「不良資産」化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 11:01 UTC 版)
「美浦トレーニングセンター」の記事における「「不良資産」化」の解説
「栗東留学」効果などで、近年は西日本の競馬場の重賞・特別競走での関東馬の健闘も見られる様になるなど、一部で改善の兆しが見えてきているが、栗東トレーニングセンターに対しては劣勢である。 馬主が、美浦の厩舎でデビューさせた後、当初の期待以上の能力を見せた馬について「馬主都合」という理由で栗東の厩舎へと転厩させるケースもある。また、特に愛馬会法人において、期待馬を栗東の厩舎中心に預託しているといわれる。愛馬会法人の所有馬に出資している「一口馬主」の中には、自身が出資した馬が美浦の厩舎所属となった、あるいは転厩となったことで愛馬会法人に対して不満を抱き手を引く者さえ見られる。 そういった状況の中で、関東圏の2-3歳戦においてオープン・重賞競走の出走枠の多くを関西馬に独占されるシーズンも見られる。中には関西馬なのに3歳春シーズンまで関東圏でしか出走したことが無い馬もいる。もっとも顕著な例としては2006年春季の牡馬クラシック路線があり、関東馬は上位クラスに有力馬がおらず、日本ダービーにおいても、出走馬18頭中の関東馬は8番人気のジャリスコライトただ1頭のみという状況であった。 また、栗東トレセンのリーディング上中位の厩舎にあっては、有力な大手馬主や愛馬会法人などを中心に限られた馬房や空き預託枠を巡って争奪戦が繰り広げられることも起きている。その中では厩舎側が受ける預託希望や出走依頼が飽和状態となり、下級条件馬や未勝利馬では「馬房が回ってこない」、つまり、属厩舎の馬房使用状況の都合で栗東トレセンに入厩させられず、出走することができないというケースもしばしば発生し、この様な下級馬を放出することもあった。この様な馬を美浦の厩舎が中途引き受けして出走させるケースも見られる様になった。その為、馬主・愛馬会法人の中には、美浦トレセンへ所有馬を入厩させる理由として、「馬の具合がいい時にスムーズに入退厩ができる」を挙げる者もいる。 オープン馬であっても、屈腱炎や喘鳴症など体調面で慢性的な問題を抱えて成績不振にあえぐ馬は、栗東では放出対象にされることが多く、その後について美浦の厩舎が引き受けて復活を試みることは珍しいものではない。 この様な相対的な競走馬のレベル低下・成績低迷・確保難により、関西馬に関東圏の上位クラスの競走で劣勢となっている状況下で、東西間の厩舎関係者や騎手の収入格差も見られている。勝利数の差は一時期よりも改善されてはきたものの、重賞レースでは関西馬が優勢であり、獲得賞金の差が生じている。また、競馬界全体の問題として、馬主数減少や預託料滞納などの問題があるが、獲得賞金の低迷に苦しむ美浦トレセン所属厩舍の経営にとってはより大きな打撃となっている。また、管理馬の数や馬主とのコネクションの確保・維持をできず、管理馬数が割り当てられた馬房の数さえ下回ってしまう「空き馬房」の発生に悩む調教師もいる。 この様な状況のなかで、美浦トレセンでは70歳の定年まで厩舎を維持することができず、割り当てられた馬房を自主返上したり、調教師免許を自主返上したり、資産面の問題などから厩舍を解散したりするなど、調教師の厩舎経営の縮小や廃業が相次いでいる。 この流れは2004年2月に佐藤征助が65歳で厩舎を解散し「勇退」したことに始まり、2006年には富田一幸が50歳で、2008年には笹倉武久、内藤一雄が共に定年まで8年を残した62歳で免許を返上、さらに2009年2月には中野隆良など50代から60代の定年前の調教師が5名も免許更新せずに「勇退」、5月には斎藤宏が免許取得から僅か10年で「勇退」という状況になった。その後も同様の「調教師勇退」が散発的に発生している。 これら調教師の「勇退」の事情には、経済的なものだけとは言い切れないものもあるが、名目上の理由は「健康上の都合」であっても内実としては「成績不振を原因とした事実上の経営破綻による廃業」「調教師免許の更新ができずに廃業」という内実である事を複数の競馬マスコミ関係者が事実上のこととして認めていたり、遠回しの表現であっても暗に示唆しているケースが存在している。