大統領選挙の闇取引
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:44 UTC 版)
共和党のグラント政権があまりに無能だったため、建国100年にあたる1876年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党候補のラザフォード・ヘイズよりも民主党候補のサミュエル・ティルデンの人気の方が上回り、事実、ティルデン候補の方が勝利したかにみえた。サウスカロライナ州、フロリダ州、ルイジアナ州の南部3州および西海岸のオレゴン州を除けば、選挙人獲得数はヘイズ165票、ティルデン184票と差が開いていたからである。このときの過半数は185票であった。このとき南部3州からは共和党派と民主党派の2組の選挙人団が送られるという異常事態であった。オレゴンを含む4州は開票に疑わしい点があるとされ、13人からなる選挙委員会(英語版)が設けられたものの、これは形式だけのことであって、実際には闇取引がおこなわれていた。結局、4州の合計20票はすべてヘイズ票となり、ヘイズが当選して第19代アメリカ合衆国大統領に就任した。交換条件として、共和党は南部進駐軍をすべて北部に撤退すること、解放された黒人たちに公民権を保障した憲法修正第14条の不履行を黙認することを密約した。共和・民主両党間のこの取引は「1877年の妥協」と呼ばれ、以後、民主党は旧連合国諸州を管理下に置き、この地域は「ソリッド・サウス(英語版)」と呼ばれて、事実上、民主党の一党支配が貫徹する地域となった。
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