『続日本紀』目次とは? わかりやすく解説

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『続日本紀』目次 (主要事項)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 06:04 UTC 版)

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天之眞宋豊祖父天皇(あめのまむねとよおおじのすめらみこと)(第四十二代文武天皇卷第一 文武一 丁酉年八月より庚子十二月まで 卷第二 文武紀二 大宝元年正月より大宝二年十二月まで 卷第三 文武三 大三年正月より慶雲四年六月まで持統天皇譲位軽皇子文武天皇即位役小角伊豆島に流す。 藤原不比等律令選定山上憶良遣唐使に。大宝律令完成この年聖武天皇藤原光明子誕生持統上皇崩御 日本根子天津御代豊國成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)(第四十三代)元明天皇卷第四 元明一 慶四年七月より和銅二年十二月まで 卷第五 元明二 和三年正月より和銅五年十二月まで 卷第六 元明三 和年正月より霊亀元年八月まで文武天皇崩。 武蔵国和銅献ず和銅改元和同開珎発行陸奥越後蝦夷平城京遷都山階寺平城移し興福寺改称蓄銭叙位法定める。 丹後大隅美作三国を置く。国、郡、郷名に好字を選ばせる。『風土記』の編纂命ずる。 首皇子(後の聖武天皇立太子日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)(第四十四代元正天皇第七 元正紀一 霊亀元年九月より養老元年十二月まで 卷第八 元正紀二 養老年正月より養老五年十二月まで 卷第九 元正三 聖武紀一 養老年正月より神亀三年十二月まで元明天皇譲位。氷高内親王(後の元正天皇即位この年光明子皇太子妃になる。駿河など七国高麗人七百九十九人を武蔵国移し高麗郡を置く。 行基僧尼活動非難する詔がでる。この年不比等養老律令撰修した。 能登安房石城石背四か国を置く。 大伴旅人大将軍として隼人を討つことを命ぜられる。『日本書紀』完成藤原不比等死去元明上皇崩。 三世一身法施行太安万侶死去天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)(第四十五代聖武天皇第十 聖武二 神亀四年正月より天平二年十二月まで 卷十一 聖武三 天平三年正月より天平六年十二月まで大地震畿内七道地震発生聖武天皇が(地震の発生は)不徳の致すところとする詔を記載。 卷十二 聖武四 天平七年正月より天平九年十二月まで 卷十三 聖武五 天十年正月より天平十二十二月まで 卷十四 聖武六 天十三年正月より天平十四十二月まで 卷十五 聖武紀七 天平十五年正月より天平十六十二月まで 卷十六 聖武紀八 天平十七年正月より天平十八十二月まで美濃国大地震発生や館、正倉仏寺堂舎百姓家がみな倒壊。 卷十七 聖武紀九 孝謙一 天十九年正月より天平勝宝元年十二月まで元正天皇譲位首皇子聖武天皇即位蝦夷反乱し藤原宇合討つ。多賀城なる。 光明子基王生む基王死去長屋王の変長屋王自殺光明子光明皇后となる。 大伴旅人死去橘三千代光明の母)死去吉備真備帰国舎人親王『日本書紀』編纂主催者死去葛城王橘諸兄改名藤原四兄弟次々と死去天然痘大流行安倍内親王立太子橘諸兄右大臣なる。 聖武天皇光明皇后智識寺盧舎那仏拝する大宰小弐、藤原広嗣挙兵する。広嗣斬殺される。恭仁京遷都の詔。 国分寺建立の詔 大宰府廃止する紫香楽離京造る墾田永年私財法制定聖武天皇大仏建造発願恭仁京造営中止難波宮皇都とする。 行基大僧正とする。都を平城京復す大宰府復活奈良大仏建造着手難波宮聖武天皇容態危篤恭仁宮大極殿山背国分寺施入元正上皇崩。 行基没。