選挙立候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 14:15 UTC 版)
政治にも興味をもっており、以下のように数々の選挙に立候補していたが、一度も当選することはなかった。 1976年地元金木町長選挙に出馬するものの落選(この時は本名の「三上誠三」で立候補)、公職選挙法に基づく選挙違反により逮捕。その後1999年東京都知事選挙を皮切りに、長野県知事選挙・大阪府知事選挙(実際に出馬したのは2000年大阪府知事選挙のみ)・参議院選挙・衆議院選挙・大阪市長選挙など多数の選挙に立候補。 選挙のキャッチコピーは、2002年の長野県知事選挙からは「輝く(地名)新時代」を使用していた。(例:2007年4月22日に投開票された夕張市長選挙のキャッチコピーは、「輝く夕張新時代」であった。)これは、青森県がかつて使用していた「輝く青森新時代」というキャッチコピーを借用したのもと思われる。 金木町長選挙では本名の「三上誠三」を、東京都知事選では「羽柴誠三秀吉」をそれぞれ名乗っていたが、大阪府知事選挙・市長選挙では「羽柴秀吉」として立候補した。長野県知事選挙ではヘリコプターからの演説、大阪府知事選挙では金箔を使用した武士の鎧兜姿のポスターなど、派手な選挙活動でも注目された。また、長野県知事選挙では、田中康夫知事の「脱ダム宣言」を非難し、ダム建設推進を積極的に唱えた唯一の候補であったことも注目された。なお、本人の弁によればあくまでも目標は大阪であり、国政選挙や東京・長野は「羽柴秀吉」を通称として認めさせるための出馬だったとのこと。 以降では、不出馬に終わったものも含めて記述する。
※この「選挙立候補」の解説は、「羽柴誠三秀吉」の解説の一部です。
「選挙立候補」を含む「羽柴誠三秀吉」の記事については、「羽柴誠三秀吉」の概要を参照ください。
選挙立候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 08:35 UTC 版)
平成元年(1989年)の第15回参議院議員通常選挙に大行社から分派した「大行社政治連盟」が出馬し、比例代表区に丸山孝(名簿搭載順位第1位)・石川佐智子(「日本教育正常化促進連盟」代表)ら9名の候補者を擁立するも全員落選(得票24030)し、供託金没収。また宮城県選挙区に元日本社会党衆議院議員(1期)千葉佳男を擁立するも落選(7名中7位、得票9000)、供託金没収となっている。大行社政治連盟は稲川会からは独立した政治団体であり、稲川会系の組織票も自民党に流れている。 大行社としては、平成12年(2000年)の第42回衆議院議員総選挙で、東京1区で丸川仁を単騎擁立し、対立候補の与謝野馨を激しく口撃。与謝野は落選したが、自らも最下位落選し、供託金を没収されている。
※この「選挙立候補」の解説は、「大行社」の解説の一部です。
「選挙立候補」を含む「大行社」の記事については、「大行社」の概要を参照ください。
- 選挙立候補のページへのリンク