また岩城博俊の様に、比較的早い段階で厩舍経営を諦めた調教師が厩舍を解散して他の厩舍のスタッフとして再起を試みるというケースすら見られる様になった(ただし実際には調教師会・厩務員組合の猛烈な反発を受け、再起は限りなく困難な状況である)。 2010年には、上述した2009年の調教師の「勇退」続出なども要因の1つとなって、美浦における厩舎経営の不安定さが露呈した事をきっかけに、従来は厩舎の開業資金や運転資金の融資を担ってきた大手金融機関から美浦所属の調教師への融資を渋ったりあるいは融資を引き上げるケースがあり、成績不振・資金難で「勇退」という選択肢を考えている少なからぬ調教師たちを、これ以上のトレセン・厩舎群へのイメージ低下や空き馬房の大量発生を防ぐべく、JRAも馬房返上による厩舎の縮小経営を認めるなどして引き留めている実情があるとも報じられている。しかし、その後の2011年にも実に9名もの美浦トレセン所属の調教師が定年前に厩舎解散を決断して「勇退」している。 また、現在の美浦トレセンで発生している、システムで自動的に割り当てるべき調教師が存在しない馬房が数多く存在している「空き馬房問題」についても、2009年以降は調教師の馬房自主返上や「勇退」の続出、調教師の死去による厩舎解散などにより深刻なものとなっている。調教師は割り当てられた馬房数に応じて規定された人数の厩務員を雇用しなければならない規則である為、管理馬房の空きはそのまま余計な人件費に直結する。JRAにとっても管理する厩舎の無い「空き馬房」の発生は厩務員の所属・雇用の問題にそのまま直結し、厩務員春闘などにも悪影響を及ぼしかねないものである。この「空き馬房問題」は発生する都度にJRAが事態収拾に追われることになっている。 これらの結果、厩舎経営にも優勝劣敗の法則を導入してトレセンの活性化を促すという発想で2004年に導入した「メリットシステム」については、美浦トレセンでは成績優秀調教師に対して加増する馬房について、調教師の定年・勇退による厩舎解散や自主的な返上で発生した返還馬房を原資とするシステムへの変更を迫られ、成績下位者からの馬房削減は当面の間は見合わせるなど、大幅な方向修正を余儀なくされている。 美浦所属厩舎群の低迷により、調教師に若い人材を育成できる経済的な余裕が無く、自厩舎に縁故の無い騎手候補生・見習騎手について、所属厩舍の決定を巡って難航する事がある。引受先が決まった場合でも、栗東に比べ有力馬・管理馬が少ない事等から、満足に騎乗実績を得る事が出来ぬまま低迷するというケースが少なくない。競馬学校第16,17期卒業の2世代で美浦に所属した者からは、デビュー後10年内に平地重賞を勝利した騎手がいない。また、平地競走の乗鞍を確保出来ず、障害競走に活動の比重を移す騎手が増えた。管理馬不足や経済的事情などで、調教師が若手騎手の「師匠」「身元引受人」としての役割を果たす事ができない事例も見られ、見習騎手として実績の伴わない内に「フリー騎手」として競馬サークルに放り出される者も見られる。 また、騎手と同じく競馬学校で養成される厩務員についても、候補生の出身地の比率は東西でおおよそ半々であるが、不振の美浦トレセンを忌避して栗東トレセンの厩舎への配属を希望する者が多い。結果として、栗東トレセンは厩務員が常時定数一杯の状況となり、栗東配属の希望者は必要な技量を満たしている者であっても入学自体を待たざるを得ない場合や、養成修了後も実際に配属されるまでに長期間待機せざるを得ない例があり、逆に数少ない美浦配属の志望者の中には、就労の年齢制限の都合からやむなく栗東から美浦へと志望先の変更を余儀なくされた様な者もいる。他方では、栗東の厩舎関係者との縁故などを利用して、美浦から栗東へと本拠地を移す、あるいは本拠地移動の可能性を模索する競馬関係者も現れている。 例として、田嶋翔はデビュー当初は美浦所属であったが、栗東所属の小島貞博の娘婿となった事を契機に栗東に移籍している。また、西日本の地方競馬からの移籍者で当初は美浦に所属した安藤光彰、柴山雄一、鷹野宏史も後に本拠地を栗東に変更している。なお、安藤は所属地の選択の理由を家事都合としており、具体的には当初の美浦所属の理由を息子の洋一が大井で見習騎手をしていたため、その後の栗東所属の理由については高齢になった家族の世話と岐阜県の自宅に近いためという理由を付けている。近年では成績が低迷していた国分優作、長岡禎仁、小野寺祐太のように栗東に滞在したことがきっかけとなり、その後正式に栗東に移籍するケースも散見される。 