1930年代:ルーズベルトのニューディール政策と民主党の転換
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「1930年代:ルーズベルトのニューディール政策と民主党の転換」の解説
1929年の株の大暴落とそれに続く世界恐慌はより革新的な政府への道を開き、1932年の大統領選挙では、「救済、復活、改革」("Relief, Recovery, and Reform")を掲げたフランクリン・ルーズベルトが地滑り的勝利(英語版)を収めた。ルーズベルトは、それまでの民主党の風土であった自由放任主義的資本主義から距離をとり、経済規制と社会保障に重きを置いた。世界恐慌によって失業した労働者と困窮した農村を救済し、経済を平時状態に復活させ、長期的な構造改革により不景気の再来を防ぐことを主張した彼の政策は、ルーズベルトの候補指名受諾演説中の表現をとって「ニューディール政策」と呼ばれることになった。 歴史家たちによって後に「第一次ニューディール政策」と呼ばれることになる1933年の計画は、社会の幅広い賛同を得ていた。ルーズベルトは企業と労働者、農家と消費者、都市と地方の双方に救済の手をさしのべようとした。しかしながら、翌年にはルーズベルトの政策はより対立をはらむものへと方向性を変えていった。1934年、州知事選挙と議会選挙でも圧勝すると、ルーズベルトは「第二次ニューディール政策」と呼ばれることとなる野心的な法案の成立に着手した。その特徴は、労働組合の結成、公共事業促進局(WPA)による福祉事業の国営化、社会保障制度の創設、企業(特に運輸と通信分野)に対するより厳しい規制の導入、法人税引き上げであった。 ニューディール政策は、公共事業と社会福祉事業による雇用の創出に焦点をあてていた。また、銀行制度、労働規制、運輸、通信、株式市場など広範に渡る制度改革や、物価統制をも含んでいた。ルーズベルトの元で、民主党は社会福祉や労働組合、公民権や経済規制を推進するようになり、近代的進歩主義(リベラリズム)と強く結びつけて認識されるようになった。「進歩主義(リベラル)」と「保守主義(コンサバティブ)」という2つの古くからある語がまったく新しい意味を帯びるようになり、リベラルはニューディール政策の支持者、コンサバティブは反対者を指すようになり、長期的成長を重視し、企業家精神や低率税を支持する人々は、自らを「保守」と呼ぶようになった。ルーズベルトの政策はすぐに実を結び、労働組合や南部、少数派(特にカトリックとユダヤ人)、自由主義者など、それまで党内で対立が続いていた多様な民主党支持層が団結し、「ニューディール連合」が生まれた。この連合体が基盤となって、この後、30年間にわたって、議会選挙においても大統領選挙においても、民主党の優位が続くことになる。 他方、保守的な民主党員はルーズベルトの政策に激怒し、1934年、アル・スミスを主導者として、アメリカ自由連盟(英語版)を結成し、反撃を開始した。しかし作戦は失敗し、ほとんどは政界を離れるか共和党に加入するかした。ディーン・アチソンなど数人は民主党に復党した。 1936年に再選を果たすと、ルーズベルトは、ニューディール政策に反対する傾向にあった最高裁判所の判事を5人増員する改革案(1937年司法手続き改革法(英語版))を発表した。これには激しい反対が巻き起こり、その先頭に立ったのは副大統領のジョン・ナンス・ガーナーであった。保守派民主党員と共和党が連携して形成した保守連合(英語版)の前にルーズベルトは敗れ去り、リベラル色の強い法案の成立はほとんど全て阻止された(成立したのは最低賃金を定めた公正労働基準法のみであった)。自党の保守派に悩まされたルーズベルトは、党から離れようと試み、1938年の議会選挙では、5人の保守的な現職民主党上院議員に対して積極的な反対運動を展開したが、5人とも再選された。 ルーズベルトは孤立に陥っていたが、欧州での第二次世界大戦勃発を背景に、大統領は二選までというそれまでの慣例を破って1940年の大統領選挙に出馬し、当選した。国内の厭戦感情を背にルーズベルトは公約では不参戦を謳っていたが、1941年12月の真珠湾攻撃を理由に、正式に大戦に参戦した。ルーズベルトは有事を理由に1944年の大統領選挙にも出馬・当選したが、すでに健康状態は相当に悪化していた。このため、党内では副大統領候補の指名戦が激化した。現職の副大統領ヘンリー・A・ウォレスはルーズベルトには高く評価されていたが、非常にリベラルな人物として知られ、保守層には強く警戒されていた。結局、副大統領候補には中道派のハリー・S・トルーマンが選出された。
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