副大統領候補指名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/18 06:42 UTC 版)
「1956年民主党全国大会」の記事における「副大統領候補指名」の解説
1956年民主党全国大会の最高潮は、スティーヴンソンが候補者選びに刺激を与えようとして、副大統領候補は代議員らの選挙で決めることにすると突如宣言したときであった。このため、数人の候補の間で激しい指名獲得競争が始まった。副大統領候補指名争いが興奮を生んだのは、投票開始までに各候補が代議員らに支持を訴える猶予が1日しかなかったことが大きい。主な対立候補は2人いた。1人は、主な代議員らの支持を得ていたキーファーヴァー上院議員、もう1人は当時知名度の低かった若き上院議員ジョン・F・ケネディ(マサチューセッツ州)であった。ケネディは、2回目の投票で首位に躍り出て、専門家らを驚かせた。しかも、彼は指名まで15票不足していたに過ぎなかった。しかし、後に多くの州が「お気に入りの息子」候補からキーファーヴァーに鞍替えし、結果キーファーヴァーが勝利した。この時ケネディは、潔い敗北宣言をした。この敗北は、実際にはケネディの長きにわたる大統領への挑戦を後押しした。キーファーヴァーを敗北寸前にまで追い込んだ彼は、全国的な知名度を獲得した。のみならず、キーファーヴァーに敗北したことによって、彼は11月の選挙でアイゼンハウアーに敗北すると予想されていたスティーヴンソンが受けたような、あらゆる非難を免れた。副大統領候補指名選挙の得票合計は下表の通りである。なお、下表もベインとパリスの著作に基づく。 副大統領候補: 上院議員クリントン・プレスバ・アンダーソン (ニュー・メキシコ州) 上院議員アルバート・ゴア・シニア(テネシー州) 州知事ルーサー・H・ホッジズ(ノース・カロライナ州) 上院議員 ヒューバート・ハンフリー(ミネソタ州) 上院多数党院内総務リンドン・B・ジョンソン(テキサス州) 上院議員エステス・キーフォーヴァー(テネシー州) 上院議員ジョン・F・ケネディ(マサチューセッツ州) 上院議員 スチュアート・サイミントン(ミズーリ州) 市長ロバート・F・ワグナー・ジュニア(ニュー・ヨーク州) 1956年民主党全国大会副大統領候補指名選挙立候補者第1回第 2回(調整前)第 2回(調整後)テネシー州選出上院議員エステス・キーフォーヴァー466.5551.5755.5マサチューセッツ州選出上院議員ジョン・F・ケネディ294.5618589テネシー州選出上院議員アルバート・ゴア・シニア178110.513.5ニューヨーク市長ロバート・F・ワグナー・ジュニア162.59.56ミネソタ州選出上院議員ヒューバート・ハンフリー13474.52ノースカロライナ州知事ルーサー・H・ホッジズ400.50P.T. Maner3300フロリダ州知事リロイ・コリンズ2900ニューメキシコ州選出上院議員クリントン・アンダーソン1600テネシー州知事フランク・G・クレメント1400カリフォルニア州司法長官パット・ブラウン100テキサス州選出上院議員リンドン・B・ジョンソン100ミズーリ州選出上院議員スチュアート・サイミントン100
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