信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 01:58 UTC 版)
静岡県御前崎市は「御前崎のウミガメおよびその産卵地」が国の天然記念物に指定されるなどアカウミガメとのかかわりの深い地域であるが、漁業関係者の間では大漁、豊漁のシンボルとして敬愛され、死んだアカウミガメを供養した「亀塚」が市内各所に実在している。また、市内のパン屋が正月飾りにアカウミガメを模した大きな饅頭を作り、縁起物として個人的に正月飾りにしたところ、それを見た市民らが販売を請い、のちにその巨大な饅頭は「亀まんじゅう」として販売されるようになった。
※この「信仰の対象」の解説は、「アカウミガメ」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「アカウミガメ」の記事については、「アカウミガメ」の概要を参照ください。
信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 09:02 UTC 版)
日本では特に男性外性器の形のものをさすことが多い。陽物崇拝では、子孫繁栄を願ったお守りとしても用いられた。現在の日本でも、木製の巨大な男性器像が神社に祭られている場合がある。たとえば神奈川県のかなまら祭は男根を模した神輿が練り歩く奇祭として知られ、毎年4月第一日曜日に行われている。日本国外でもよく知られ、国内外から、梅毒やエイズの等の性病の難を避ける祈願で観光客を集めている。 この他にも地域信仰で体の悪い所(手足や耳・鼻といった部分)を模した木製の奉納物を神社に収める風習も見られ、古代のアニミズムにその源流を見出す事ができる。これらの人体の模造品は、その機能を霊的なものとしてシンボル化したり、または霊的な災い(祟り)による病気を代わりに引き受けてくれるものとして扱われた。[要出典]
※この「信仰の対象」の解説は、「張形」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「張形」の記事については、「張形」の概要を参照ください。
信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/19 01:35 UTC 版)
熊本県八代市の医王寺や、熊本県阿蘇市の西巌殿寺には、足手荒神として青面金剛が祀られているという。青面金剛は、庚申信仰の本尊であり、病魔退散の力を有するとされているものである。 一方で、西巌殿寺の足手荒神はお鏡石という丸い霊石が信仰の対象で、大分県竹田市飛田川や熊本県小国町の足手荒神などはこの分霊で、信仰圏は大野郡、直入郡、さらに宇和海を渡り四国にまで及ぶとの報告もある。 熊本市中央区にある本覚寺境内の足手荒神では、22世住職が掘り出したという五輪塔の丸石を祀り、玉名市岱明町の手足荒神では、五輪塔の石を寄せ集めた六輪塔をご神体とする。 熊本県山鹿市の宗泉寺では、「足手三宝大荒神」を祀り、八代市の医王寺についても、三宝荒神の文字と梵字が刻まれ、荒神の祭りが庚申祭りであるとの民俗学者による記録があり、三宝荒神信仰との結びつきも見られる。 手足を負傷して死んだという武将・甲斐親英(宗立)を祀る熊本県嘉島町の甲斐神社は足手荒神の総本社と称し、熊本県和水町や菊池市下古閑集落の足手荒神、熊本県大津町の西鶴甲斐神社、荒尾市の府本甲斐神社、熊本県美里町の砥用甲斐神社(現在廃社)などは、この分霊を勧請したものという。 もっとも、同じ熊本の中でも、旧飽託郡の足手荒神について、手足の疾病のため敵に追いつかれて落命した託麻某という武士の後身であるとする、甲斐宗立とは別の伝来も報告されている。 また、別府市南立石の「手足荒神」は、やはり手足の疾病平癒を祈願し、手型足型を奉納するという信仰であるが、これにも手足を痛めていて不覚をとった武士についての由緒があり、概略は次のようなものである。慶長5年(1600年)、九州の関ヶ原と言われる石垣原の戦い(黒田如水 対 大友義統)の前日の夜半、斥候中に崖から落ち、手足を骨折した黒田方の侍が大友の兵に捕らえられた。侍は、『手を挫かずば、お前共の手に掛かる者ではない。切って手柄にせよ。死して百年の後まで、魂はこの世にとどまり、手足を挫いた者を救うであろう』と言い残し斬首された。哀れんだ大友の将・吉弘統幸が侍を手厚く埋葬したとの伝説、この合戦で傷を負った兵がこの地で傷を癒したとの伝説があり、手足を挫いた者がここを参詣すると不思議に治ることから、祠を建て「手足荒神」として信仰されるようになったのだという。元は個人の屋敷神であったらしいが、その信仰圏は大分方面や速見郡などに広がっているとされる。 大分県九重町の二日市足手荒神社は、少彦名神などを祭神とし、薬師如来が刻まれた室町時代のものと推定される石造宝塔をご神体とする。少彦名神も薬師如来も、医薬の神仏とされるものである。
※この「信仰の対象」の解説は、「足手荒神」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「足手荒神」の記事については、「足手荒神」の概要を参照ください。
信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:56 UTC 版)
「ヒメタタライスズヒメ」の記事における「信仰の対象」の解説
明治天皇が1890年(明治23年)に創建した橿原神宮では、主祭神として神武天皇とヒメタタライスズヒメが祀られている。 また、ヒメタタライスズヒメは、子供を救ったことから「子守明神」として崇められるようになり、率川神社(奈良県奈良市本子守町)では主神として祀られている。率川神社では例年6月に「三枝祭」(通称:ゆり祭り)があり、三輪山で栽培されたササユリを供えてヒメタタライスズヒメを祀る。 ヒメタタライスズヒメの実家があったという狭井川の上流部には狭井神社がある。ここでは大神荒魂神を主祭神としつつ、ヒメタタライスズヒメや大物主神(『古事記』によるヒメタタライスケヨリヒメの父)、勢夜陀多良比売(『古事記』によるヒメタタライスケヨリヒメの母)、事代主神(『日本書紀』によるヒメタタライスズヒメの父)を祀っている。 このほか、津森神宮(熊本県上益城郡益城町)、甲佐神社(熊本県上益城郡甲佐町)で祀られている。
