足手荒神
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足手荒神(あしてこうじん)は、手足の神である。民間信仰を起源とし、手足の病気や怪我に悩む者がその快癒を祈願するもので[1][2]、信仰の特徴として手型や足型を奉納することが見られる[3]。中にはギプスや松葉杖などを奉納するものもある[4]。他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もある[5]。
- ^ a b 『日本の神仏の辞典』21頁
- ^ 伊藤『宴と日本文化』130-131頁、(伊藤幹治 1994, p. 180-181)は、「民衆生活のなかから生まれた小さな神がみ」として、疣石さま、耳神、腰神とともに足手荒神を挙げる。
- ^ 『日本の神仏の辞典』21頁をはじめ、後掲する各所の足手荒神についての文献。
- ^ 例えば、今村『日本の民間医療』79頁は別府市南立石の手足荒神の奉納品として松葉杖を挙げ、『九州の民間信仰』245頁に掲載の「竹田市拝田原の足手荒神」の写真には奉納された複数の松葉杖が写り、『竹田市史 下巻』346-347頁は豊岡地区天神にある足手荒神の奉納品としてギプス・松葉杖を挙げる。
- ^ 『九州の民間信仰』186頁〔牛島盛光執筆〕、牛島『図説日本民俗誌』91頁
- ^ 『熊本県神社誌』163頁、『大津町史』1131頁
- ^ 『全国寺院名鑑』203頁、『熊本県の地名』728頁、『角川日本地名大辞典 熊本』121頁、『日本名刹大事典』24頁、『神社・寺院名よみかた辞典』432頁
- ^ 医王寺の青面金剛が足手荒神として祀られていることについては、医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市公式ホームページ、白雲山 医王寺 - 九州八十八ヶ所百八霊場会。『角川日本地名大辞典 熊本』121頁には、青面金剛堂は足手荒神として参拝者が多いとある。なお、医王寺再興後の住職は玄竜という修験者であった。内部リンク先参照。
- ^ 窪『庚申信仰の研究』452頁は、西巌殿寺で足手荒神として祀られている石像は青面金剛で、「豪照」「豪海」という修験者らしき名が彫ってあるとする。
- ^ 大辞泉【青面金剛】
- ^ a b c d e f g h i j k 『九州の民間信仰』244頁〔松岡実執筆〕
- ^ a b 境内 - 六角堂観音本覚寺
- ^ a b 『岱明町史』1377頁
- ^ a b 高野山 宗泉寺について
- ^ 丸山『熊本県民俗事典』271頁
- ^ 赤峯「同情悲願の御利益」
- ^ 旧飽託郡内の足手荒神としては、熊本県熊本市西区河内町野出にある「足手大荒神」が地図上に確認できるが、託麻某の伝来をもつ足手荒神との関連は不明。
- ^ 矢島嗣久 2007, p. 74.
- ^ 坂石要 2003, p. 46.
- ^ 今村『日本の民間医療』79頁や『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕によれば、元は大木の根方に祀られていたという。
- ^ 大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』108頁、『九重町誌 下巻』816頁
- ^ 大辞泉【少彦名神】、大辞泉【薬師如来】
- ^ a b 柳田『村のすがた』100-102頁の小稿「足手荒神」は、「秋田縣男鹿本山」「男鹿の本山の門前」(現・男鹿市船川港本山門前)の足手荒神を紹介。
- ^ a b 『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁は「足手荒神 秋田縣南秋田郡」の写真を載せる。『日本民俗図録』図版163頁も同じ写真を載せ、解説144-145頁には「秋田縣南秋田郡拂戸村」とあり、『雪国の民俗』213頁の同じ写真には「南秋田・拂戸」とある(払戸村は現在の男鹿市)。『雪国の民俗』を参考文献として挙げる『秋田民俗語彙事典』27頁の「足手荒神」の項には、男鹿半島の若美町・払戸長根集落にある旨の記述があり、『秋田民俗事典』男鹿市10頁の「足手荒神」の項にも、払戸の長根集落にある旨の記載がある。
- ^ ほかに秋田県の足手荒神に触れたものとして、『日本妖怪大百科』34頁。同種の習俗がある福井県の三方石観音、岡山県の足王様とともに挙げる。
- ^ 『ムラの生活 下』379頁に、浮羽郡田主丸町大字野田字石王における個人祈願として、「草野の足手コウジン」での手足の病気平癒祈願が挙げられている。
- ^ 『ムラの生活 下』431頁に、三井郡大刀洗町大字守部における個人祈願として、足手荒神への手足の病気平癒祈願が挙げられている。
- ^ a b 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁
