3歳後半(1957年)
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「ボールドルーラー」の記事における「3歳後半(1957年)」の解説
フィッツシモンズ調教師はベルモントでの競走後「私の馬は12ハロンには向かないな。けど夏のシカゴ(アメリカンダービーやアーリントンクラシック)では問題ないだろうさ」と次走の構想を語っていたが、その後ボールドルーラーがアフリカ睡眠病を疑わせる無気力状態を呈したため、9月まで休養に充てられている。 休養明けは9月9日のナイターハンデキャップ一般競走(6ハロン)で、ここでは128ポンドを積んで、7ポンド軽いグリークゲームを1分10秒20のタイムで破っている。5日後のジェロームハンデキャップ(ベルモントパーク・8ハロン)では130ポンドを課せられるものの、17ポンド軽いビュロークレーシーという馬を6馬身離して優勝、1分35秒00のトラックレコードも記録した。次に迎えたウッドワードステークスは10ハロンの中距離戦で、ここでは古馬デディケートとギャラントマンに敗れて3着に終わっている。 中距離路線で負けこそすれど、短距離路線では依然として猛威を振るった。10月9日のヴォスバーグハンデキャップ(ベルモントパーク・7ハロン)では古馬を相手にしながらもトップハンデの斤量130ポンドを課されたが、それでも2着馬に9馬身差をつける圧勝、さらに勝ちタイムの1分21秒40は51年前にローズベンが記録したものを0秒60縮めるトラックレコードであった。続くクィーンズカウンティハンデキャップでは(8.5ハロン)ではさらに133ポンドを積まれたが、それでも22ポンド軽いプロミスドランドなどをまとめて破り、その先のベンジャミンフランクリンハンデキャップ(8.5ハロン)では136ポンドと更なる斤量を積まれながらも、今度は27ポンド軽い2着馬相手に12馬身差の圧勝劇を見せている。 11月9日のガーデンステート競馬場で行われるトレントンハンデキャップ(10ハロン)は賞金総額75,000ドルが用意されており、年度代表馬争いの決定戦となる年末の大一番として目されていた。ボールドルーラーのほかにもラウンドテーブルやギャラントマン、さらにデディケートなどが登録していたが、デディケートは跛行のため登録を取り消しており、実質的にはすでに「3歳三強」と評価の固まっていた3頭による直接対決となっていた。この競走でボールドルーラーはラウンドテーブルとギャラントマンよりも2ポンド軽い斤量が課せられており、これはボールドルーラーがこの距離での実績が薄かったことに起因していると考えられた。大方の予想通り、ゲートが開くとボールドルーラーが足早に飛び出して先頭に立ち、そこにラウンドテーブルが4馬身ほど後ろにつける展開でレースは始まる。バックストレッチではボールドルーラーとラウンドテーブルの差は8馬身ほどに広がり、ギャラントマンがその後ろ2馬身ほどつけていた。コーナーに入ってギャラントマンが追い込みをかけ始めたが、ボールドルーラーの勢いは止まることなく直線に突入、2分01秒60のトラックレコードで逃げ切りに成功した。2馬身半離された2着にギャラントマン、さらに8馬身半離された3着にラウンドテーブルが入った。鞍上を務めたアーキャロは、勝利後に「彼はナシュアよりもいい馬だ、彼こそがA級だよ」と語っている。 ボールドルーラーは同年16戦11勝、獲得賞金415,160ドル、ケンタッキーダービーでの4着を除いて着外なしの成績を収めた。デイリー・レーシング・フォームの記者33名による年度代表馬選考において、ボールドルーラーは最多の16票を獲得、同年の年度代表馬に選出された。
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3歳後半(2013年)
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「パレスマリス」の記事における「3歳後半(2013年)」の解説
