副大統領候補の指名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 02:39 UTC 版)
「1956年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「副大統領候補の指名」の解説
1956年民主党全国大会のハイライトは、スティーブンソンが候補者選びの興奮を生み出そうとして、副大統領候補は代議員達が選ぶと突然の宣言をしたときだった。このことで、指名を得るために数人の候補者による激しい指名獲得競争が始まった。副大統領候補レースの興奮の大部分は、投票が始まるまでに代議員達に訴える時間が慌ただしい1日間しか残されていないという事実によっていた。有力候補は2人いた。1人はキーフォーヴァー上院議員であり、主な代議員の支持を保持していた。もう1人はマサチューセッツ州選出の若き上院議員ジョン・F・ケネディであり、当時は比較的知名度が低かった。スティーブンソンは副大統領候補としてケネディの方を好んだが、投票に影響を与えるようなことは如何なることもしなかった。専門家達を驚かせたことに、ケネディは2回目の投票で首位に立ち、しかも指名まで15票足りないだけだった。しかし、多くの州がその州の「お気に入りの息子」候補から離反し、キーファーヴァーに鞍替えしたことから、調整後の集計でキーファーヴァーが勝利した。ケネディはこの時潔い敗北演説を行った。この敗北はケネディにとって事実上長きにわたる大統領挑戦の始まりだった。キーフォーヴァーを倒す寸前まで行くことで全国的知名度を得ることができ、さらに最後はキーフォーヴァーに破れることで、11月に予測されるスティーブンソンがアイゼンハワーに破れることに対する非難は回避した。副大統領候補者選びの投票結果は以下の通りだった。 クリントン・アンダーソン、ニューメキシコ州選出のアメリカ合衆国上院議員 アルバート・ゴア・シニア、テネシー州選出のアメリカ合衆国上院議員 ルーサー・H・ホッジス、ノースカロライナ州知事 ヒューバート・H・ハンフリー、ミネソタ州選出のアメリカ合衆国上院議員 リンドン・ジョンソン、アメリカ合衆国上院院内総務、テキサス州出身 エステス・キーフォーヴァー、テネシー州選出のアメリカ合衆国上院議員 ジョン・F・ケネディ、マサチューセッツ州選出のアメリカ合衆国上院議員 スチュアート・サイミントン、ミズーリ州選出のアメリカ合衆国上院議員 ロバート・F・ワグナー・ジュニア、ニューヨーク市長 パット・ブラウン、カリフォルニア州検事総長 フランク・G・クレメント、テネシー州知事 リロイ・コリンズ、フロリダ州知事 副大統領候補指名投票の結果(1956年民主党)候補者: 投票回12 調整前2 調整後エステス・キーフォーヴァー466.5551.5755.5ジョン・F・ケネディ294.5618589アルバート・ゴア・シニア178110.513.5ロバート・F・ワグナー・ジュニア162.59.56ヒューバート・H・ハンフリー13474.52ルーサー・H・ホッジス400.50P・T・メイナー3300リロイ・コリンズ2900クリントン・アンダーソン1600フランク・G・クレメント1400パット・ブラウン100リンドン・ジョンソン100スチュアート・サイミントン100
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