- ^ a b 『直入郡志』216頁、『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁、柳田『分類祭祀習俗語彙』454頁、『日本の神仏の辞典』21頁、染矢『日本の民俗 大分』140頁、民俗語彙データベース - 国立歴史民俗博物館サイト内(「アシテコウジン」で検索)
- ^ a b 北緯33度15分51.5秒 東経131度10分45秒 / 北緯33.264306度 東経131.17917度
- ^ 前津江村(現・日田市前津江町)の足手荒神につき『民俗行事と伝説 前津江の文化財』53頁。また中津江村(現・日田市中津江村)にあった足手荒神を、道路拡幅工事に伴い、玖珠郡九重町の老健施設敷地内に移設したとの記事がある(西日本新聞 平成8年4月25日 朝刊 20頁)。
- ^ 柳田『村のすがた』102頁は、佐賀県神埼郡三瀬村(現・佐賀市)の脚気地蔵尊(脚気が治るとの霊験があるといい、木槌を奉納する。) や、東京都杉並区久我山の久我山稲荷神社にある庚申(病気平癒の霊験があるといい、砧を奉納する。)に木槌や砧を奉納するのは、手型、足型の奉納が変化した姿ではないかと推測する。
- ^ a b 今村『日本の民間医療』79頁
- ^ 染矢『日本の民俗 大分』140頁、『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕も「手足荒神」とする。一方、(坂石要 2003, p. 46)には、「足手荒社」とある。
- ^ 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁。『岱明町史』1377頁。後者は、呼び名が、一般的な「足手荒神」ではない理由は不詳とする。
- ^ 現在の住所表示としては、男鹿市福川になる(男鹿市ジオパーク学習センター特設コーナーができました! - 男鹿半島・大潟ジオパーク)
- ^ 秋田魁新報平成27年12月1日「北斗星」、同月27日「ふるさと小紀行」、
- ^ 『若美町の石造遺物(第二集)』
- ^ 水木「手足の神」、水木『水木しげるの妖怪事典』、水木『妖怪画談』。「手足の神」には「秋田県南秋田郡若美町払戸」、『水木しげるの妖怪事典』には「秋田県若美町払戸にある」、『妖怪画談』には「民俗学図録を見ていたら」「秋田県若美町払戸というところ」とある。
- ^ 久保田『「日本の神さま」おもしろ小事典』76頁
- ^ 『ムラの生活 下』379頁、『久留米市史 第5巻』409頁、427頁
- ^ 北緯32度50分14.5秒 東経130度37分15.1秒 / 北緯32.837361度 東経130.620861度
- ^ 医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市
- ^ 北緯32度26分1.5秒 東経130度34分39.5秒 / 北緯32.433750度 東経130.577639度
- ^ 「八代の民俗」389-391頁、『角川日本地名大辞典 熊本』1267頁
- ^ 足手荒神石塔:遺跡ウォーカー、『荒尾市史』552頁
- ^ 『荒尾市史』552頁
- ^ 北緯32度12分47.6秒 東経130度24分19.4秒 / 北緯32.213222度 東経130.405389度
- ^ 『新水俣市史』327頁
- ^ 『新水俣市史』404-405頁
- ^ 同社発行「大宮神社御由緒」の境内図
- ^ 『菊鹿町史 本編』1112頁
- ^ a b c d 『菊池市史 下巻』522頁
- ^ 焼野の足手荒神:遺跡ウォーカー、『九州・沖縄の民間療法』196頁〔林幹彦執筆〕
- ^ 足手荒神 - なごみ紀行 くまもと、浜名『天草伝説集』24-25頁
- ^ 北緯32度28分8.4秒 東経130度23分23.5秒 / 北緯32.469000度 東経130.389861度
- ^ 窪『庚申信仰の研究』452頁、『九州の民間信仰』244頁〔松岡実執筆〕、『九州・沖縄の民間療法』148-149頁〔小玉洋美執筆〕
- ^ 熊本日日新聞 平成4年11月17日 朝刊 27頁
- ^ a b 『玉東町史 通史編』1202頁
- ^ 熊本県のメールマガジン「気になる!くまもと」 第184号関連情報サイト、『三加和町史 下巻』98頁
- ^ 和水町観光マップ・観光イベント - 観光情報。手足の神様の他、同町には胃の神様、命の神様、いぼの神様、性の神様、歯の神様、耳の神様、目の神様があり、「八つの神様めぐり」とされている。
- ^ ここを紹介した書籍に、勝瀬『九州の東の端から西の果てまで里山遠足』72-79頁
- ^ 『菊水町史』97頁
- ^ 北緯32度52分43.7秒 東経130度51分39.2秒 / 北緯32.878806度 東経130.860889度
- ^ 大津町 室町、『角川日本地名大辞典 熊本』1428頁
- ^ 『大津町史』1131頁、『熊本県神社誌』163頁
- ^ 大津町 その他のイベント
