世界恐慌: 1929年-1941年とは? わかりやすく解説

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世界恐慌: 1929年-1941年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:51 UTC 版)

アメリカ合衆国の経済史」の記事における「世界恐慌: 1929年-1941年」の解説

詳細は「世界恐慌」、「ニューディール政策」、「国際決済銀行」、および「金解禁」を参照 連邦準備制度理事会銀行淘汰されるのをただ見ていた。脆弱な銀行システム存在により、預金者は自分預金守ろう不安に駆られ取り付け騒ぎ起こした。一旦、取り付け騒ぎが起こると銀行連鎖破綻可能性もあり、銀行預金対す準備率引き上げた1930年から1933年3月までの間に4回の銀行恐慌発生しその間現金・預金比率準備・預金比率上昇したため、貨幣乗数低下ハイパワードマネーの上昇にもかかわらず貨幣乗数ハイパワードマネーの積である通貨供給量1933年には1929年3分の2水準にまで落ち込み物価急激に下落させた。 ハーバート・フーヴァー大統領は、貿易不振世界恐慌の原因とみなし、貿易振興観点からフーヴァーモラトリアム提唱し第一次世界大戦の賠償金の支払い猶予提唱した一方で大増税法案を通して落ち込む歳入増やそうとし、保護主義スムート・ホーリー関税法署名したが、これはカナダイギリスドイツなど貿易相手国の報復呼んだアメリカ経済不況陥った1932年までに失業率は23.6%にもなった。状況重工業製材業輸出用農産物綿花小麦タバコ)および工業悪かったホワイトカラー軽工業ではそれほど悪くなかったフランクリン・ルーズベルト1932年大統領選キャンペーンに「3つのR - 救済回復および改革」(Three R's - relief, recovery and reform.)を主唱し、彼はそのスピーチの中で“ニュー・ディール”の用語を造った。この大統領選政策論争に終わらなかった。1932年3月4日からペコラ委員会発足して暗黒の木曜日引き起こした原因調べ始めた主催ニューヨーク検事補フェルディナンド・ペコラが務め委員会報告連日新聞一面飾ったスキャンダルの嵐が吹き荒れ一筋かまいたち全米堪忍袋引き裂いた一つ銀行シンジケートにおいて、ジョン・モルガン息子ジャック1930年から3年間、また19人の仲間1931年翌年連邦所得税支払っていなかった。ジャックイギリス所得税支払っており、先の19人は保有損失税金控除受けていた。これら自体は何も違法性がなかったが、ジャック・モルガンがインサイダー取引手を染めて公開上場前にまとめて引受け仲間安く売却していたことが分かった所得税に関する情報は、インサイダー情報共有するシンジケート範囲基盤関係したインサイダー具体的内容はこうである。JPモルガン主幹事として1929年にアレゲーニー・テクノロジー(リンク先醜聞倒産してから再生をとげた後継企業)など3社の持株会社発行した新株引受けてコネクター払い下げていた。アレゲーニーの場合払い下げ価格が120ドルだった。コネクターはそれらを市場価格35ドル売却したコネクターには、カルビン・クーリッジウィリアム・ウッディンチャールズ・リンドバーグなどがいた。 ルーズベルト多様な助言集団ブレーントラスト)に大きく依存しており、彼等ニューディール政策呼ばれる多く計画問題解決していくことになった1933年3月4日ルーズベルト大統領就任したその日金融恐慌全米広がり3月6日から9日までの4日全米銀行休業命令出された(バンクホリデーモラトリアム)。ルーズベルト就任から最初100日間重要法案議会承認させ、恐慌克服動き出したいわゆる百日議会」)。農家経営安定のために農業調整法AAA)、失業対策のためのテネシー川流域開発公社TVA)に代表される公共事業連邦緊急救済法(FERA)、政府企業経営関与し生産調整価格安定化により企業経営改善を図る一方労働者団結権や団体交保証した全国産業復興法NIRA)、また、金融制度安定のために、証券業務規制強化した1933年証券法商業銀行証券業務分離預金救済のために連邦預金保険公社FDIC)の創設などを規定したグラス・スティーガル法1933年連邦銀行法)等である。同法証券取引委員会根拠法立法事実として、ペコラ委員会調査報告国民記憶深く刻まれている。経済学ニューディール政策社会政策としての側面がしばしば強調される。しかし正しく評価するならば、前掲ウィリアム・ウッディンを例とするしがらみありながら証券界の腐敗という問題核心には一応の措置講じたものということになる。 ニューディール政策1933年の諸立法完結しない。