ソロ活動時代
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2004年6月、日比谷野外音楽堂での2daysライブを最後にKICK THE CAN CREWの活動を休止。同年、自らを、「新人クレバ」と称し、ソロ活動を開始した。自身の誕生日6月18日、インディーズからシングル「希望の炎」を10908枚限定リリース。そして9月8日、ポニーキャニオン内レーベルの"Knife Edge"から、シングル「音色」でメジャーデビューし、本格的なソロ活動を開始。10月には、2ndシングル「ひとりじゃないのよ」、11月には、ファースト・アルバム『新人クレバ』をリリース。 2005年、インディーズデビューから約1年を経て、「新人クレバ」から「KREVA 2nd season」と銘を変え、更なる活動を展開。「ファンキーグラマラス feat.Mummy-D(マボロシ/Rhymester)」「イッサイガッサイ」「スタート」「国民的行事」と前年を超える4枚のシングルをリリースした。 2006年2月1日に、アルバム『愛・自分博』をリリースし、邦楽ヒップホップ“ソロアーティスト”初のオリコンウィークリーチャート1位(2月13日付け)を獲得。同アルバムを引き下げたツアー「KREVA TOUR 2006 愛・自分博 〜国民的行事〜」の千秋楽でも、邦楽ヒップホップ“ソロアーティスト”初となる日本武道館公演を果たす。9月には、「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2006」で、10年ぶりにBY PHAR THE DOPESTとしての活動を再開。シングル「恥じゃない」、アルバム『だからどうした!』を発売。また、吉井和哉のツアー『TOUR2006 THANK YOU YOSHII KAZUYA』のオープニングも手掛けた。 2007年5月からは、TOKYO FM及びJFNのヒューマン・コンシャス・プロジェクトの一環として、久保田利伸とのツアーを実施し、久保田利伸 meets KREVA名義でコラボレーションシングルをリリース。6月からは、邦楽ヒップホップ“ソロアーティスト”初の大ホールツアーとして、「KREVA CONCERT TOUR '07 SEASON-1『意味深』」を開催。5月25日、渋谷センター街のボードにて夏に3rdアルバム(よろしくお願いします)のリリースと、6月に草野マサムネ(スピッツ)とのコラボレーションを発表したことも話題となった。10月からは、この年2度目のツアーとなる「KREVA CONCERT TOUR '07 『K-ing』」を開催。さらに「テレビ朝日開局50周年記念 KREVA CONCERT TOUR '07」として、11月23日より2日間(1日目はゲストデー、2日目はノンゲストデーとして)、自身2度目の武道館で開催した。ゲストデーには、ツアーに帯同した5人に加え、CUEZERO、DABO、Mummy-D、久保田利伸、ALI-KICK、KOHEI JAPAN、SHINGO☆西成らが出演。ノンゲストデーでは、MC、DJなどすべて1人でライブを進行してみせた。 2008年3月19日には、自身初となるベスト・アルバムの『クレバのベスト盤』を発売。また、映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』に出演。同映画の主題歌「裏切り御免」を、KREVA、布袋寅泰、亀田誠治による期間限定ユニット「The THREE」が担当した。5月後半より、全国ツアー「クレハーカップ」を全国13か所17公演で開催し、約5万5千人を動員した。同年8月3日に、国営ひたち海浜公園で開催された野外イベント「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008」ではLITTLEとMCUと共に4年振りに「イツナロウバ」「アンバランス」の2曲を披露した。同月には、MTVのアコースティック・ライブ「MTV UNPLUGGED KREVA」に出演した。9月3日には自身初となるPV集『チャートバスターズK!』をリリースし、オリコンDVD音楽ウィークリーチャート初登場1位を獲得した。しかしながら、この年はシングル曲のリリースは、ソロ活動以降初めて0に終わった。 2009年、3か月連続配信曲を配信することを発表し、第一弾となる「成功」を1月7日から配信。「I Wanna know you」「Magic Remix (KREVA×三浦大知) 勝手にリミックスシリーズ Vol.2」など、全四曲を第二弾として2月4日に配信、第三弾として「生まれてきてありがとう(feat.さかいゆう)」を3月4日に配信した。そして約1年半振りにシングルCD「青」を3月18日にリリースした。また、この年最初のツアーである「意味深2」を4月8日に大阪城ホールで、4月18、19日に横浜アリーナ2daysで開催した。7月8日にシングルCD「赤」、9月8日にアルバム『心臓』をリリース、さらには、10月14日に、古内東子×KREVA コラボレーションシングル「A to XYZ/スロウビート」をリリースさせた。