ジョイスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:13 UTC 版)
「シカゴ・グレート・ウェスタン鉄道」の記事における「ジョイスの時代」の解説
1929年、フェルトンは健康を理由に役職を退いた。そのころ、 パトリック・H・ジョイス(Patrick H. Joyce)と親しい投資家たちがCGWの経営を握れるだけの株をモルガンから購入し、ジョイスを管理者に据えた。 同年、世界恐慌が投資家たちを襲った。ジョイスやその友人たちはバン・スウェリンゲン兄弟(Van Sweringen brothers)とともにCGWの株価の維持工作を計った。しかし、1935年、耐えきれずにCGWは再び倒産。再建されたのは1941年であった。 CGWは経営の方向を誤りはしたが、ジョイスは近代化と革新を継続した。沿線人口の希薄な路線では利益を生じ得ないために旅客サービスを削り、支線を廃止する一方で、幹線は改良し、大型機関車を引き続き導入した。このころは車軸配置2-10-4のテキサス・タイプが100両を超える長大な列車を牽引していた。なかでももっとも革新的だったのはピギーバック輸送を開始したことである。 1936年、数百台のトレーラーを長物車に積載した。今日のインターモーダル輸送の嚆矢である。 CGWはまた、早くから動力のディーゼル化を提唱していた。初めて導入した電気式ディーゼル機関車はウェスティングハウス製の800馬力(600キロワット)のものであった。1934年でのことである。その後、1950年にかけて、完全にディーゼル化を完了した。
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