2度目の大統領選挙挑戦・副大統領へ
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「ジョー・バイデン」の記事における「2度目の大統領選挙挑戦・副大統領へ」の解説
2008年11月、自身2度目の大統領選挙となる2008年アメリカ合衆国大統領選挙に挑戦するが、バラク・オバマとヒラリー・クリントンの2候補が他を突き放す形勢となり、選挙資金不足で1月3日に撤退した。しかしこの大統領選挙中にバイデンはオバマから感心されるようになり、国家安全保障政策と外交政策について助言を求められるようになった。バイデンがオバマのことを「自分の考えがしっかり言えるし、聡明で清潔でルックスもいい最初の黒人候補」と評したことについて批判された時もオバマはバイデンをかばって「彼の心の中にあるものを私は全く疑っていない。彼は常にこの国の人種的平等に敬意を払っているものと信じている」と述べている。 8月23日に大統領候補の指名を確実にしたオバマから副大統領候補指名の意向が発表され、これを受諾してその後8月27日にコロラド州デンバーで開催された民主党全国大会で、オバマと共に民主党の正副大統領候補に正式指名された。 オバマの副大統領候補としてメディアから有力視されていたのは、オバマの最大の対抗馬であったヒラリー・クリントンであった。激しい予備選の過程でオバマとクリントンの支持者同士の感情が険悪化しており、党内融和のためにもオバマ-クリントンの「ドリームチケット」が期待されていた。そのためバイデンが選ばれた事に関しては少なからず驚きの声があった。この選択理由としては次のような点が評価されたためと言われている。 オバマが弱いとされている有権者層である白人(特に白人労働者)・カトリックに強いこと。 民主党中道派の重鎮であり、政治的・思想的に偏りが少ないという点。当時クリントンはオバマ同様に民主党でもリベラル寄りと見なされており、リベラル同士のチケットでは本選挙の鍵を握る中道層の取り溢しが懸念された。 オバマに関して指摘されていた経験で特に外交経験の不足を補う上で、上院外交委員長として外交経験豊富であり、国民にも“外交通”として認知されているバイデンは、オバマの弱点をうまく補完できるという点。 議会対策の上でも、上院民主党の重鎮であったバイデンの影響力が期待できること。 アイルランド系カトリックとして労働組合にも太いパイプがあること 中産階級層の出身という経歴であること。 しかし、共和党のジョン・マケイン候補がサラ・ペイリンを副大統領候補に抜擢したことと比較され、地味な選択とみられた。また、バイデンは予備選でオバマ候補の経験不足を指摘していたため、指名受諾後にはその点を共和党側より批判された。 本選挙の選挙戦では、オバマが攻撃的な発言を抑制するかたわらバイデンはマケインへの激しい批判を展開した。ペイリンとの副大統領候補討論会後の世論調査では「討論はバイデンの勝利」と答えた者が多数を占めたものの、好感度の面ではペイリンに軍配を上げる者が多かった。 2008年11月4日(現地時間)に実施された大統領選挙の投開票において、民主党のバラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に当選したことに伴い、自身も第47代副大統領に当選が確定した。 バイデンは大統領選挙での敗北も想定した上で、大統領選挙と同日投票となった上院議員選挙にも出馬していた。この選挙では選挙区全体の65パーセントの票(25万7484票)を獲得し、対立候補であった共和党のクリスティーン・オドネル(英語版)に大差を付ける形で、自身7回目となる上院議員当選を果たした。その上で2009年1月3日に開会した第111期連邦議会では、1月15日まで上院議員職に留まり、同日辞職した。なお自身が務めていた上院外交委員長職については、新しい議会の招集を契機に1月3日付で辞職した。外交委員長としての最後の仕事となったのは、1月の第2週目に行ったイラク・アフガニスタン・パキスタンの3カ国歴訪・首脳会談であった。バイデンの議席は、長年にわたって彼のアドバイザーを務めていたテッド・カウフマンに、外交委員長のポストは2004年アメリカ合衆国大統領選挙において民主党の大統領候補だった上院議員のジョン・フォーブズ・ケリーに引き継がれた。
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