副大統領就任とボリバルとの対立
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「フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル」の記事における「副大統領就任とボリバルとの対立」の解説
1819年8月7日のボヤカの戦いでスペイン軍に勝利し、コロンビアの解放に成功。1821年11月3日、大コロンビアの副大統領に就任。ボリバルの南米解放闘争を支援し、彼の右腕あるいは腹心とみなされていたが、次第にボリバルとの政治的な意見の相違が目立つようになる。連邦制を唱え、中央集権を採るボリバルと対立。1826年には大コロンビアからのベネズエラの分離を画策するホセ・アントニオ・パエスと対立し、ボリビアから帰国したボリバルはサンタンデルに全権を与えて反乱に備えるが、ボリバルがパエスに恩赦を与えたことから関係が決裂。サンタンデルは副大統領を辞任する。同年3月にはペルーでサンタンデル派のコロンビア軍がサンタンデルを支持して反乱を起こすなど不穏な情勢になった。 こうした中で、1828年4月に開催されたオカーニャ会議では、大コロンビアの維持と中央集権制の強化を図るボリバル派の意向とは裏腹にサンタンデル派が勢力を増したため、両派の対立は激化。6月、対立と混乱を収拾できずに会議は閉幕した。
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