太子信仰の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:46 UTC 版)
太子は、『日本書紀』(以下、書紀)が編まれた時から超人的能力をもつ存在として描かれて崇敬の対象となり、時代が降ると信仰へと発展していくが、こうした変遷は各時代に著された太子伝でたどることができる。吉田一彦は、様々な太子伝を比較すると伝承の対立が見られ、それらを詳細に分析すると『聖徳太子伝暦』(以下、伝暦)は四天王寺、『上宮聖徳法王帝説』(以下、法王帝説)は法隆寺、『上宮聖徳太子伝補闕記』(じょうぐうしょうとくたいしでんほけつき。以下、補闕記)は広隆寺、『上宮厩戸豊聡耳皇太子伝』(かみつみやのうまやとのとよとみみこうたいしでん。以下、皇太子伝)は橘寺で製作された太子伝で、各寺院とりわけ四天王寺と法隆寺が信仰の中心地を競い合うなかで太子信仰が発展していったことが分かるとしている。
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