このほか、正式な所属は美浦としながらも事実上栗東へ拠点を移動させた騎手もおり、代表的な例として大崎昭一(現役晩年は栗東へ正式に移籍)や吉田隼人、横山典弘などが挙げられる。藤田菜七子についても2021年は落馬負傷の影響で成績が低迷しつつあり、翌2022年3月から一時的に栗東への滞在を開始しており、この時点でJRA所属現役女性騎手4人すべてが栗東を活動拠点とすることになった。藤田は当初は5月末までの滞在予定であったが、さらに1か月延長して栗東に滞在を続けている。 その反面、栗東から美浦に拠点を移した者もいる。2008年3月に栗東でデビューした大江原圭は、当初の1年間は騎乗機会および騎乗馬の質に恵まれずに未勝利に終わり、翌2009年3月に父の隆・伯父の哲が籍を置く美浦に移籍し、以降の9ヶ月間で4勝を挙げている。上野翔もデビュー時からしばらくは栗東所属であったが、騎乗数が減少したことから韓国での短期騎乗ののち、関東で障害戦を中心に騎乗を開始し、2014年に正式に美浦に移籍している。外国人騎手のミルコ・デムーロも正式には栗東所属であるが、2020年1月以降は事実上美浦を拠点に騎乗している。 この様に、人材の西へという流れも起きているが、実際には厩舎制度や労働組合などの関係もあって東西トレセン間の枠を超える移籍は概して困難であり、美浦ではトレセンそのものの先が見えない状況に嫌気を覚えて比較的若い年齢でJRAそのものに見切りをつけて離職する厩舎スタッフも少なくない。 美浦トレセンで厩舎を新規開業する新人調教師もその煽りを受けている。かつては、毎年2月に調教師免許試験の合格発表があり、調教師免許の交付を受けた後まずは技術調教師として1年間の研修の時間が与えられ、その間に他の調教師の下で厩舎経営のノウハウを学習したり、馬主や生産牧場を巡って人脈を作り管理馬の確保など厩舎の開業準備を図るのが通例であった。しかし、調教師の定年前の「勇退」と厩舎解散が発生すると、JRAの厩舎制度上、解散した厩舎に所属していた馬房と厩務員は他の調教師が一時的に引き受けなければならなくなり、引き受ける側にとってもこれは大きな経済的負担となる。そのため、現状ではその期間の短縮の役目を新人調教師が背負わされる格好になっており、調教師免許取得後にまず技術調教師として1年間厩舎経営を勉強するという従来のプロセスが成り立たなくなり、調教師免許試験の合格発表は毎年12月に繰り上げられ、合格後は翌年3月の調教師免許交付・発効までの実質3か月弱で厩舎開業の準備を全て済ませなければならなくなってしまった。そのため、調教師試験に合格した者は、騎手や調教助手・厩務員の業務をこなしつつ、馬産地巡りや関係各所への挨拶回りをしなければならず、栗東トレセンと比べて馬を集めにくい条件下で厩舎の開業準備を全て済ませなければならないなど、厳しい状態になっている。 競馬ファンや競馬マスコミの間でも、関東馬が特に高額賞金の特別競走・重賞競走で実績に劣ることは知られている。トレーニングセンター間の序列としても「栗東の下の美浦」というイメージが固定化しており、栗東と美浦を比較して、プロ野球における「一軍と二軍」の関係に例えられることもある。また実際、関東圏の予想家・競馬ファンの間では関西馬であることが馬券検討の際に重要な購入ファクターとなっている。 このような状況を、野元賢一が「今や美浦は、不良資産化の道を突き進もうとしている」、東京スポーツの記者が「“関西の下請け化”」と酷評している。 2012年9月から、平地未勝利戦・古馬500万条件(現・1勝クラス)戦において関東・関西それぞれのブロックの所属馬を優先的に出走させる「自ブロック優先制度」を開始した。これにより、当該条件の関西馬はフルゲート割れしない限り関東のレースに出走できなくなったため、美浦所属馬の勝つチャンスが増えることが期待された。ただしこの制度については「世界を相手にしなければいけない時代に、狭い日本でなんでこんな規制をかけるのか」との批判もあるほか、美浦の調教師からも「関東で出馬ラッシュになったときの逃げ場がなくなる」「小倉開催時に遠征させる馬がいなくなる」などといった問題の声が上がっている。
※この「「不良資産」化」の解説は、「美浦トレーニングセンター」の解説の一部です。
「「不良資産」化」を含む「美浦トレーニングセンター」の記事については、「美浦トレーニングセンター」の概要を参照ください。
- 「不良資産」化のページへのリンク