副大統領就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:23 UTC 版)
アルゼンチンは第二次世界大戦には大勢が決した1945年まで参戦せず、大戦中はほぼ一貫して親枢軸的中立国であったが、戦前よりアルゼンチンにとって最大の外貨獲得源であったアメリカ合衆国の圧力に屈して日本とドイツと断交したことをきっかけにラミレスが失脚し、1944年にペロンの友人のエデルミロ・フリアン・ファーレル(英語版)が大統領に就任すると、ペロンは陸軍大臣と副大統領に就任した。 事実上の実権を握ったペロンが、中立国でありながら露骨な枢軸国寄りの政策を取ったため、それを嫌ったアメリカ合衆国は大使召還、経済制裁の発動など厳しい反ペロン政策を採ったが、このことが逆に外圧に抵抗する国家主権の擁護者としてのアルゼンチン国内におけるペロンのイメージを高め、この頃からペロンの思想はペロニスモ(ペロン主義)、ペロンの支持者は「ペロニスタ(ペロン主義者)」と呼ばれるようになっていった。
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