「世代交代」の流れを変え、偉業達成
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「リシャール・ヴィランク」の記事における「「世代交代」の流れを変え、偉業達成」の解説
だが、2000年のツール・山岳賞部門では、サンティアゴ・ボテーロの3位に甘んじ、ドモ・ファルム時代(2001年は出場停止のため不参加)となる、2002年のツールでも、山岳賞はローラン・ジャラベールに奪われてしまった。もっとも、2002年のツールでは、モン・ヴァントゥの区間を制している。 2003年、クイックステップに移籍。この年のツールでは、第7ステージを制し、総合首位にも立った。しかし続くラルプ・デュエズがゴールの第8ステージにおいて、区間優勝のイバン・マヨに遅れること9分29秒差の35位と大敗し、マイヨ・ジョーヌは総合5連覇を狙うランス・アームストロングへと移動した。しかし、4年ぶりに山岳賞を獲得し、ついにフェデリコ・バーモンテス、ルシアン・バンインプとタイ記録となる6度目の受賞となった。 そして2004年のツールでは、総合6連覇を達成したアームストロングに94ポイント差をつけ、ついに史上最多の7度目の山岳賞を獲得した。そしてこの記録を手土産とするかのように、同年8月開催のアテネオリンピック・個人ロードレース出場(48位)を経て、同年9月、引退を表明した。 主として、ツール・ド・フランスにおけるクライマーとして見られがちなヴィランク。実際のところ、ツール以外のグランツール出場実績は1999年のジロ・デ・イタリア(総合14位)しかなく、まさに選手生活の全てを、ツール・ド・フランス一本に注いだ選手ともいえる。ツール以外の主要レース実績としては、2001年のパリ〜ツールを優勝した他、ドーフィネ・リベレにおいて、4回の区間優勝記録がある。また1994年の世界自転車選手権個人ロードでは3位に入っている。
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