信仰のルーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 01:33 UTC 版)
魏と呉が関羽を排除するための連合を組むという事態を迎え、関羽は養子の関平と共に呂蒙に討たれる事になった(219年の樊城の戦い。なお関平が養子との記載は正史にはない)。 その直後に関羽を討った呂蒙は病死(219年末)、呂蒙の副将の孫皎も同時期に病死、魏の曹操も220年3月に病死するなど、関羽の死に関わった人物が幾人も関羽の死から時をおかず相次いで倒れた。 もともと中国には、通常の死ではなく非業の死を遂げた人は強い霊力が宿ると考えられており(日本の御霊信仰にも通じる)、関羽の死の後に起こった関係者の死に超自然的な力を感じ取った事だろう。 関羽の生前の武将としての知名度に加え、こうした関羽の死を巡る展開が信仰のルーツとなったと考えられる。
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