クラシック後に控える3歳夏競馬シーズンにおいて、パレスマリスの陣営は初戦にサラトガ競馬場のジムダンディステークス(ダート9ハロン・G2)を選んだ。単勝オッズ2.35倍の1番人気に支持されたパレスマリスは、ドワイヤーステークス(G2)勝ち馬モレノ(Moreno)が先頭に立つとそのすぐ後方に控えて道中を進み、最後の直線に向きあったところでモレノを追い抜いた。そして後方から追い上げてきたウィルテイクチャージを1馬身差で押さえて連勝を飾った。 8月24日のトラヴァーズステークス(ダート10ハロン・G1)は夏競馬路線の大一番で、パレスマリスのほかにウィルテイクチャージやモレノ、ハスケルインビテーショナルステークス(G1)を圧勝してきたヴェラザノ、ベルモントステークス以来となるオーブなどが顔を揃えていた。この競走でパレスマリスはゲートから出る際につまづき、最後尾からのスタートとなってしまう。本来の走りとは異なる後方からの競馬を強いられるが、第3コーナーから大まくりで進出、直線で追い込んだ結果、勝ち馬ウィルテイクチャージから3/4馬身差の4着に食い込んだ。調教師と騎手は口を揃えて「出遅れが彼を殺した」「スタートが本当に本当に、本当に悪かった」と痛恨の出遅れを語っている。 9月28日のジョッキークラブゴールドカップ(ベルモントパーク・ダート10ハロン・G1)はパレスマリスにとって古馬との初対戦の場となり、目下のライバルとして同競走2連覇中のフラットアウト(英語版)、ホイットニーハンデキャップ(G1)勝ち馬のクロストラフィック、最後の対戦となるオーブなどが登録されていた。当日の人気はフラットアウトやパレスマリスなどに集中していたが、この競走を制したのはしばらく勝ち星から遠ざかって穴馬扱いを受けていた古豪ロンザグリーク(Ron the Greek)であった。レースはアルファが先手を取り、その外目後ろ2番手にパレスマリスが控え、そのまた後ろにロンザグリークとフラットアウトが続く展開がバックストレッチまで続いた。第3コーナー途中でアルファが失速すると、それと入れ替わるようにロンザグリークがパレスマリスの前に進出、最後の直線でそのまま突き放してゴール、パレスマリスは6馬身3/4差離された2着に敗れ、またフラットアウトは3着、オーブは最下位8着に沈んだ。プレッチャーは競走後のコメントで「たくさんの強い古馬を負かすことができた」と前向きに語っている。 この年のブリーダーズカップ・クラシック(11月2日・ダート10ハロン・G1)はサンタアニタパーク競馬場で行われ、パレスマリスは同年最後の競走としてこれに出走登録された。今まで鞍上を務めていたのはスミスであったが、スミスはこの競走で対戦するゲームオンデュード(英語版)に騎乗することを選んだため、パレスマリスの陣営は新たな乗り役としてジョン・ヴェラスケスに騎乗依頼をしていた。しかし競走当日、クラシックの前に行われたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズでヴェラスケスは乗っていた馬が転倒し落馬、病院に運ばれたため、パレスマリスには急遽ラファエル・ベハラーノが乗り替わりとなった。この競走でパレスマリスは出遅れて後方からのスタートとなり、道中も馬群を捌くことができないまま大きく外を回らされる展開が続き、結果ムーチョマッチョマンとウィルテイクチャージのハナ差決着から7馬身離れた6着に敗れた。
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3歳後半(1942年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 20:24 UTC 版)
休養からの復帰後は再び過密なスケジュールを組んで多数の競走に出走、特にアメリカンダービー(ワシントンパーク・10ハロン)などで勝ち星を挙げており、ローレンスリアライゼーションステークス(ベルモントパーク・13ハロン)では強豪牝馬ヴェイグランシー相手に3馬身半差で勝利している。 そのうちの1戦に、9月12日のナラガンセットパーク競馬場良馬場9.5ハロンで行われた、前年のアメリカ三冠馬であるワーラウェイとのマッチレースがある。当日126ポンドとジョージ・ウルフ騎手を積んだワーラウェイが人気で先行(単勝オッズ1.3倍)し、119ポンドとキャロル・ビールマン騎手を積んだアルサブは単勝2.6倍であった。レースが始まると先行したのはアルサブで、ワーラウェイはアルサブを風よけにして道中を進めていった。そして最後の直線でウルフはワーラウェイを外に持ち出して追い抜きにかかるが、アルサブはこれをハナ差で逃げ切って勝利、三冠馬を破る快挙を成し遂げた。 翌月のジョッキークラブゴールドカップ(ベルモントパーク・16ハロン)でもアルサブとワーラウェイは対戦しており、ここではワーラウェイが優勝、アルサブは3/4馬身差の2着に敗れている。ここでの敗戦で距離不安が注目されたが、続くニューヨークハンデキャプ(ベルモントパーク・18ハロン)では121ポンドを積んで出走、130ポンドを積まれたワーラウェイを3着に破って勝利した。その後2頭は別路線に向かい、アルサブはギャラントフォックスハンデキャップ(ジャマイカ・13ハロン)でシャットアウトと再戦するが、24ポンド軽いダークディスカヴァリーという馬を1馬身差捕らえきれずに2着になった。その後ウェストチェスターハンデキャップで(9.5ハロン)3着、ヴィクトリーハンデキャップ(ベルモントパーク・10ハロン)で勝利してこの年を終えた。この戦績が評価され、後年にアメリカ最優秀3歳牡馬に選出されている。
