主要事項
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 16:12 UTC 版)
生年は不詳である。1176年に科挙に合格し、その後忠州(現: 忠清北道忠州市)で書記を務めた。特に林春との交流が深く、皇甫抗が科挙に合格すると林春に祝われ、林春が病床に伏した際は皇甫抗が見舞いに訪れた。林春は皇甫抗を「学識が広く意味は変わらず記憶力が強く文章が豪放で、正直さは琴の糸のようで清廉さは甲の中の鏡のようだった」と評価した[6]。また、「補閑集」にも詩一首が伝えられ、楽章にも長けていたとされる。そのほか、李仁老や呉世才、咸淳や李湛之、そして趙通らと付き合い、詩作と酒を嗜んだ。没年は不詳である。
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