを行ったが、応答はなかった。 50分:「スピードが出てます スピードが」と困惑する副操縦士に機長が「どーんといこうや」と激励の発言。機長の「頭下げろ、がんばれがんばれ」に対して副操縦士は「今コントロールいっぱいです」と叫んでいる。機長が「パワーでピッチはコントロールしないとだめ」と指示。エンジン推力により高度を変化させる操縦を始めたと思われるが、左右の出力差で方向を変えた形跡は見当たらなかった。速度が頻繁に変化し不安定な飛行が続いたため、副操縦士が速度に関して頻繁に報告をしている。 51分:依然続くフゴイド運動を抑えるために電動でフラップが出され、53分頃から機体が安定し始めた。 53分30秒:東京ACCが123便に交信を求めるが、123便は「アンコントロール(操縦不能)」と応答。横田管制は「横田基地が緊急着陸の受け入れ準備に入っている」と通知。53分45秒、東京ACCが「周波数119.7に変えてください」と、東京APCの無線周波数へ変更するよう求め、123便は了承した。 54分:クルーは現在地を見失い、航空機関士が羽田に現在地を尋ね、埼玉県 熊谷市から25マイル (40 km) 西の地点であると告げられる。その間、しばらく安定していた機体の機首が再び上がり、速度が180ノット (330 km/h) まで落ちた。出力と操縦桿の操作で機首下げを試みたが機首は下がらなかった。 54分25秒:123便は東京APCに現在地を尋ね、「羽田から55マイル (89 km) 北西で、熊谷市から25マイル (40 km) 西」と知らされた。 55分01秒:機長は副操縦士にフラップを下げられるか尋ね、副操縦士は「はいフラップ10(度下がっている)」と返答し、フラップを出し機体を水平に戻そうとした。 55分5秒:東京APCから123便に対し、「日本語にて申し上げます」と前置きし、「こちら(羽田)のほうは、アプローチレディ (approach ready) になっております。尚、横田と調整して横田ランディング (landing) もアベイラブル (available)になっております(羽田と横田で緊急着陸可能の意)」と知らせ、航空機関士が「はい了解しました」と応答、これが123便と地上との最後の交信となった。その直後に東京APCが「インテンション (intention) 聞かせてください」と、123便に今後の意向を尋ねたが応答はなかった。その後も東京APCと横田管制が123便に対して呼び出しを行ったが、応答はないままだった。 55分12秒:フラップを下げた途端、南西風にあおられて機体は右にそれながら急降下し始める。55分15秒から機長は機首上げを指示。43秒、機長が「フラップ止めな」と叫ぶまでフラップは最終的に25度まで下がり続けた。45秒、「あーっ!」という叫び声が記録されている。50秒頃、機長の「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」との声に混じって副操縦士が「フラップアップ、フラップアップ」と叫び、すぐさまフラップを引き上げたがさらに降下率が上がった。この頃高度は10,000フィート (3,000 m) を切っていた。 56分00秒頃:機長がパワーとフラップを上げるよう指示するが航空機関士が「上げてます」と返答する。07秒頃には機首は36度も下がり、ロール角も最大80度を超えた。機長は最後まで「あたま上げろー、パワー」と指示し続けた。 56分7秒頃:わずかに機首を上げて上昇し始めた。 56分14秒:クルーの必死の努力も空しく機体は降下し続け、対地接近警報装置(GPWS)が作動。高度3000mから、1600mまで降下していた。 56分23秒:23秒の直前には「PULL UP(上昇せよ)」との警告音声とともに、機長の「もうダメだ」とも聞き取れる叫び声が記録されていた(報告書では機長の発言は「判読不能」とされていた)。右主翼と機体後部が尾根の樹木と接触し、衝撃で第4エンジンが脱落した。このとき、機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は340ノット (630 km/h) 以上に達していた。接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾き始め、その角度は70度にも達した。 56分26秒:機体は傾いたまま右主翼の先端が稜線に激突し、衝撃で右主翼の先端とわずかに残る垂直尾翼と水平尾翼、第1・第2・第3エンジンが脱落。この時の衝撃と反動で、右主翼が稜線に引っかかる形で機体は前のめりに反転した。 56分28秒: 稜線に激突した衝撃で電源が落ち、フライトレコーダーとボイスレコーダーの記録はここで途絶える。 56分30秒:動力と尾翼を失った機体は高天原山の群馬県側北東の斜面にある尾根にほぼ裏返しの状態で衝突、墜落した。墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、離断した両主翼とともに炎上した。機体客室後部後部が分離し、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた乗客4名は奇跡的に生還できた。 57分:横田管制は123便に「貴機は横田の北西35マイル (56 km) 地点におり、横田基地に最優先で着陸できる」と呼びかけ、東京ACCも123便に横田基地に周波数を変更するよう求めたが、既に123便は墜落していた。 八ヶ岳・横岳より見た秩父山地と墜落地点
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