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3歳後半
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「ジョンズタウン (競走馬)」の記事における「3歳後半」の解説
ベルモントステークスの2週間後に迎えたドワイヤーステークス(英語版)において、ジョンズタウンとシャルドンは再戦を果たした。両馬はスタート直後からハナの奪い合いを演じたが、前半の3ハロンが過ぎたあたりでジョンズタウンが先頭を確保すると、そのまま終始譲らずにゴール、2着馬サンラヴァーに1馬身差をつけて勝利を飾った。このときの1分48秒40という記録は、ディスカヴァリーが保持していたベルモントパーク競馬場9ハロンのトラックレコードとタイ記録であった。 7月に入って出走したアーリントンパーク競馬場でのクラシックステークスでもシャルドンとの対戦となった。ジョンズタウンはここでも先頭を奪うことに成功したが、1マイルを過ぎたあたりで疲れた様子を見せ始め、シャルドンとサンラヴァーの2頭に交わされて3着に敗れた。この競走で故障を発生し、しばらくは復帰を目指して調整されていたものの、結局は競走に戻ることなく引退に至った。
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3歳後半(2013年)
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「ウィルテイクチャージ」の記事における「3歳後半(2013年)」の解説
3歳夏競馬のシーズンに入ると、ウィルテイクチャージはその初戦に7月27日のジムダンディステークス(サラトガ・ダート9ハロン・G2)に登録された。それまでウィルテイクチャージはブリンカーを装着していたが、ルーカスはこの競走以降ブリンカーを外して出走させている。この競走では前走ベルモントステークスに優勝したパレスマリスらとの対戦となり、ウィルテイクチャージはその中団5番手につけると、第3コーナーから先団を飲み込んで進出、最後の直線で先頭パレスマリスに1馬身差まで迫ったところでゴール、2着に入った。ルーカスは競走後のコメントで「彼はまだ体が軽く、成長途中。30日後のトラヴァーズステークスまでには目に見えて違っているよ」と自信を覗かせていた。 夏競馬の大一番に当たるトラヴァーズステークス(8月24日・サラトガ・ダート10ハロン・G1)には9頭の3歳馬が集まり、新たに鞍上にルイス・サエス騎手を迎えて出走したウィルテイクチャージのほかには、パレスマリス、ケンタッキーダービー優勝馬のオーブ、ドワイヤーステークス(G2)の勝ち馬モレノ(Moreno)、ハスケルインビテーショナルステークス(G1)を圧勝してきたヴェラザノ(Verrazano)らが顔をあわせていた。競走はスタートでパレスマリスが出遅れ、一歩でモレノが先頭に立つ展開で始まり、ウィルテイクチャージはオーブに並びかけて5番手を確保、そのままバックストレッチまで絶好の位置を確保していた。バックストレッチから第3コーナーに入るところで先に動いたのはオーブで、内側から切り込むオーブとは対照的に、ウィルテイクチャージは外からまくりあげて先頭集団に挑みかかった。そして、最後の直線で4番手まで上がっていたウィルテイクチャージはそのまま必死に追い上げ、ともに追い上げてきたオーブをかわし、先頭のモレノをハナ差で追い抜いたところでゴール、初のG1勝ちを収めた。この勝利は鞍上のサエスにとっても初の北米G1勝利で、サエスは「神に、ルーカスに、そしてチャンピオンを見に来てくれたここの皆さんに感謝したい。調教はとても良かった。前走、彼が2着になった時に、私は彼の乗り方を知り、そして再現できた。彼が走りたいように走らせた」と語った。また、ルーカスは先にプリークネスステークスを制していたオクスボウも引き合いに出し、「とてもいい気分だ。