世界恐慌から1937年の合憲判決まで
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「最低賃金 (アメリカ)」の記事における「世界恐慌から1937年の合憲判決まで」の解説
しかし、1929年の世界恐慌をきっかけに、風向きが変わる。このアメリカ発の世界不況の影響により、賃金が60%も低下していき、貧困が拡大していった。 そのため、州の方では、1933年にニューヨーク州で最低賃金法が成立し、それに続いて他の5州が制定された。また、制定の際、ワシントンDC控訴裁判所の判決を考慮して、生計費を基準として最低賃金を設定することに加え、労働の公正価値も基準に加えた。 そして、連邦の方では、ルーズベルト大統領により1933年に制定された全国産業復興法であった。しかし、この方に対して、連邦最高裁が、1935年に全国産業復興法は違憲との判決を下した。違憲理由は、「雇用主は大統領により規定された最低賃金率を守らなければならない」とする内容が盛り込まれたためであり、このため、違憲判決後、この条文は削除された。 しかしながら、世界恐慌をきっかけに新しいタイプの最低賃金法も、恐慌前と同じく訴訟に直面する。ニューヨーク州の最低賃金法も、1936年に違憲判決が出された。また、ワシントン州に対しても、連邦最高裁に上告されてしまった。 世界恐慌に対応した全国産業復興法や最低賃金法を違憲と判断する連邦最高裁に対して、ルーズベルト大統領は業を煮やし、最高裁判事を6名増員すると通告をした。その通告の効果があったかどうかは不明であるが、1937年にワシントン州の最低賃金法に対して、1936年の違憲判決を下したオーウェン・ロバート判事が、合憲判断に変化したこともあり、連邦最高裁はそれまでの判断とは異る合憲判決を下した。その後、ルーズベルト大統領は、連邦最高裁判事の増員通告を撤回した。
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