信仰の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:43 UTC 版)
初期のセトは砂漠の神であり、砂嵐を引き起こしているとされるが、その一方キャラバンの守り神でもある。また、粗暴な性格を持つ戦争を司る神であるが、その武力が外に向けられると軍隊の守護神となり、悪邪アポピスからラーを守る役割とも合わさって軍神としての神格を持つようになり、信仰を受けるようになった。次第にセトは元より信仰を受けていたホルスと取って変わるようになり、紀元前3000年代には特にナイル川下流部の下エジプトの王を後援・象徴する神となり、大いに崇められた。ところが、時代を下るにつれて、オシリスがセトより重要な神と認知され始めたため、正反対の描写をされてきたセトは悪役の立場を背負わされ、遂には兄オシリスを殺すというエピソードまで生まれた(オシリスとイシスの伝説を参照)。そして、親の敵討ちに乗り出すホルスの敵役にされてしまう。長らくエジプトの嫌われ者となったセトだが、第19王朝になって宗教上の復権を果たした。これはラムセス家のセトへの信仰とセトの名を冠したファラオ、セティ1世が即位したためである。「セティ」とは、「セト神による君主」という意味であり、セティ1世の息子であるラムセス2世はセトから弓の使い方を教えられるレリーフやホルスとセトに戴冠式の祝福をされる場面を表したレリーフを残し、セトは「王の武器の主人」という称号を受け、ファラオに武術を教える神として信仰された。このようなセト神への信仰からラムセス家がヒクソス系ともセト神の神官の家系であったともいう説もある。また第20王朝はセトナクト(「セトによって勝利する」の意味)という名のファラオ。しかしながら、戦争に関する神は民間で人気がなく、王家の崇める神に留まったが、それでも上エジプトでは根強く信仰された。
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