副大統領への道とは? わかりやすく解説

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副大統領への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 15:01 UTC 版)

モハマッド・ユスフ・カラ」の記事における「副大統領への道」の解説

スラウェシでの和平プロセス尽力したことで評判得たカラは、2004年正副大統領選出馬するかどうか思案した。 そして、2003年8月、彼は大統領選出馬意向明らかにした。翌2004年予定されていたゴルカル党大会大統領候補名乗りを上げ、党の候補者指名選挙に臨むつもりだった。しかし数ヶ月もすると、カラ副大統領候補として相応しいのではないか考えられるようになった大統領候補ジャワ人場合、そのパートナーとなる副大統領として期待されるのは、非ジャワ島出身者である。カラスラウェシ島出身というバックグラウンドは、非ジャワ島の票を集め上で有効な武器になると考えられのであるゴルカル全国党大会開催直前になってカラ大統領選から撤退する決心をした。そして民主党 (PD) のユドヨノ呼びかけに応じて二人三脚正副大統領選を戦うことにした。一方ゴルカル大統領候補は、候補者指名選挙党首アクバル・タンジュンを破ったウィラント(元国軍司令官退役陸軍大将)に決まりウィラントペアを組む副大統領候補としてナフダトゥル・ウラマー (NU) の副議長サラフディン・ワヒドを選んだ。これによってゴルカルの票は割れることになったが、ユドヨノカラという正副大統領候補組み合わせには、月星党 (PBB)、インドネシア正統一党 (PKPI) 、改革の星党 (PBR) が支持表明した2004年7月5日正副大統領選が行われた。第1回投票ユドヨノカラ33%の得票率得て第1位になったが、当選必要な過半数に届かなかったため、 メガワティ陣営副大統領候補はハシム・ムザディ NU 議長)との決選投票に臨むことになった決選投票向けてメガワティ陣営が自らのインドネシア闘争民主党 (PDI-P) と、ゴルカル開発統一党 (PPP)、福祉平和党 (PDS)、マルハエニズム・インドネシア国民党 (PNI Marhaenisme) からなる政党連合結成したことによって、ユドヨノ・カラ陣営重大な挑戦を受けることになったユドヨノその他の諸政党からの支持集め票固め奔走しカラゴルカル支持求め走った。そして、ゴルカル内のカラ派であるファフミ・イドリス(ハビビ内閣労働大臣率い一派が、党路線無視しユドヨノカラ支持する表明した2004年9月20日決選投票結果ユドヨノカラ得票率60.87%を獲得し正副大統領選出された。

※この「副大統領への道」の解説は、「モハマッド・ユスフ・カラ」の解説の一部です。
「副大統領への道」を含む「モハマッド・ユスフ・カラ」の記事については、「モハマッド・ユスフ・カラ」の概要を参照ください。

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