大統領選挙と野党分裂
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「韓国における政党史」の記事における「大統領選挙と野党分裂」の解説
1987年6月29日に盧泰愚民正党代表委員(当時)が発表した「6・29宣言」によって、野党や在野が強く要求してきた大統領の直接選挙制復活を軸とする「民主化」が実現した。しかし民主化運動指導者である金泳三と金大中の対立が表面化し、民主党は分裂状態に陥った。金泳三と決別した金大中は民主党内の東橋洞系議員を中心に平和民主党(平民党)を結成した。一方、旧共和党総裁・金鍾泌も政界復帰を宣言(9月28日)し、旧共和党時代の閣僚議員を中心として「新民主共和党」(共和党)を結成した。 表5:平民党結成による国会議席数党派議席数議席率備考民主正義党 146 53.68 統一民主党 45 16.54 平和民主党 27 9.93 10月30日創党発起人大会 11月2日国会に「平和民主会」で院内交渉団体登録 11月12日創党大会。翌13日、政党登録 新韓民主党 22 8.09 新民主共和党 6 2.20 10月5日、創党発起人大会 10月30日、創党大会 11月11日、政党登録 無所属・その他(非院内交渉団体) 26 9.56 民主韓国党と韓国国民党を含む。 出典:국회사무처(大韓民國國會事務處)『대한민국국회 60년사(大韓民國國會60年史)』、591〜592頁の記述を元に作成。創党大会などの月日については金容権編著『朝鮮韓国近現代史事典』(日本評論社)を参照。共和党の議員数は『60年史』に記載がなかったため、10月5日の創党発起人大会に参加した現役議員の人数を記載した。 16年ぶりの直接選挙で行われた同年12月の大統領選挙は事実上、与党・民正党の盧泰愚候補と三金(金泳三・金大中・金鍾泌)の所謂「1盧3金」による争いとなったが、各候補とも政策に大きな差はなく、自分の出身地域における地域感情を動員する選挙運動を行った。その結果、それまで政党体制と有権者の投票行動を規定していた「与村野都」が後退し、地域主義が有権者の投票行動と政党体制を規定する最大の要因として浮上することになった。 表6:主要大統領候補の政党と地盤地域候補者政党地盤地域盧泰愚 民主正義党 TK(大邱市・慶尚北道) 金泳三 統一民主党 PK(釜山市・慶尚南道) 金大中 平和民主党 光州市・全羅道(全羅北道、全羅南道) 金鍾泌 新民主共和党 忠清道(忠清北道、忠清南道) 選挙の結果、民正党の盧泰愚候補が3金を抑えて当選を果たしたが、盧泰愚の得票率は36.6%で全有効得票の4割にも満たず、金泳三と金大中の出馬で野党票が分裂したことが最大の勝因となった。しかし、両候補の間で単一化(一本化)が実現したとしても、嶺南と湖南地域が必ずしも単一候補を共に応援するとは限らず、盧泰愚候補に勝利できるかどうかは微妙であったとの指摘もある。また金大中候補にとっては、分裂選挙で金泳三が出馬した場合、嶺南地域の票が盧泰愚候補と割れることで、自身の当選する可能性が高くなるとの目論見があったとされている。先述したように有力候補者自身の出身地域住民の地域感情を動員する選挙戦を展開した結果、各地域において、その地域の出身者である有力候補一人に票が集中する現象が生じた。特に全羅道では金大中候補が90%以上の支持を集める結果となった。 野党勢力だけでなく、民主化運動を野党と共に進めてきた在野勢力(民主統一民衆運動連合など)も、金大中候補への批判的支持(批支)、金泳三候補を前提とした野党候補の單一化推進(候單)、獨自に民衆候補を擁立(獨候)と三つのグループに分裂した。 表7:第13代大統領選挙における地域別得票率主要候補得票率盧泰愚(民正党)金泳三(民主党)金大中(平民党)金鍾泌(共和党)全国平均当36.628.027.18.1ソウル特別市 30.0 29.1 32.6 8.2 仁川直轄市 39.4 30.0 21.3 9.2 京畿道 41.4 27.5 22.3 8.5 江原道 59.3 26.1 8.8 5.4 忠清北道 46.9 28.2 11.0 13.5 忠清南道 26.2 16.1 12.4 45.0 光州直轄市 4.8 0.5 94.4 0.2 全羅北道 14.2 1.5 83.5 0.8 全羅南道 8.2 1.2 90.3 0.3 大邱直轄市 70.7 24.3 2.6 2.1 慶尚北道 66.4 28.2 2.4 2.6 釜山直轄市 32.1 56.0 9.1 2.6 慶尚南道 41.2 51.3 4.5 2.7 済州道 49.8 26.8 18.6 4.5 出典:新川敏光・大西裕『世界政治業書 9』ミネルヴァ書房、188頁“表8-4 民主化後の大統領選挙”を参照して作成。
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