「不真正不作為犯」の成立要件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:02 UTC 版)
「不作為犯」の記事における「「不真正不作為犯」の成立要件」の解説
不真正不作為犯という法律構成については、伝統的に、罪刑法定主義に違反するとの批判が存在している。その主要な論拠は、第一に、作為と構成要件結果との間には因果関係が認められるが不作為と構成要件結果との間には因果関係が認められないにもかかわらず、実行行為として作為が予定されている構成要件によって不作為を処罰することはできないという点(因果構造の問題)、第二に、作為犯は「~すべからず」という禁止規範に違反する罪であり、不作為犯は「~せよ」という命令規範に違反する罪であるところ、禁止規範を定める作為犯の構成要件を命令規範違反の不作為によって実現することを認めるのは類推解釈にほかならないという点(規範構造の問題)である。 現在の日本の通説的な見解は、第一の問題については、おおむね、不作為とは期待された一定の行為をしなかったことであるとの理解を前提として(期待説)、不作為犯についても、一定の期待された行為をしていれば構成要件結果が生じなかったという形で「あれなければこれなし」との定式を充足することができるのであって、因果構造の問題は罪刑法定主義違反の論拠とはならない、と解している。また、第二の問題については、例えば殺人罪は「人を殺すべからず」との禁止規範だけでなく、一定の場合には「人を救命せよ」との命令規範を含むと解釈することができるといった形で、規範構造の問題も罪刑法定主義違反の論拠とはならないと解している。 かくして、現在の日本の通説的な見解は、一定の犯罪を不真正不作為犯という法律構成によって処罰することを認めている。もっとも、不真正不作為犯という法律構成には、構成要件結果の発生を事実上阻止することが可能であった者すべてに犯罪の成立を肯定するのは行き過ぎであり、主体を合理的な範囲に限定すべきであるとの問題(主体特定の問題)や、構成要件結果の発生の阻止に必要な行為は多岐にわたるため、問責対象となった不作為が実行行為に該当するかどうかを刑罰法規の文言から直ちに判断することが困難であるとの問題(実行行為の確定の問題)など、作為犯という法律構成ではあまり顕在化しない問題が存在している。これらの問題を念頭に、不真正不作為犯という法律構成の要件論については学説上活発な議論がなされている。通説的な見解が何かは必ずしも明らかではないが、おおむね、作為義務の存在及び作為の可能性を要件とする点では見解の一致がある 作為義務が存在すること 不真正不作為犯の要件として、構成要件結果の発生を阻止すべき義務=作為義務が存在することが要求される点については争いがない。この作為義務の要件については、刑法体系上の位置づけと発生根拠が論じられている。 まず、作為義務の刑法体系上の位置づけの問題については、作為義務論を違法性に位置付ける見解が存在する。代表的な論者は牧野英一である。他方、現在の日本の通説的な見解は、いわゆる保証人説(独:Garantenthorie)を採用し、一定の保証人的地位(独:Garantenstellung)を有する者の不作為のみが構成要件に該当する実行行為たりうると理解したうえで、作為義務とはそのような保証人的地位から生じる義務であると論じることで、作為義務論を構成要件に位置付けている。 次に、作為義務は、伝統的に、法的なものでなければならず道徳的ないし倫理的義務では足りないと論じられており、その発生根拠は法令・法律行為・条理に求められている(形式的三分説)。ここにいう法令には刑法外の法令も含むと解されており、その型例は民法上の親権者の子の監護義務(民法第820条)である。また、法律行為の典型例は契約と事務管理である。条理の内容としては、先行行為(独:Ingrenz)や物の所有者ないし占有者であることが掲げられることが多い。も他方学説上は、刑法外の法源から作為義務を認めるのではなく刑法の観点から作為義務の発生根拠を探求すべきとの問題意識の下で結果発生に至る因果経過を掌中に把握していた点に作為義務の発生根拠を求める見解が有力である(排他的支配説)。実務的には、不真正不作為犯という法律構成を安易に認めることは妥当ではないとの問題意識に基づいて、個別事案に即して、考えられる作為義務の発生根拠を列挙するという形がとられることが多い(最高裁判例として、最判平成17年7月4日刑集59巻6号403頁:いわゆるシャクティ事件(成田ミイラ化遺体事件))。 作為の可能性があること 法は人に不可能を強いないとの観点から、不真正不作為犯の要件として、構成要件結果の発生を阻止する行為が当該行為者にとって事実上可能であったこと(作為の可能性)を要求する点にも争いはない。例えば、子が溺れている場合に親権者が泳げないのであれば、親権者が自ら水中に飛び込んで子を救助するという形で子の死亡という結果発生を阻止する作為の可能性は否定される。 実務上は、作為の可能性にとどまらず、作為の容易性に言及されることも多い。 作為の場合との構成要件的同価値性があること 現在の日本の通説的な見解は、不真正不作為犯という法律構成を認める前提として、問題となる不作為が作為と構成要件的に同価値であるといえなければならないと解している。もっとも、このような構成要件的同価値性を不真正不作為犯の独立の要件とするかについては争いがある。多数説は、保証人的地位(及び保証人的地位に基づく作為義務)を認定する際にすでに構成要件的同価値性は考慮されているとの理由から、構成要件的同価値性を独立の要件とすることについては消極的である。他方で、保証人的地位ないし作為義務に加えて不真正不作為犯の成立範囲を限定する機能や、構成要件を選別する機能に着目し、構成要件的同価値性を独立の要件とする議論も指摘されている。 なお、ドイツ語法圏においては、不真正不作為犯を処罰する旨の規定が総則に設けられているが、構成要件的同価値性は独立の要件として規定されている(ドイツ刑法13条1項、オーストリア刑法2条、スイス刑法11条3項)。
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