3歳春(1957年)
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「ボールドルーラー」の記事における「3歳春(1957年)」の解説
ボールドルーラーの早熟を懸念したフィッツシモンズ調教師は、早い時期に勝ち鞍を積ませたいと考え、3歳になった1957年の1月からフロリダでボールドルーラーを始動させた。3歳初戦は1月30日のハイアリアパーク競馬場でのバハマステークス(7ハロン)で、ここでは126ポンドを積まれながらも、12ポンド軽いジェネラルデューク相手に4馬身半差をつけ、1分22秒00のトラックタイレコードで優勝した。 翌戦2月16日のエヴァーグレーズステークスでは再びジェネラルデューク、およびアイアンリージのカルメットファームの2頭と対戦となり、以後フロリダ戦線では常に轡を並べていった。この競走は9ハロンの中距離戦であったが、再び12ポンド差を与えていたジェネラルデューク相手にアタマ差の2着と健闘、この距離でも戦えることを示した。3月2日のフラミンゴステークス(ハイアリアパーク・9ハロン)は総賞金100,000ドル、斤量差のない定量戦(122ポンド)で行われた。レースはフェデラルヒルの引っ張る速い流れの中、ボールドルーラーはジェネラルデュークをクビ差抑え込んで1分47秒00のトラックレコードで優勝、中距離適性を証明することに成功した。フロリダ戦線の最重要競走である3月30日のフロリダダービー(ガルフストリームパーク・9ハロン)には25,000人の観衆が集まるなか行われ、ここでは一転してジェネラルデュークがボールドルーラーを1馬身半差で破り、1分46秒80の世界タイレコードで優勝している。この3競走とも、3着に入ったのはアイアンリージであった。
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