副大統領候補指名投票の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 06:02 UTC 版)
「1972年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「副大統領候補指名投票の結果」の解説
何百もの代議員が積極的にニクソンを支持するか、1つかその他の理由でマクガヴァンに怒っている状況で、副大統領候補指名投票は混乱し、少なくとも3人の候補者は自分の名前を指名に入れ、投票結果は70人以上の候補者に分散した。 トマス・イーグルトン 1742 フランシス・ファーレンソルド 405 マイク・グラベル 226 エンディコット・ピーボディ 108 クレイボーン・W・スマザーズ 74 バーチ・ベイ 62 ピーター・ロディノ 57 ジミー・カーター 30 シャーリー・チザム 20 ムーン・ランドリュー 18.5 エドワード・ブリーシット 18 エドワード・ケネディ 15 フレッド・ハリス 14 リチャード・ハッチャー 11 ハロルド・ヒューズ 10 ジョーゼフ・モントーヤ 9 ウィリアム・ガイ、アドレー・スティーブンソン3世 各8 ロバート・バーグランド、セザール・シャベス、ウィルバー・ミルズ 各5 ウェンデル・アンダーソン、スタンリー・アーノルド、ロナルド・デラムス、ジョン・フーリハン、ロベルト・モンドラゴン 各4 リューバン・アスキュー、ハーマン・バディロ、ユージーン・マッカーシー、クレイボーン・ペル、テリー・サンフォード 各3 ラムゼー・クラーク、リチャード・デーリー、ジョン・デカルロ、アーネスト・グリューニング、ロジャー・マッド、エドマンド・マスキー、クロード・ペパー、エイブラハム・リビコッフ、パトリック・テイラー 各2 ブルーノ・アグノリ、アーネスト・オルブライト、ウィリアム・バーレット、ダニエル・ベリガン、フィリップ・ベリガン、ジュリアン・ボンド、ハーグローブ・ボウルズ、アーチー・バンカー、フィリップ・バートン、ウィリアム・チャッペリ、ロートン・チャイルズ、フランク・チャーチ、レオン・クック、ジョージ・ドーディ、ロバート・ドリナン、ニック・ガリフィアナキス、ジョン・グッドリッチ、マイケル・グリフィン、マーサ・グリフィス、チャールズ・ハミルトン、パトリシア・ハリス、ジェイムズ・ハント、ダニエル・イノウエ、ヘンリー・M・ジャクソン、ロバート・カリス、アラード・ローウェンスタイン、毛沢東、エレノア・マクガヴァン、マーサ・ミッチェル、ラルフ・ネーダー、ジョージ・ノークロス、ジェリー・ルービン、フレッド・シーマン、ジョー・スミス、ベンジャミン・スポック、パトリック・タボラッチ、ジョージ・ウォレス 各1 その他 88.49 イーグルトン(左)とシュライバー(右) 副大統領候補指名投票は長く掛かったので、マクガヴァンとイーグルトンは朝の3時頃に指名受諾演説をしなければならなかった。 集会が終わって数週間して、イーグルトンはうつ病のために精神科の電気ショック療法を受けており、その情報をマクガヴァンに隠していたことが分かった。マクガヴァンは当初、イーグルトンを“1000%”復帰させると言っていたが、その3日後にはイーグルトンに辞退を求めた。このことが優柔不断と取られ、マクガヴァンの選挙運動にマイナスの影響を与えた。 1週間にわたって6人の著名民主党員が公に副大統領候補指名を拒否した後で、ケネディ家の義兄弟で、元駐フランス大使、貧窮に対する戦争の指導者だったサージェント・シュライバーが最終的に候補指名を受諾した。シュライバーは民主党全国委員会の特別会期で公式に指名された。この時までに世論調査のマクガヴァン支持率は42%から24%に急降下した。 ハンター・S・トンプソンの著書『72年選挙運動の道筋での恐怖と嫌悪』は、民主党の指名を勝ち取ったマクガヴァンの選挙運動を扱っている。
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