そして、9月からはRound別に分けた全国ツアー「KREVA CONCERT TOUR7'09-'10『心臓』」を開催。 2010年、「KREVA CONCERT TOUR'09-'10『心臓』」の集大成、Round3が1月16日に大阪城ホールにて、2月6日、7日に横浜アリーナ2daysで開催され、全Roundともに無事に成功を収めてツアーは終了した。8月下旬、「腰椎椎間板性急性腰痛症」になってしまい出演予定だったイベントなどの出演がキャンセルされた。9月、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組にて復活する。9月15日に自身初のミニアルバム『OASYS』が発売された。10月にはOASYSをベースとしたライブ「意味深3」が日本武道館2daysで開催され、バックバンドメンバーに小室哲哉を迎えている。 2011年2月16日にシングルCD「挑め」をリリース。カップリング曲の「挑めRemix」ではLITTLEとMCUが参加し自身名義の楽曲では初の共演であった。3月30日には東日本大震災の発生を受けて「EGAO」を緊急配信リリース。この配信曲に関して全収益の80%が復興支援として継続的に寄付されている。5月11日にはシングル「C’mon, Let’s go」をリリースし、同20日には自身初の書籍『KREAM ルールなき世界のルールブック』を出版。さらに同25日 - 28日にはシンガポールで開催された国際規模の音楽会議「MUSIC MATTERS」に日本代表として参加し初の海外でのライブを行い、全世界に生配信された。 2014年4月、ブロードウェイミュージカル『IN THE HEIGHTS(イン・ザ・ハイツ)』日本版の歌詞を担当。ソロ活動10周年となる年6月18日には、3枚組ベストアルバム『KX』をリリース。その後ライブハウスツアー「K10」、そして9月8日(クレバの日)を含む日程で、「908 FESTIVAL」を3年連続で開催した。ソロ活動10周年目である2015年には47都道府県ツアー「UNDER THE MOON」を成し遂げた。 2016年9月3日にSPEEDSTAR RECORDSへ移籍することが発表された。 2021年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』に石川さゆり、MIYAVIと共に出演し、コラボ楽曲「火事と喧嘩は江戸の華」を披露した。
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ソロ活動時代
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「ジューン・クリスティ」の記事における「ソロ活動時代」の解説
1951年、ジューンはケントン楽団を退団して本格的なソロ活動に入った。ジューンの強い推薦によりケントン楽団の後任歌手となったのは、当時クロード・ソーンヒル楽団に属していたクリス・コナーで、後に彼女はジューンをも凌ぐ存在へと成長する。 ジューンはソロ活動当初はポップ路線を採ったが一向にヒット作が出ず、ピート・ルゴロの支援により、ハイブラウなジャズ・ボーカルに路線を転じて成功を収めた。
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ソロ活動時代
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1997年、活動休止中にソロ歌手としてデビュー。椎名へきるとデュエットを行う。 1997年、西城秀樹ROCKトリビュートの南十字星、歌唱参加。 1999年中頃、パール楽器製造と契約。The Millennium Eveにて新セット黒蝶を披露。2000年、START UP GIG2000にてもう一つの新セット赤蝶を披露。5月12日にアイドルグループ・モーニング娘。の元メンバーで、タレントの石黒彩と結婚。同日は石黒の22歳の誕生日でもあった。シグネチャーモデルのドラムスティックを発売。 2001年、ソロ活動を本格的に開始する。この年の11月のGROOVE DYNASTY 2001にて突如多点セットへと原点回帰。大黒摩季や吉川晃司などのライブ・レコーディングに主に参加し、数多くのミュージシャンとセッション活動をしている。 2005年、入籍5年を記念し、出雲大社で結婚式を行う。 2009年、3月26日に東京都・中野区にあるラーメン店「ラーメン龍」のプロデュースを担当し、新店名「ラーメン天雷軒」として開店する。10月7日より、同店が東日本橋にてリニューアル・オープン。 東京・代官山にある、パワーストーン・水晶・天然石・アクセサリー専門店「Re:soul(リソール)」をプロデュースし、代表取締役社長も兼任している。 2011年、GACKT率いる「YELLOW FRIED CHICKENz」のメンバーに加入する。
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ソロ活動時代
