副大統領職と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 06:54 UTC 版)
「ウィリアム・R・キング」の記事における「副大統領職と死」の解説
1852年にはフランクリン・ピアースとともに民主党の副大統領候補として当選し、キューバで1853年3月24日に就任の宣誓を行なった。彼はジョン・チャートランドがマタンザスに所有するラ・アリアドネ農園を療養のため訪れており、この変則的な就任式は、末期の結核のため余命が長くないと考えられたため、議会の特別承認によって拡張された特権だった。就任式は就任日から20日後に行われたが、その間の3週間、彼は副大統領であった。彼の就任式にちなみ、新しく形成されたワシントン準州はキング郡と命名した郡を創設し、ピアース大統領にちなんで命名されたピアース郡同様に新政権の機嫌を取ることで迅速な州昇格がなされることが望まれた(ワシントンは1889年まで州にならなかった)。キング郡は現在も存在するが、1986年の州議会は「キング郡はマーティン・ルーサー・キングに敬意を表して「改名する」こと」とした。 その後まもなくキングは「キングズ・ベンド」に戻り、同地で死去した。彼は農園内の納骨堂に埋葬され、後にダラス郡セルマのライヴ・オーク墓地に再埋葬された。 キングの死後、副大統領職は1857年にジョン・ブレッキンリッジが就任するまで空席のままであった。1792年の大統領職継承条例に従い、1853年から57年まで大統領職継承順位の1位は上院仮議長であった。
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