信仰の伴わない訪問に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 23:56 UTC 版)
「パワースポット」の記事における「信仰の伴わない訪問に対する批判」の解説
江原啓之はブームの加熱ぶりを視野に入れつつ、ブームに乗って神仏への畏敬の念を持たずに「スタンプラリーのように」パワースポット巡りをする行いについては批判した。 2010年8月20日の読売新聞 YOMIURI ONLINEの記者は、出雲市佐田町にある須佐神社の神職が「数年前まで年間1、2万人だった参拝客が、今では10万人はいるのでは」と話しながらも「携帯のカメラで大杉を撮影するのに夢中で、鳥居や本殿は素通り。神社はお参りするところなのに」と困惑した、と伝えた。 毎日新聞の記者は、既存の宗教界からは、参拝者が増加していることに肯定的な評価と、オカルト信仰などにつながりかねないと危惧する声もある、とした。同記者は鞍馬山博物館の学芸員が「最初は戸惑いもあったが、いろいろな信仰の形があっていい。本堂の前だし比叡山も眺望でき、心が落ち着く根拠はある。信仰の世界に目を向ける人が増えるのはいいこと」としつつ「パワーをもらうだけでは終わらず、人に親切にするなど、仏の心に気付いてほしい」と述べたという。
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