彼らは(その能力を)思い出させてくれるのにだいぶ時間をかけてしまった。だけど倍返しで戻してくれた」とコメントした。 11月に迎えるブリーダーズカップに向けて、ルーカスはウィルテイクチャージの次走に、3歳戦のペンシルベニアダービー(9月21日・パークスレーシング・ダート9ハロン・G2)か、古馬混合戦のジョッキークラブゴールドカップ(9月28日・ベルモントパーク・ダート10ハロン・G1)かを検討し、結果ペンシルベニアダービーを選択した。レースでは先行集団の後ろ5番手につけて道中を進み、最終コーナーで追い上げる際に一時前に壁を作られてしまったが、直線の入口で内側に鋭く切り込んで進路を確保、そのまま勢いよく抜けてゴール、2着のモレノに2馬身1/4差で連勝を飾った。 一方でトラヴァーズステークスのあと、モレノの調教師であるエリック・ギロットは、サエスが「ブザー」と呼ばれる馬に電気刺激を与える機器を不正に使用していたとニューヨーク州ゲーミング協会(NYGC)に申し立てを行っていた。この疑惑にニューヨーク州警察(英語版)らが捜査に当たっていたが、その結果10月4日にNYGCは「サエスの身辺にはそれらの機器はなく、ギロットの主張は根拠がない」と結論付けて公表している。 11月2日、ウィルテイクチャージはこの年の最大目標に当たるブリーダーズカップ・クラシック(サンタアニタパーク・ダート10ハロン・G1)に登録された。当日11頭立てで行われたこの競走で、ゲームオンデュードやムーチョマッチョマンら古馬勢、アイルランドから参戦したデクラレーションオブウォーらが人気上位の中、ウィルテイクチャージはパレスマリスに次ぐ5番人気、単勝9.60倍に支持されていた。スタートから先頭をゲームオンデュードやモレノ、フォートラーンド(英語版)らが争う展開となり、その後ろにはムーチョマッチョマンとデクラレーションオブウォーがぴったり続き、ウィルテイクチャージは中団やや後方の9番手で最初のコーナーを回っていった。バックストレッチで先頭集団の順位が入れ替わる頃合いにウィルテイクチャージも徐々に順位を上げ、第3コーナー手前では6番手にまで上がってきていた。しかし、コーナーで前にできた壁をよけきれず、大きく外側を回らされたこともあって、最後の直線で猛烈に追い上げるものの先頭ムーチョマッチョマンにハナ差届かず栄冠を逃した。競走後、鞍上を務めたサエスは「失速してきたパレスマリス(手前5番手だった)をよけるの外を回らされたのが影響した」と敗因を語っている。 ブリーダーズカップ・クラシック2着の時点でウィルテイクチャージはすでにエクリプス賞最優秀3歳牡馬の最有力候補であったが、ルーカスは「我々はいまとてもキレがいい。もうひとつG1を勝って、彼に箔をつけてやりたい」と語り、この年最後の競走としてクラークハンデキャップ(11月29日・チャーチルダウンズ・ダート9ハロン・G1)にウィルテイクチャージを登録した。この競走ではウィルテイクチャージと、前走9着に敗れていたゲームオンデュードとの再戦が注目され、1番人気はトップハンデのゲームオンデュード(126ポンド・単勝2.20倍)が選ばれ、一方ウィルテイクチャージは2番人気(123ポンド・3.40倍)に選ばれていた。スタートから中頃まで、アワダブルプレイ(Our Double Play)という馬が先頭を走り、その後ろ2番手にゲームオンデュードが控え、ウィルテイクチャージはそのまた後ろ外目4番手に構えた位置取りで競馬が続いていった。展開が動いたのは第3コーナーからゲームオンデュードが先頭に立ってからで、ウィルテイクチャージも外を回って大きく前進、そして最後の直線で4番手から猛然と追い上げて、ゴール手前でゲームオンデュードをアタマ差捕らえてゴールした。この年、ウィルテイクチャージは11戦5勝、獲得賞金2,960,977ドルとクラシックホース以上の戦績を残した。 年末の12月29日、馬主であるホートンはウィルテイクチャージの所有権の50%をスリーチムニーズファームに売却したことを発表した。内容には調教師は引き続きルーカスが務め、また2014年まで競走を継続し、引退後はスリーチムニーズファームで種牡馬入りすることが含まれていた。 翌年2014年1月17日、2013年度のエクリプス賞受賞者が発表され、ウィルテイクチャージは247票中231票を獲得して最優秀3歳牡馬に選出された。また、年度代表馬部門においても15票を得ている。
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