大統領選挙へ出馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:24 UTC 版)
「アルベルト・フジモリ」の記事における「大統領選挙へ出馬」の解説
1990年の大統領選挙に新党「変革90(カンビオ・ノベンタ、“cambio”は「変革」の意)」を結成して出馬したフジモリは、当初ダークホース的存在であったが、対立候補で後にノーベル賞を受賞することになる作家マリオ・バルガス・リョサを破り当選した。国民は前大統領アラン・ガルシア政権に対し失望感を抱いており、それと同時に、有力候補であったバルガスを疑いの目で見ていたエスタブリッシュメント層を味方につけることにも成功した。 選挙期間中、フジモリにはel chino(エル・チーノ、中国人という意味だが、ペルーではかつてのフアン・ベラスコ・アルバラードもそうだったように親しみと軽い揶揄を込めて使われる)というニックネームがつけられた。また選挙中は「仕事、科学技術、勤勉」というスローガンを掲げていたため、エンジニア(El ingeniero)とも呼ばれた。東アジア出身者、あるいはその子で初めてラテンアメリカ諸国の国家元首になったのはガイアナの初代大統領で中国系のアーサー・チュンだが、当時のガイアナ大統領は名誉職的な存在であった。また、フジモリは東アジア系の人材も重用しており、フジモリの熱烈な支持者で中国系のビクター・ジョイウェイ(英語版)をペルーの首相に起用した。ペルーの大統領では初めて中華人民共和国を訪問するなどアジア外交を展開した他、日系人がペルーの大統領になったことにより日本との外交も積極的に行われるようになり、日本からの融資なども引き入れることに成功した。
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