1930年代:ルーズベルトのニューディール政策と民主党の転換とは? わかりやすく解説

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1930年代:ルーズベルトのニューディール政策と民主党の転換

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:30 UTC 版)

アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「1930年代:ルーズベルトのニューディール政策と民主党の転換」の解説

1929年大暴落とそれに続く世界恐慌はより革新的な政府への道を開き1932年大統領選挙では、「救済復活改革」("Relief, Recovery, and Reform")を掲げたフランクリン・ルーズベルト地滑り的勝利英語版)を収めたルーズベルトは、それまで民主党風土であった自由放任主義資本主義から距離をとり、経済規制社会保障重きを置いた世界恐慌によって失業した労働者困窮した農村救済し経済平時状態に復活させ、長期的な構造改革により不景気再来を防ぐことを主張した彼の政策は、ルーズベルト候補指名受諾演説中の表現をとって「ニューディール政策」と呼ばれることになった歴史家たちによって後に「第一次ニューディール政策」と呼ばれることになる1933年計画は、社会幅広い賛同得ていた。ルーズベルト企業労働者農家消費者都市地方双方救済の手さしのべようとした。しかしながら翌年にはルーズベルト政策はより対立をはらむものへと方向性変えていった。1934年州知事選挙議会選挙でも圧勝すると、ルーズベルトは「第二次ニューディール政策」と呼ばれることとなる野心的な法案の成立着手したその特徴は、労働組合結成公共事業促進局WPA)による福祉事業国営化社会保障制度創設企業(特に運輸と通信分野)に対するより厳し規制導入法人税引き上げであったニューディール政策は、公共事業社会福祉事業による雇用創出焦点をあてていた。また、銀行制度労働規制運輸通信株式市場など広範に渡る制度改革や、物価統制をも含んでいた。ルーズベルトの元で、民主党社会福祉労働組合公民権経済規制推進するようになり、近代的進歩主義リベラリズム)と強く結びつけて認識されるようになった。「進歩主義リベラル)」と「保守主義コンサバティブ)」という2つ古くからある語がまったく新しい意味を帯びるようになり、リベラルはニューディール政策支持者コンサバティブ反対者を指すようになり、長期的成長重視し企業家精神低率税を支持する人々は、自らを「保守」と呼ぶようになったルーズベルト政策はすぐに実を結び労働組合南部少数派(特にカトリックユダヤ人)、自由主義者など、それまで党内対立続いていた多様な民主党支持層団結し、「ニューディール連合」が生まれた。この連合体基盤となってこの後30年間にわたって議会選挙においても大統領選挙においても、民主党優位が続くことになる。 他方保守的な民主党員ルーズベルト政策激怒し1934年アル・スミス主導者として、アメリカ自由連盟英語版)を結成し反撃開始した。しかし作戦失敗し、ほとんどは政界離れる共和党加入するかした。ディーン・アチソンなど数人民主党復党した。 1936年再選を果たすと、ルーズベルトは、ニューディール政策反対する傾向にあった最高裁判所判事を5人増員する改革案(1937年司法手続き改革法(英語版))を発表した。これには激し反対巻き起こりその先頭に立ったのは副大統領ジョン・ナンス・ガーナーであった保守派民主党員共和党連携して形成した保守連合英語版)の前にルーズベルト敗れ去りリベラル色の強い法案の成立はほとんど全て阻止された(成立したのは最低賃金定めた公正労働基準法のみであった)。自党保守派悩まされルーズベルトは、党から離れよう試み1938年議会選挙では、5人の保守的な現職民主党上院議員に対して積極的な反対運動展開したが、5人とも再選された。 ルーズベルト孤立に陥っていたが、欧州での第二次世界大戦勃発背景に、大統領は二選までというそれまで慣例破って1940年大統領選挙出馬し当選した国内厭戦感情を背にルーズベルト公約では不参戦を謳っていたが、1941年12月真珠湾攻撃理由に、正式に大戦参戦したルーズベルト有事理由1944年大統領選挙にも出馬当選したが、すでに健康状態は相当に悪化していた。このため党内では副大統領候補の指名戦が激化した現職副大統領ヘンリー・A・ウォレスルーズベルトには高く評価されていたが、非常にリベラルな人物として知られ保守層には強く警戒されていた。結局副大統領候補には中道派ハリー・S・トルーマン選出された。

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