大統領選挙への意欲とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大統領選挙への意欲の意味・解説 

大統領選挙への意欲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「大統領選挙への意欲」の解説

マッカーサーその後全国遊説の旅に出発したテキサス州皮切りに11州を廻ったが、行く先々熱狂的な歓迎受けたマッカーサー各地演説1952年大統領選見据えて上院聴聞会では抑えていたトルーマンへの個人攻撃や高い連邦税の批判など舌鋒鋭い政治的発言繰り返した。しかし、後述する1951年5月3日から3日間行われた軍事外交共同委員会において第二次世界大戦での日本行動を"自衛"と解釈できるような証言をしたこともあり、時が経つにつれ次第聴衆共和党からの支持失っていった。 1951年9月サンフランシスコ日本国との平和条約締結されたが、その式場マッカーサー招かれなかった。トルーマン政権マッカーサーとことん冷淡であり、フランクリン・ルーズヴェルトの元大統領顧問バーナード・バルークなどはトルーマン政権マッカーサーにも式典への招待状を送るようにと強く進言していたが、ディーン・アチソン国務長官はそれを断っている。首席全権であった吉田茂が、マッカーサー面談し平和条約についての感謝表したい国務省打診したが、国務省よりは「望ましくない」と拒否されるほどの徹底ぶりであったその頃マッカーサー全国遊説旅の途中であったが、サンフランシスコ招待されなかったことについて聞かれると「おそらく誰かが忘れたであろう」と素っ気なく答えている。 その後も相変わらずマッカーサー政権批判続いたが、英雄マッカーサー凱旋当初熱狂的に歓迎していた全米市民も、1952年に入る頃には熱気冷め始めており、ジャクソン行われた演説反対叫び声などで25回も演説中断した、と『ニューヨーク・タイムズ』紙で報じられた。マッカーサー対す共和党内の支持は広がらなかったが、大統領の座に並々ならぬ執着見せ同じく劣勢であった候補者ロバート・タフト選挙協力密約を行うなど最後挽回試み7月シカゴであった共和党大会基調演説チャンス与えられたが、その演説饒舌演説上手なマッカーサーのものとは思えない酷いもので、演説集中できない聴衆途中から私語交わし始め最後演説聞き取れないほどまでになったマッカーサー敗北を悟るとひどく落胆したものの、即座にニューヨーク戻り結局共和党大統領候補には元部下アイゼンハワー選出された。 大統領候補となったアイゼンハワーマッカーサーは、共和党大会後の11月6年ぶりに再会した。かつての上司の顔を立てる意味であったのか、アイゼンハワーからの会談申し出であったが、マッカーサーアイゼンハワーに自らが作成した14箇条覚書手渡したその内容は、ヨシフ・スターリン首脳会談開き、「東西ドイツ及び南北朝鮮統一」「アメリカソ連憲法に交戦権否定条項追加」などを提案しスターリン尻込みするようであれば北朝鮮核兵器使用せよ、などという、大胆だという以外は何の価値もない提案であったその後アイゼンハワー大統領本選にも勝利して34大統領就任したが、アイゼンハワーホワイトハウスペンタゴンマッカーサー意見求めるようなことはなかった。

※この「大統領選挙への意欲」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「大統領選挙への意欲」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大統領選挙への意欲」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大統領選挙への意欲」の関連用語

大統領選挙への意欲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大統領選挙への意欲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダグラス・マッカーサー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS