副大統領を飛び超えた継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:50 UTC 版)
「アメリカ合衆国大統領の継承順位」の記事における「副大統領を飛び超えた継承」の解説
9名の副大統領が大統領の死亡または辞任と同時に大統領職を継承し、3名の副大統領が一時的に大統領代行を務めたが、これ以外には大統領の職務を執行するよう求められた幹部は未だかつて存在しない。 ジェームズ・ポークの任期は、1849年3月4日(日曜日)に満了した。次期大統領ザカリー・テイラーは宗教的な信条を理由に、日曜日に宣誓するのを断った。デーヴィッド・ライス・アッチソン上院仮議長の墓石には、彼が1日間のみ大統領であったと刻まれている。しかし、上院仮議長としてのアッチソン自身の任期満了日が3月3日であったとすると、その主張はどうやら疑わしい。実際、アッチソンは大統領就任の宣誓をしていないのであるから、単にテイラーが宣誓しなかったからといって、アッチソンを大統領とすることは筋が通らない。 1865年、アンドルー・ジョンソンがエイブラハム・リンカンの死に際して大統領を引き受けたとき、副大統領職は空になった。当時、上院仮議長の継承順位は副大統領の次であった。1868年にジョンソンは下院で弾劾訴追されたが、もし彼が上院の弾劾裁判で免職されていたならば、ベンジャミン・ウェード上院仮議長が大統領代行となったであろう。このことは、利害の衝突を惹起した。なぜなら、免職に関するウェード自身の投票は、彼が大統領を継承するか否かを決することに貢献するからである。 1973年にスピロ・アグニュー副大統領が辞任した時は、カール・アルバート下院議長が継承順位の筆頭となった。ウォーターゲート事件によりニクソン大統領の解任または辞任の可能性が浮上したため、アルバートが合衆国法典第3編第19条第(c)項に基づいて、大統領代行となり、「当時の現在の大統領の任期満了まで、大統領として行動する」可能性が出てきた。アルバートは、大統領職の公的な権能を共和党員が保持していた場合、民主党員である自分が大統領の権限および義務を引き受けるのは果たして適切なのか、率直に疑義を呈した。アルバートは、自身が大統領の権限および義務を引き受ける必要があるならば、管理人としてのみ引き受けると発表した。しかし、ジェラルド・フォードが副大統領に指名および承認されたことにより、これら一連の出来事は全く検証されなかった。フォードが大統領に就任してからネルソン・ロックフェラーが副大統領として承認されるまでの4か月間、アルバートは再び筆頭継承者となった。 1981年にロナルド・レーガン大統領が銃撃されたとき、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領はテキサス州を外遊中であった。アレグザンダー・ヘイグ国務長官は記者の質問に応じ、誰が政府を指揮しているのかについて次のように述べた。 諸君、憲法上大統領の次には副大統領、国務長官がおり、もし大統領が副大統領への権限委譲を決意したならば、彼はそうするであろう。これまで彼はそうしてこなかった。現時点では、副大統領が帰還するまでの間、私は副大統領と密に連絡を取りつつここホワイトハウスを統括している。もしも事が起こった場合は、当然彼に確認するつもりである。 ヘイグの意見の意義を巡って、激しい論争が起こった。一部の者は、ヘイグが継承順序について言及しようとして、大統領権限を一時的に有すると誤って主張したのだと考えた。これに対し、ヘイグやその支持者は、リチャード・ニクソン辞任時の大統領首席補佐官であった彼が継承順序について熟知していることを挙げ、彼は自分が行政府の現場における最高幹部であり、副大統領がワシントンに帰還するまで一時的に職務を遂行している旨を示したに過ぎないと述べた。
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