大統領選挙出馬
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「マイク・ハッカビー」の記事における「大統領選挙出馬」の解説
州知事退任に伴い2007年1月28日に2008年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を表明した。当初は泡沫候補の一人に過ぎなかったが、宗教保守派が支持できる本命候補が不在と言われる中、当初期待を受けたフレッド・トンプソンが尻すぼみとなると、一躍保守の本命として支持を集め始め、それとともに州知事時代の実績や巧みな弁舌、集会でベースギターを演奏するなどといった親しみやすさ、好感度の高さが全国レベルでも注目を集めていき、11月以降支持が急上昇、討論会などでも高評価を得た。 ハッカビーは対立候補に対する個人攻撃は避ける傾向にあったが、序盤戦で同じように優位に立つミット・ロムニーに対しては死刑制度や妊娠中絶で選挙後意見を変えたことを問題視して批判を強めた。社会政策について具体的に言及する一方、経験の少ない外交・安全保障政策については多くを語ってこなかったが、2007年12月には「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿し、イラク政策については、陸軍やジョン・マケイン上院議員が主張している兵力増強論を支持し、早期撤退論は危険だとの認識を示した。また、マケインに対してはかつての輝かしい軍歴や、同戦争を一貫して擁護し続けているぶれない姿勢を高く評価している。その一方で、イランの核武装については経済制裁の余地に言及しながらも、対話を通じた解決は可能との認識を示し、イランへの強硬姿勢を崩さないブッシュ政権を批判した。これに対し、ライバルであるロムニーが「大統領に対し非礼節」と応酬した。 2008年1月3日に行われた緒戦のアイオワ州党員集会でミット・ロムニーに圧勝して全米を驚かせた。余勢を駆る形で保守色が色濃い1月19日投票のサウスカロライナ州予備選挙の勝利を狙ったが、ジョン・マケインに敗北を喫した。2月5日に実施された、全米21州での予備選挙・党員集会、いわゆるスーパーチューズデーでは、大規模州でマケインが大勝し大勢が決まったが、ハッカビーも地元のアーカンソー州・ジョージア州など南部5州を獲得し、マケインの保守層からの支持の脆弱さを示すことになった(このことが、後のサラ・ペイリンアラスカ州知事の副大統領候補起用につながる)。その後も選挙戦継続の意思を示し、カンザス州の党員集会、ルイジアナ州の予備選で勝利したが、3月4日にテキサス州など4州での予備選挙でマケインに敗北した後、選挙戦からの撤退を表明。これにより、マケインの指名獲得が確定した。なお大統領選挙では俳優のチャック・ノリスが応援団長を務めた他、サウスカロライナ州のデービッド・ビーズリー元知事や、フォーカス・オン・ザ・ファミリーのジェームズ・ドブソン代表、テキサス州の新聞「ダラス・モーニングニュース」がハッカビー支持を表明していた。 大統領選挙は敗北に終わったが、2007年の暮れまで2パーセントから3パーセント程度の支持しかえられていなかったことを考えると、今後の政治生命に大きくプラスに働いたことは確かで、今後の動向に大きな注目が集まっている。上院選挙への出馬が取り沙汰されている他(ただし本人は繰り返し否定)、マケインの指名獲得が確実になって以降は、副大統領候補としてもしばしば名前が挙がっていたが、大統領選挙の本戦はFOXニュースのコメンテーターとして迎えた。撤退後の2008年6月に来日、教育問題や大統領選の展望について講演。10月からはFOXニュースの週末にトーク番組「Hackabee」のホストとして出演している。2012年に予定される次期大統領選の共和党有力候補ともされてきたが、本人は出馬を否定している。 2012年アメリカ合衆国大統領選挙では共和党の最有力候補として世論調査でも高い支持率があり、出馬の推測がなされていたが、彼は2011年5月14日に出馬を否定して、出馬しなかった。 2015年5月5日に2016年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬を表明した。2016年2月1日、同選挙からの撤退を表明する。
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大統領選挙出馬
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「サジット・プレマダーサ」の記事における「大統領選挙出馬」の解説
UNPは2010年、2015年と政党として大統領選に候補者を出していなかった。そして2015年にマイトリーパーラ・シリセーナが大統領に選出された際も、UNPとの関係は不安定なものだった。特に2018年にUNP総裁のラニル・ウィクラマシンハが首相を解任された2018年スリランカ憲政危機をきっかけとして、UNP内部では2019年の大統領選には自党から候補者を出そうという動きがあった。 総裁ウィクラマシンハは大統領選への意欲を表明し、複数の古参メンバーと会談した。しかし同時期に、複数の古参メンバーはプレマダーサを大統領候補として推薦した上でバドゥッラで集会を開き、彼自身も公にUNP候補として大統領選に出馬する意欲を明らかにしていた。 プレマダーサへの支持が大きくなる一方で総裁ウィクラマシンハは彼への支持を拒んだ。プレマダーサ側はマータラ、クルネーガラなどでの集会を成功させ、ますます支持を強固にしていった。 最終的に彼は新民主戦線候補として大統領選に出馬したが、スリランカ人民戦線(SLPP)候補のゴーターバヤ・ラージャパクサに敗れた。そして選挙後、彼はUNP副総裁の職を辞した。
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