※この「信仰の対象」の解説は、「ヒメタタライスズヒメ」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「ヒメタタライスズヒメ」の記事については、「ヒメタタライスズヒメ」の概要を参照ください。
信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:58 UTC 版)
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の記事における「信仰の対象」の解説
詳細は「富士信仰」を参照 富士信仰の明確な定義はないが、富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言われる。特に富士山の神霊として考えられている浅間大神とコノハナノサクヤビメを主祭神とするのが浅間神社であり、全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市にある富士山本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にある「本宮」と、富士山頂にある「奥宮」にて富士山の神を祭っている。また徳川家康による庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より八合目以上を寄進された経緯で、現在富士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候所を除き浅間大社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派を形成し、富士信仰を形成してきた。 富士参詣の人々を「道(導)者」といい、例えば『妙法寺記』の明応9年(1500年)の記録に「此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也」とある。また、登山における案内者・先導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士氏文書』、文中に「永禄6年」とあり)などが確認されている。 登山口は末代上人が開いた登山道を起源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われる村山口である。これにより富士修験が成立したとされる。次第に他の登山道も開削されてゆき、13世紀には大宮・村山口、吉田口、須山口の3登山道の存在が確認されている。後に須走口が出来たとされる。15世紀後半には他の登山口と比べ吉田口を利用する道者が目立つようになっていたと考えられ、特に富士講の隆盛が見られた18世紀後半以降では、他の登山口の合計と同程度であったという。1883年(明治16年)に御殿場口登山道が、1906年(明治39年)に新大宮口が開削された。 神仏習合は富士山も例外ではなかった。山頂部は仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つようになった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士山頂の8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、文永年間(1264年〜1275年)の『万葉集註釈』には「いただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「八葉」の記述が確認できる。 しかし、慶応4年(1868年)に神仏分離令が出されると、これら神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。富士山中や村山における仏像の取り壊しなどが進んだ。富士山興法寺は分離され、大日堂は人穴浅間神社となり大棟梁権現社は廃されるなど改変が進んだ。北口本宮冨士浅間神社では仁王門や護摩堂などが取り壊されることとなった。仏教的な名称なども改称され、「八葉」の呼び名も変更された。
※この「信仰の対象」の解説は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の記事については、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の概要を参照ください。
信仰の対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:58 UTC 版)
御親元主真光大御神(みおやもとすまひかりおほみかみ):「主(ス)の神」とも呼ぶ。創造神であるとしている。 伊都能売大国魂大国主之大神(いずのめおおくにたまおおくにぬしのおほかみ):主の神と表裏一体といており、地上世界に強く働きかける神であるという。 主な祭神はこの二神であるが、教団の教義によれば神は「一神で多神で汎神」とし、多くの神の存在を認めている。なお世界真光文明教団では、「信仰」ではなく、神様へ向くことの意味で「神向」と記している。また信者を神と手を組むという意味で、「神組み手(かみくみて)」と呼ぶ。
※この「信仰の対象」の解説は、「世界真光文明教団」の解説の一部です。
「信仰の対象」を含む「世界真光文明教団」の記事については、「世界真光文明教団」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から信仰の対象を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 信仰の対象のページへのリンク