- ^ 北緯33度7分20.8秒 東経131度4分2.5秒 / 北緯33.122444度 東経131.067361度
- ^ 『小国郷土誌』153頁、『小国郷史』615頁、森田『熊本県の歴史』付録51頁
- ^ 『日本祭礼地図 2』300頁
- ^ 『産山村誌』1247頁、1254-1255頁
- ^ 足手荒神社 - 南阿蘇村ホームページ
- ^ ここについての文献に、牛島『図説日本民俗誌』91頁、今村「芥神(あくたがみ)と足手荒神」31頁、『角川日本地名大辞典 熊本』1306頁
- ^ 『肥後国誌 下 復刻版』584頁、今村「芥神(あくたがみ)と足手荒神」30-31頁
- ^ 『肥後国誌 下 復刻版』584頁
- ^ 『久木野村誌 第1巻』142頁
- ^ 熊本県文化財調査報告第21集 濱の館103頁、広報やまと平成25年2月号(第108号)12頁
- ^ 高塚五輪塔群:遺跡ウォーカー、『竜北村史』207-208頁、熊本県文化財調査報告第34集 五ッ穴横穴群117頁、120頁
- ^ 北緯33度9分40.4秒 東経131度31分34.7秒 / 北緯33.161222度 東経131.526306度
- ^ 北緯33度17分5.1秒 東経131度28分35.8秒 / 北緯33.284750度 東経131.476611度
- ^ 染矢『日本の民俗 大分』140頁、『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕、『別府市誌』589頁
- ^ 『民俗行事と伝説 前津江の文化財』53頁
- ^ 《丸山公園》 - iナビ大分、『直入町誌』842-843頁、925-926頁
- ^ 『直入町誌』853頁、926頁
- ^ 北緯32度59分26.6秒 東経131度16分17.9秒 / 北緯32.990722度 東経131.271639度
- ^ 『農村舞台探訪』216頁、『久住町誌』534-535頁
- ^ 北緯32度57分57.4秒 東経131度23分1.6秒 / 北緯32.965944度 東経131.383778度
- ^ 『角川日本地名大辞典 大分』339-340頁、953頁、『竹田市史 下巻』346-347頁、373頁、『竹田奇聞 中編』100-101頁、大分合同新聞 昭和58年2月24日 夕刊3頁
- ^ a b c d e 『竹田市史 下巻』346-347頁
- ^ 帆足サカヱ「二日市足手荒神」『九重寿大学研究資料集 4集』6頁、大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、「広報ここのえ」588号18頁
- ^ 大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』109頁
- ^ 二日市足手荒神に関するその他の文献として「研究ノート 大分県の民具(二)」36頁、大分合同新聞 平成3年7月10日 朝刊13頁、『九重町誌 下巻』816-817頁
- ^ 柳田『分類祭祀習俗語彙』454頁、立川『病気を癒す小さな神々』298頁
- ^ 『願い・奉納物』148-149頁
- ^ 『願い・奉納物』134頁
- ^ 『江戸時代の民間信仰』今様願掛重宝記2頁
- ^ 今村『日本の民間医療』79-80頁、『日本宗教民俗図典』80-81頁、『願い・奉納物』138-139頁、岩井『暮しの中の神さん仏さん』213頁
- ^ 『願い・奉納物』63-63頁、立川『病気を癒す小さな神々』298頁
- ^ 『綜合日本民俗語彙 第1巻』25頁、民俗語彙データベース - 国立歴史民俗博物館サイト内(「アシオウサマ」で検索)
- ^ 立川『病気を癒す小さな神々』308頁
- ^ 『九州・沖縄の民間療法』196頁〔佐々木哲哉執筆〕、立川『病気を癒す小さな神々』308頁
- ^ 立川『病気を癒す小さな神々』297-298頁
- ^ 『願い・奉納物』168-169頁
- ^ 『九州・沖縄の民間療法』196頁〔佐々木哲哉執筆〕、岩井『暮しの中の神さん仏さん』214頁
- ^ 篠栗四国八十八箇所霊場第七十一番札所
足手荒神(甲斐神社)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:48 UTC 版)
熊本県上益城郡嘉島町にある甲斐神社は足手荒神と呼ばれている。その名の通り祈願すると手足の病が治るといわれているが、これは肥後国人一揆で手足に重傷を負った親英が地元の住民に手厚い看護を受け、「このお礼に死んだあとはこの地で、手足の病の守り神となろう」と言い残して死んだという逸話がもとになっているといわれる。父・宗運もここに祭られている。
※この「足手荒神(甲斐神社)」の解説は、「甲斐親英」の解説の一部です。
「足手荒神(甲斐神社)」を含む「甲斐親英」の記事については、「甲斐親英」の概要を参照ください。
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