大統領選挙立候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:42 UTC 版)
1996年4月の総選挙において金泳三政権の与党・新韓国党(現在の自由韓国党の前身)より立候補(全国区)、国会議員に初当選した。 翌1997年末の大統領選挙に新韓国党の後継政党であるハンナラ党公認で出馬するものの、当時の与党系の陣営が分裂した事、アジア通貨危機が発生したこと、当時の与党(の流れを組む政党である)であるハンナラ党の候補であった事、さらに2人の息子が不当に兵役を逃れていたというスキャンダルが持ち上がった事が逆風となり、投票直前に支持率が10%代にまで急落し、僅か40万票差で金大中(新政治国民会議)に敗北した。
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