1934年全国住宅法(National Housing Act of 1934)に定めた条件で、連邦住宅局(Federal Housing Administration)が住宅モーゲージ貸付債務不履行による債権者損失債務者保険料保険するようになった。この制度こそ恐慌起因作用した保険対象は、全国住宅第一章リフォーム貸付と、第二章においては原則として203(b) 項の1-4家族新築貸付であった前者保険する程度融資額の20%(後に10%であったが、当分保険料の徴収はなかった。後者最初から保険料徴収された。後者ではデータ蓄積に伴いモーゲージリスク格付け進んだ。これがモーゲージ証券化の端緒であった。そして連邦政府自らがモーゲージ流動化第二次市場形成しようとした。1935年設立されRFCモーゲージ・カンパニー(RFC Mortgage Company)と、1938年設立されワシントン国法抵当金庫National Mortgage Association of Washington, 連邦住宅抵当公庫起こり)が連邦住宅保険モーゲージ購入した商業銀行相互貯蓄銀行Mutual savings bank)・生命保険会社保険制度恩恵受けた貯蓄貸付組合恩恵少なかった国際経済面では1933年4月19日金本停止平価切り下げにより通貨価値高騰はようやく安定見せた1934年1月には金平価を1オンス35ドルとする金準備法を制定した南北戦争中から維持されていた旧平価1オンス20.67ドル59%にまで切り下げられのである。こうして金本位制から離脱しドル安方向為替誘導した一方でデフォルト続きラテンアメリカ諸国善隣外交進めドルブロックを形成しイギリススターリングブロックフランスのフランブロック、日本の円ブロック対抗した政府支出フーヴァー政権1932年GNP8.0%から1936年にはGNP比10.2%に増えたルーズベルトが「通常予算均衡させる一方、緊急予算国債賄われ国債1932年GNP比33.6%からGNP比40.9%まで増えた赤字予算何人かの経済学者中でも著名な者はイギリスジョン・メイナード・ケインズによって推奨された。ルーズベルトケインズ会ったが、その推奨には注意を払わなかった。統計図表書き続けていたケインズ会った後でルーズベルトは「彼は政治経済学者というよりも数学者違いない」と注釈したケインズルーズベルトの爪の形が気になるあまり自分何を説明したかよく覚えていなかったという。 失業対策事業公共事業への支出アメリカ経済回復させるだけの刺激与えたその程度、あるいはそれが経済悪影響もたらしたのかが今でも議論されている。経済健全さ全体国内総生産定義するならば、アメリカ1934年までに回復軌道に乗り1936年までに完全に回復したが、1937年不況失業率1934年水準まで戻った不況のさなかに『アメリカ60家族』という本が出版され合衆国独占的な経済構造暴露した。 ブローダス・ミッチェルは「大半指標1932年夏まで悪化し経済的に心理的に不況の底と呼んでいいかもしれない」と要約した経済指標ではアメリカ経済1932年夏から1933年2月まで底を突きその後着実に急速な回復遂げ、それが1937年まで続いたことを示している。工業生産に関する連邦準備制度指標1932年7月1日最低点52.8となり、実質的に1933年3月1日の54.3まで変化無かった。しかし、1933年7月1日までに85.5まで達した1935年から1939年指標100とする。これを2005年でみれば1,342となる)。ただし、こうした指標の値は必ずしも庶民実感伴ったわけではなかった。 表2: 世界恐慌の間のデータ1929年1931年1933年1937年1938年1940年実質国内総生産 (GDP) 1 101.4 84.3 68.3 103.9 103.7 113.0 消費者物価指数 2 100.00 88.88 76.02 84.21 82.46 81.87 鉱工業生産指数 3 109 75 69 112 89 126 通貨供給量 M2(10億ドル) 46.6 42.7 32.2 45.7 49.3 55.2 輸出10億ドル) 5.24 2.42 1.67 3.35 3.18 4.02 失業率民間労働人口対する%) 3.1 16.1 25.2 13.8 16.5 13.9 1 単位:10億ドル物価水準1929年におけるドル価値基準2 1982年-84年基準とした都市部消費者物価指数1929年=100.00に換算。3 鉱工業生産に関する連邦準備制度指標1935年から1939年指標100とする。

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