陸奥国初め黄金産出献上天平感宝改元宝字称徳孝謙皇帝(ほうじしょうとくこうけんこうてい)(第四十六代)孝謙天皇十八 孝謙二 天勝宝年正月より天平勝宝四年十二月まで 卷十九 孝謙三 天勝宝年正月より天平勝宝八歳十二月まで 卷二十 孝謙四 天平宝字元年正月より天平宝字二年七月まで聖武天皇譲位阿部皇太子即位孝謙天皇)。天平勝宝改元大仏鋳造終わる。 懐風藻わが国最初漢詩集)成る。 東大寺大仏開眼供養。 唐僧鑑真大伴古麻呂の船で日本着。藤原宮子崩。 東大寺戒壇院成る。 橘諸兄左大臣辞任聖武上皇崩。遺詔より道王立太子橘諸兄没。道祖王皇太子の位を失う。大炊王立太子藤原仲麻呂専制対し諸兄の子奈良麻呂ら決起するが敗れ処刑者多数淡路廃帝(あわじはいたい)(第四十七代)淳仁天皇二十淳仁一 天平宝字二年八月より天平宝字二年十二月まで 卷二十二 淳仁二 天平宝字三年正月より天平宝字四年六月まで 卷二十淳仁三 天平宝字四年七月より天平宝字五年十二月まで 卷二十淳仁四 天平宝字六年正月より天平宝字七年十二月まで 卷二十淳仁五 天平宝字八年正月より十二月まで孝謙天皇譲位大炊王即位淳仁天皇)、藤原仲麻呂恵美押勝姓を賜う小野田守帰国し、唐の安禄山の乱報告唐招提寺建立新羅攻撃準備藤原仲麻呂大師に任ぜられる。光明皇太后崩。 近江保良宮北京とする。 孝謙上皇淳仁天皇不和となる。孝謙出家多賀城秋田城など整備全国的に飢饉疾病藤原良継らの仲麻呂打倒計画挫折鑑真没。道鏡少僧都任じられる孝謙天皇重祚第四十八代)称徳天皇二十称徳一 天平神護元年正月より十二月まで 卷二十称徳二 天平神護二年正月より十二月まで 卷二十称徳三 神景雲元年正月より十二月まで 卷二十称徳四 神景雲年正月より神護景雲三年六月まで 卷三十 称徳五 神景雲三年七月より宝亀元年九月まで藤原仲麻呂(押勝)、道鏡排除企てる敗死道鏡大臣禅師となる。淳仁天皇淡路流し孝謙上皇重祚する。 墾田永年私財法停止淳仁天皇幽閉脱走図り死亡道鏡太政大臣となる。 道鏡法王となる。 法王宮職設ける。 筑前大台城が完成。 県犬飼姉女ら、称徳女帝呪詛したこと発覚遠流天宗高紹天皇(あめむねたかつぎすめらみこと)(第四十九代)光仁天皇三十一 光仁紀一 宝亀元年十月より宝亀二年十二月まで 卷三十二 光仁紀二 宝亀三年正月より宝亀四年十二月まで 卷三十三 光仁紀三 宝亀五年正月より宝亀六年十二月まで 卷三十四 光仁紀四 宝亀七年正月より宝亀八年十二月まで 卷三十五 光仁紀五 宝亀九年正月より宝亀十年十二月まで 卷三十光仁紀六 桓武紀一 宝亀十年正月より天応元年十二月まで百万塔を諸寺に分配する称徳天皇崩。白壁王光仁天皇)が皇太子となる。道鏡下野国左遷この年阿倍仲麻呂が唐で客死井上内親王皇后になる。 他戸親王皇太子になる。左大臣藤原永手没。藤原良継内臣となる。 井上内親王謀反企んだことにより、皇后地位から追われる。他戸皇太子廃される。 山部親王皇太子になる。良弁没。 蝦夷桃生城攻め、その西郭を破る。 佐伯今毛人らを遣唐使任命吉備真備没。 出羽国志波蝦夷が立ち上がる陸奥国胆沢蝦夷も立ち上がる藤原良継内大臣になる。藤原良継没。 藤原魚名内臣ついで忠臣になる。 藤原百川没。この頃藤原清河が唐で客死。 覚繁城の築城計画。伊治比麻呂反乱起こし按察使殺害し多賀城占領して放火した日本根子皇統弥照尊(やまとねこみすまるいよよてらすのみこと)(第五十代桓武天皇三十桓武二 延暦元年正月より延暦二年十二月まで 卷三十桓武三 延三年正月より延暦四年十二月まで 卷三十桓武紀四 延暦年正月より延暦七年十二月まで 卷四十 桓武紀五 延暦八年正月より延暦十年十二月まで光仁天皇譲位山部皇太子即位し早良親王皇太子になる。光仁太上天皇崩。 氷上川継謀反事件起きる。宮司整理のため、造宮省、銭鋳司などを廃止した長岡京予定地を視察長岡京遷都淡海三船没。大伴宿邇家没。藤原種継暗殺皇太子早良親王廃す蝦夷との交易禁止この年最澄延暦寺創建三関廃止した刪定律令施行畿内班田使任命

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