ほかの相応伝との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/12 20:51 UTC 版)
「天台南山無動寺建立和尚伝」の記事における「ほかの相応伝との関係」の解説
『大日本国法華験記』巻上の五 「相応和尚は、その伝を見ず。ただし故老一両の伝言を聞けり」としており、本書とは別系統。メインとなる説話は、本書の延喜15年の項にある、不動明王に祈って都率天に昇る話と大筋で一致するが、相応を専ら葛川で不動法を行じてきた修験者で、老後に臨んではじめて法華経読誦といった天台宗の修行をするようになったとしている点が異なる。また、円仁の入室の弟子としている点も、本書が鎮操の弟子とするのと異なる。 『扶桑略記』巻二十四 「相応和尚伝に云はく」として、本書のうち相応入滅前後の部分を載せる。 『拾遺往生伝』巻下の一 本書の主要事項をぬき出したもの。掲載事項に関しては本書とほぼ同文だが、略述した部分もある。 『元亨釈書』巻十 本書の主要事項をぬき出して略述したもの。掲載事項は『拾遺往生伝』とほぼ共通。
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