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2011年11月には『山下智久・ルート66〜たった一人のアメリカ』でアメリカ横断一人旅を体験。当時26歳の山下にとって英語でのコミュニケーションや現地の人々との交流など様々な経験は、その後グローバルに活躍の場を広げる山下の原点となった。 2012年、レコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移し、移籍後第一弾のシングルとして『愛・テキサス』を発売。同年9月には、ドラマ『MONSTERS』でW主演した香取慎吾と期間限定ユニット・The MONSTERSを結成。共同制作したシングル「MONSTERS」を発売し、香取と音楽的にも親交を深める。2013年のソロツアー「TOMOHISA YAMASHITA TOUR 2013 -A NUDE-」は香取が演出を手掛け、ショーとライブが一体となったエンターテインメント性あふれるステージを披露。香取の指導は以後の山下のコンサート演出に大きな影響を与える転機となった。 2013年からは『ジェネレーション天国』でバラエティー番組の司会にも初挑戦。独学で勉強を続けてきた英語力が仕事にも生かされ始め、2014年『大人のKISS英語』、2015年『山Pのkiss英語』の司会を務め、番組内では来日したアンジェリーナ・ジョリーに英語でインタビューをした。2015年のテレビドラマ『5→9〜私に恋したお坊さん〜』でも流暢な英語のセリフを披露している。 2015年は難役に挑戦した『アルジャーノンに花束を』で「第19回日刊スポーツ・ドラマグランプリ」主演男優賞、『5→9〜私に恋したお坊さん〜』で助演男優賞とダブル受賞。ドラマグランプリ史上初のダブル受賞となり、俳優として充実した年となった。大晦日にはジャニーズカウントダウン2015-2016にサプライズ出演。亀梨和也と青春アミーゴを歌唱し大歓声を受けた。 2016年は1月27日にソロとして初のベストアルバム「YAMA-P」をリリースしし、ワーナーミュージックとの契約を終える。5月には上海とマレーシア・クアラルンプールで行われた中国映画『サイバーミッション』(日本公開は2019年1月)の撮影に参加し、海外作品に初出演。本格的なアジア進出を果たす。 6月からは約2年半ぶりとなるツアー「TOMOHISA YAMASHITA THE BEST LIVE TOUR 2016 FUTURE FANTASY」を行い、ジャニーズ事務所入所20周年、ソロデビュー10周年の記念ステージをファンと祝った。 2017年は『ボク、運命の人です。』で亀梨和也と12年ぶりに再共演。スペシャルユニット・亀と山Pを結成し、5月17日にシングル「背中越しのチャンス」を発売。 2008年から主演を務めたドラマ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』は3rd seasonまで続く根強い人気を誇り、2018年7月27日には映画化もされた。また、この映画の興行収入は実写邦画歴代5位となる93億円の大ヒットを記録し、自身の代表作の1つとなった。 2018年7月5日、ソニー・ミュージックレーベルズ傘下のSME Recordsと新たに契約。9月15日には安室奈美恵の沖縄でのラストライブにサプライズ出演。コラボ曲「UNUSUAL」を披露し大歓声を受ける。震えるほどの緊張をしたという夢の初共演は、山下にとって学びも多く忘れられないステージとなった。 9月21日からは2年ぶりの全国ツアーを開催し、自身が作詞作曲の多くを手掛けたオリジナルアルバム「UNLEASHED」を11月に発売した。 2019年には国際連続ドラマ『THE HEAD』にメインキャストとして出演するため、スペインテネリフェ島、アイスランドに滞在。3か月におよぶ海外ロケには通訳やマネージャー無しで単身参加し、インターナショナルな環境で全編英語の役に挑戦。本格的に国際派俳優として活動を始める。 2020年はジャニーズ事務所による新型コロナウイルス感染拡大防止の支援活動「Smile Up! Project」、Twenty★Twentyに参加。7月15日には『THE HEAD』のエンディングテーマとして起用されたシングル「Nights Cold」をリリース。自身初となる楽曲の海外配信もスタートさせ、初のリリックビデオも7言語で公開した。海外ドラマデビューと同時に海外作品の楽曲タイアップを掴み、アーティストとしても世界デビューを果たす。さらに、7月25、26日にはベルギー発の音楽フェスティバル「Tomorrowland Around The World, the digital festival」“Inspiration Sessions”にグローバルに活躍するアーティスト・俳優としてリモート出演しメッセージを送った。8月17日、一部報道を受け一定期間芸能活動を自粛することを発表。その後、山下にハリウッド映画など複数の海外作品への出演オファーがあったことや、子どもの頃からの夢に向かい新たな一歩を踏み出したいという本人の希望により、事務所側と本人が話し合いを重ねた結果、10月31日付でジャニーズ事務所を退所した。
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