副大統領への道
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「モハマッド・ユスフ・カラ」の記事における「副大統領への道」の解説
スラウェシでの和平プロセスに尽力したことで評判を得たカラは、2004年の正副大統領選に出馬するかどうかを思案した。 そして、2003年8月、彼は大統領選出馬の意向を明らかにした。翌2004年に予定されていたゴルカル党大会で大統領候補に名乗りを上げ、党の候補者指名選挙に臨むつもりだった。しかし数ヶ月もすると、カラは副大統領候補として相応しいのではないかと考えられるようになった。大統領候補がジャワ人の場合、そのパートナーとなる副大統領として期待されるのは、非ジャワ島出身者である。カラのスラウェシ島出身というバックグラウンドは、非ジャワ島の票を集める上で有効な武器になると考えられたのである。 ゴルカル全国党大会の開催直前になって、カラは大統領選から撤退する決心をした。そして民主党 (PD) のユドヨノの呼びかけに応じて、二人三脚で正副大統領選を戦うことにした。一方、ゴルカルの大統領候補は、候補者指名選挙で党首アクバル・タンジュンを破ったウィラント(元国軍司令官、退役陸軍大将)に決まり、ウィラントはペアを組む副大統領候補として、ナフダトゥル・ウラマー (NU) の副議長サラフディン・ワヒドを選んだ。これによってゴルカルの票は割れることになったが、ユドヨノ、カラという正副大統領候補の組み合わせには、月星党 (PBB)、インドネシア公正統一党 (PKPI) 、改革の星党 (PBR) が支持を表明した。 2004年7月5日、正副大統領選が行われた。第1回投票でユドヨノとカラは33%の得票率を得て第1位になったが、当選に必要な過半数に届かなかったため、 メガワティ陣営(副大統領候補はハシム・ムザディ NU 議長)との決選投票に臨むことになった。 決選投票に向けて、メガワティ陣営が自らのインドネシア闘争民主党 (PDI-P) と、ゴルカル、開発統一党 (PPP)、福祉平和党 (PDS)、マルハエニズム・インドネシア国民党 (PNI Marhaenisme) からなる政党連合を結成したことによって、ユドヨノ・カラ陣営は重大な挑戦を受けることになった。ユドヨノはその他の諸政党からの支持集めと票固めに奔走し、カラはゴルカルに支持を求めに走った。そして、ゴルカル内の親カラ派であるファフミ・イドリス(ハビビ内閣の労働大臣)率いる一派が、党路線を無視し、ユドヨノとカラを支持すると表明した。 2004年9月20日、決選投票の結果、ユドヨノとカラは得票率60.87%を獲得し、正副大統領に選出された。
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